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ウェッブ・マガジン「草の葉」12月25日に創刊!

 埋もれて捨てられていく名著に出会いたいあなた、永遠に読み継がれていく本を復活させたいあなた、本を書きたいあなた、本を発行したいあなた、出版社をつくりたいあなた、小さな魅力的な本屋を探しているあなた、文芸運動がおこるようなまったく新しい本屋を創業したいあなた、英語を自由に話したいあなた、英語が自由な話せるテキストを求めているあなた、英語が自由に話せる「草の葉メソッド」の教材をつくりたいあなた、「草の葉メソッド」による英語の塾を開きたいあなた、「草の葉メソッド」を全国に広めたいあなた、わが子の教育に苦しむあなた、学校に行かなくなったあなた、学校を拒絶したあなた、絵を描いているあなた、あなたの絵を売りたいあなた、あなたの美術館をもちたいあなた、演劇活動をしているあなた、演劇活動をするスタジオをもちたいあなた、飯舘村の村民になりたいあなた(だれでも村民になれる)、飯舘村で自己を確立するための戦いをスタートさせるあなた。「Web Magazine──草の葉」はこれらの人々のウェッブ・マガジンです。

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原田奈翁雄さんから草の葉ライブラリーから刊行した高尾五郎著「南の海の島」を絶賛するお便りをいただいた。

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そして今日改めて最後のお作「南の海の島」を四度目、拝読し終えることができました。夜を徹して寝床で読了。あれこれ反芻しつつ寝就くことができませんでした。これはすごい作品だなと、深くうなずかずにはいられませんでした。そして四時起床した時には、なんと鼻血がしたたり落ちてあわてました。鼻血なんて少年時代以来すっかり忘れていたことでしたから。
あれこれ思いました。何で作者はあの素晴らしい人間たち、飛鳥を、その母佐保子を、次いでその夫琢磨を、飛鳥の兄数馬を殺してしまったの! なんでだ、なんでだと私の中で、三度読んでも納得できない大きな違和感のかたまりが、打ち消し得ぬままにしっこっていたのでした。そして四度、私は否応なくねじ伏せられてしまったのです。これが世の中の不条理というもの、否定し得ることのできない究極の姿として受け入れる他はあるまい──。私の鼻血はそれなのだ。
これは傑作というしかない。私はそう思うばかりでした。
でも、インドに向かって出ていく私、「そして、今度は君がインドにくる番だな」
ちぎれんばかりに手を振って別れていく樫山と私。最後にはもののみごとに、希望が、希望の星が輝いている。読者は救われるのだ。すごい物語を、心からありがとうございました。

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特集 
径(こみち)書房創刊の言葉  原田奈翁雄

 細い道です。もちろん幾多の曲折も、時にけわしい岨道もあって、しかしどこまでもつづく道です。
 昔は、けものみちだったかも知れません。けものたち、そして人問たちの足が、永い時をかけて踏み分け、踏みかためた道、それが径です。けたたましい車の、まして戦車などの通る道ではないのです。
 私たちもまたその道を歩みつぎます。歩んで、先人、同時代の人びとの、すぐれた仕事にに出会いたい。生きる知恵と勇気を分ち与えられ、狭いとらわれから、みずからのたましいを解き放ちたい。その仕事にたしかな形を与えて、読者、あなたに手渡したい。‥‥‥この道であなたに出会うために、ともによりよく生きるために、いささかなりとはたらくことができるならば、こんなにありかたいことはありません。……
               径(こみち)書房

特集
一千枚の原稿を「草の葉」に託して世を去った菅原千恵子さん

「草の葉」と菅原さんとの交流が始まり、彼女の作品が「草の葉」で連載され、一千枚になんなんとする大作が投稿されたりしたが、その数年後に御夫君から葉書が届けられた。「妻千恵子は数十万人に一人の難病を患い、読み書きが不能になりました。これまでの妻とのご交誼、深く感謝いたします」。やがて訃報が。彼女は驚くべき本を私たちに投じて立ち去っていった。私の手に一千枚の原稿を託して。
 その一千枚の作品をまずウェッブ・マガジン「草の葉」に一年をかけて打ち込もう。そして「草の葉ライブラリー」で刊行だ。

