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この時、私はY子を軽蔑した 菅原千恵子

あいこの13


  愛しき日々とかく過ぎにき   菅原千恵子

 Y子はいろんな流行歌を知っていて、私によく教えてくれた。歌の題名は知らないのだが、Y子が教えてくれた歌を歌って窓を拭いていると、通りかかった先生にそんな品のない歌を歌ってはいけないと注意され、顔が赤くなるのを味わったこともあった。それはこんな歌詞だった。
「ビールの泡を見ていたら、ちょいとあの子にあいたくなった~」

 Y子はこの歌を一番下品な節回しで歌うものだから、それがおかしくて、私もとびきり下品に歌っていたのだ。しかし、まったく他人の先生から、下品だと指摘されたことで、私がいかにY子に同化していたかを思い知らされたような気がして恥ずかしくなった。

 他の人の目をして自分を見るということなど、これまでそんなに多くはなかったのに、このときばかりは強くそれを感じた。そして私自身がいつのまにかY子の挙動を他人として眺めるようになっていたのかも知れない。

 Y子が品の無い振舞をしていたとしても、Y子を好きだということに変わりはなかった。だから二学期いっぱい、私はY子とこの塾に通った。しかし、思いもかけない事件からY子と私は自然に疎遠になってしまった。その事件とは、塾のクリスマス会での出来事だった。Y子は、秋の終わりごろから塾のクリスマス会のことをしきりに話題にするようになっていた。

「去年も、おもしろかったのっしゃ。プレゼント交換もして、みんなすっかりしゃれこきになってきれいな服を着てくんだよ。先生がいろんな料理も出してくれて、ああ思い出すだけでまた食べたくなってば。会費も集められるんだよ。去年は五十円だった」
 Y子の話を聞いているだけで、私までわくわくしてくる。みんながおしゃれをして集まるなんて、本当のクリスマスみたいだと思った。

「ねえ、女の子は、みんなワンピースみたいなのを着てくるの? どんなおしゃれをしてくるの?」
 Y子は考えているのかどうなのか、すぐに返事をしてくれなかった。
「私は何を着てゆこうかな。でもリボンはつけないよ。あんまり子供っぽいもの」
「全部の人が新品の服を着てくるわけじゃないってばJ
 Y子は、ちょっと乱暴に投げ捨てるようにいうと、さいならといって帰っていった。それはちょっと怒っているようにもみえたが、私には、なぜY子が何を怒っているのかまったく見当がつかなかった。

 私は母に、Y子から聞いたクリスマス会の話をして、私は何を着てゆこうかと聞いてみた。洋服のことを考えるのは、とても楽しいものである。私は小さいときから母の買っている雑誌の付録のスタイルブックを眺めるのが好きだった。
「そうだねえ、今、藤色の毛糸があるから、それでカーデガンを急いで編めば間に合うかも知れないから、すぐ編んでやるね。それを着てゆけばいいから」
「えっ、本当? 私もあの藤色の毛糸は、きっとお姉ちゃんのものを編むんだと思ってたから、あきらめてたんだよ。本当に本当なんでしよ。指切りげんまんだからね」

 私はうれしくて、母に抱きつくようにして指切りを迫った。毋が編み物をするときは、いつも私の腕を貸してやっていた。セーターをほどくときも、ほどいた毛糸を洗って、再びセーターに編み直すための毛糸の玉をつくるときも、母は私に手伝わせていたし、私は私で、今度はどんなものを編むだろうかと思って、腕を動かしながら想像するのが楽しかった。母が編み物をしていると、私もむしようにやりたくなって、残り毛糸をもらい、編み物を教えてもらったものだ。

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 翌日、私は、Y子に会うなり、すぐこのことを話した。
「お母さんが、私に藤色の毛糸でカーデーガンを編んでくれるんだって。もちろんクリスマス会のためにだよ。私、うれしくって、うれしくって。ああ、早く、クリスマス会にならないかなあ」
 一緒に喜んでくれるはずのY子が、何もいってくれない。その時から、Y子は急に無口になってしまった。私がいろいろ話しかけてもひどくそっけないのだ。何か、Y子が気になるようなことを私がいったのだろうか。私は、とても心配になって、授業中もうわのそらだった。

「ねえ、Y子ちゃん、どうして何もしゃべらなくなったの? どうしてか教えてよ」
「何でもないってば。気がつかないんならもういいよ」
 Y子は相変わらず、つっけんどんな物言いで、私を混乱させていた。いよいよクリスマス会が近づいてきたが、母が編んでいる藤色のカーデガンはまだ編み終っていなかった。そしていよいよクリスマス会が明日という日、母は、半分徹夜で編み上げたのだった。

 学校にゆくと、Y子が私に聞いてきた。
「明日なんだけど、何を着てゆくの?」
 このときは、Y子も少し機嫌が良かった。
「間に合わないかと思ったんだけど、昨日の夜、お母さんが徹夜で編み上げてくれたんだよ。だから、藤色のカーデガンを着てゆく」
 Y子の顔色が明らかに変化したのを私は見逃さなかった。再びY子は黙りこくってしまった。