特集
愛しき日々はかく過ぎに       菅原千恵子

 私は自分を書きながら、いつか我らが世代を書いてみたいと思っていた。私達の育ってきた時代こそ、日本が大きく変化したときと重なっていて、今日の日本が抱えている良いところも悪いところも、実はそこにあるように思えてならないからだ。個人的な体験と感覚が、果たして普遍的な人間の問題として描けるがどうか、多少不安もあるけれど、好むと好まざるにかかわらず、絶対多数として時代に産み落とされた私達がどんな思いで時代を走ってきたかは、やはり書かなくてはならない。

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特集
英語教育をコペルニクス的転換させる「草の葉メソッド」
この体系を根底から転換させるメソッドが登場しました。草の葉メソッドです。これを地道説英語教育体系と名付けましょう。それは白が黒になるような、夜が昼になるような、山が海になるような、天地真っ逆さまの百八十の転換です。文法英語教育禁止です。英語教師は生徒たちに文法を教えてはならない。英語の時間は生徒たちが英語のボールを打ち合うテニスコートになるから、英語教師はテニスコートの管理人という地位に下落します。

特集
「草の葉メソッド」の入門編、初級編、中級編、上級編

特集
沈滞した下町を復活させた地域雑誌「谷根千」
「三号雑誌にはなるまい、三年続けよう」という思いで創刊し、いつの間にかここまできました。しかしこの数年、継続できる最低ラインの七千部を割り、回復できずにいます。そこで、定期購読の節目である二年八冊を責任をもって刊行し、九十三号を最終号とすることにしました。
 長く購読を続けてくださっている皆さま、本当にありがとうございます。もう少しです。ぜひ最後まで見届けて下さい。今後二年間、今までの資料を整理し、聞き書きを充実させ、精魂込めて「谷根千」を作ります」

特集
沈滞した町を復活させた山崎範子の世界
彼女の書く文章には鋭い切れがあり、その対象を捉える視線は深い。それでいて、その文章はあたたかく、読む者を幸福にさせる。彼女は上質のエッセイストとして、独自の世界を作り出していける才能をたっぷりともっているのだ。草の葉ライブラリーで間もなく山崎範子著「谷根千ワンダーランド」が刊行される。

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特集 
チャタレイ裁判の記録
記念碑的勝利の書は絶版にされた
 果敢に権力に立ち向かい勝利をもぎとったこの羽矢謙一訳「チャタレイ夫人の恋人」は、絶版状態でいま手に入れることはできない。この勝利の書の復活を強くのぞむのは、また「チャタレイ夫人の恋人」の真価をこの訳がよく伝えているからである。翻訳者によって同じ作品がまったく異なった作品になってしまうものだが、この作品もまた伊藤訳と羽矢訳とではずいぶん違う。いま二者の訳を読み比べるとき、ロレンスの文体がつくりだすそのリズムや触覚や匂いや気配は、羽矢訳のほうがより深くかもし出しているように思える。羽矢がどのように「チャタレイ」に立ち向かったかは、その本の解説に書かれているので、この羽矢訳が数百年も生きる大木に成長していくように、その解説全文を「草の葉」に移植することにする。

特集
チャタレイ裁判の記録
これが猥褻文書として糾弾されたロレンスの英文。あなたはこの英文をどのような日本語で紡いでいきますか。

特集
1940年の反乱
ユニクロに革命をもたらしたジル・サンダーとは何者なのだ
11月13日(金)、ユニクロとジル・サンダーのコラボ、「+J」プラスジェイが発売と同時に売り切れになった。いったいこのジン・サンダーというデザイナーはどのような人物なのか。

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