 私はこのとき、はっきり知ったのだ。Y子は、私が藤色のカーデガンを着てゆくのをおもしろくないと思っているのだと。私はひどく不安になってきた。今度は私が無口になる番だった。Y子とだけは喧嘩をしたり、ぎくしやくしたりしたくなかったからだ。私は、Y子が好きだったし、一緒にいれば楽しいのだ。私が藤色のカーガンを着てゆけばきっと気まずくなると感じていた。しかし、なすすべもないまま当日になってしまった。

 私は思い切って母にいってみた。
「これを着ていったら、私ばっかり目立つんじゃないかな」
「そんなことはないってば。みんなはもっときれいにしてくるはずだから。だってこれは、ただのカーデガンなんだもの。こんなのは、普段着なんだよ。本当はビロードのワンピースぐらい縫ってやれると良かったんだけど、できなかったから、これで我慢してもらうからね」

 母は、私が何におびえているのかを知らないので、まるでのんきにいうのだ。
「やっぱりやめようかなあ。今着ているこのセーターでいいよ」
「それはあんまりだってば。お母さん、間に合うようにと思って寝ないで仕上げたのに、着てゆかないだなんて」
 母は、すごくがっかりしたような声でいった。それを言われると、私も自分がわがままなような気がして、あまり乗り気じゃないのに母が編んでくれた新しいカーデガンに袖を通したのだ。着てみると、それは、私にとてもよく似合ってみえたし、毛糸には母の匂いも微かにしみこんでいて暖かく、着心地満点のカーデガンだった。

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 塾に着くなり、私はY子を目で探したが、Y子の姿はどこにもなかった。みんな続々とやって来た。私たちとは違う曜日に来ている女の子は、フェルトでできた円形のスカー卜をはいて頭にはリボンまでつけていた。フェルトの円形のスカートは、私も一度はいてみたいと思っていたものだ。これをはいている子は、たいていバレリーナみたいにくるくると回ってみせると、スカートがお皿のように胴のところで平たく開くのだ。初めてそれをみたときには、どれほど驚き、うらやましかったか知れない。

 着飾った子供たちでにぎやかな中にいると、やっぱり、母がいった通りにして良かったとほっとしてみたり、Y子が時間までに来てくれればいいけれどという思いなどで、胸がざわざわと騒ぎっぱなしだった。予定の時間が来てもY子は現れない。私の胸は破裂しそうだったが、みんなに悟られないようにしていると、先生が私に聞いた。
「Y子ちゃん、まだ来てないけど、ちいちゃん、なにか聞いてない? 何かいってなかったかしら」

 私は、心当たりがなかったわけではないのだったが、首を横に振って、知らないといった。それをかわきりに、それじゃあもうはじめましよといって先生はお料理を運んできた。クリスマスにはあまりふさわしくないようなおにぎりや、卵焼きなどがテーブルに並んで、唯一洋風なものとして、ドーナッツがお盆の上に山盛り載っていた。そしてみかんがかごにたくさん入っている。みんなは笑い、歌を歌い、ゲームをし、時間がどんどん流れていったが、私だけは、何をしても心から笑ったり楽しんだりできなかった。そして時計だけが気になっている。

 この会が終わったら、Y子のうちに寄ってみようかと思っていたとき、玄関の戸が開いて、誰かが入ってきた。その音に気づいた男の子が玄関に飛び出していって、
「ものすごい遅刻、もうそろそろ終わりそうなのに、今頃来るなんて。せんせーい、Y子ちゃんが来たよ」
 男の子の叫び声を聞いて、みんながどっと玄関になだれ込んだ。私は行こうか行くまいかほんのちょっと迷ったが、一人だけ残っているのも変なので、一番後から玄関に行ってみた。

 Y子は父親に背を押されるような形で玄関に立っていた。下を向いている。父親がぐるりとみんなを見渡し、私を見つけるなりいった。
「誰だか、Y子がうらやましがるようなよけいなこと、いわねでけさいんちゃね」
 誰だかといいながら、父親は、明らかに私を見ていっていた。私は体が燃えるように無くなって、私がいったいY子に何をいったというのだろうと激しく抗議したい気がした。いいだしたのは、Y子のほうからなのだ。私はそんなことでいちいち父親なんかに訴えたりしないぞと思った。それに今私が着ているカーデガンだって、ここでは人より上等というわけではない。むしろ母がいうように、新しいというだけで普段着なのだ。

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 私を見据えた父親の大きな目を思い出すと、今でも悔しさが込み上げてくる。Y子だって、リバーシブルのナイロンジャンパーが大流行したとき、Y子はいの一番に買ってもらって、私に自慢して見せていたではないか。裏も表も着られるといって、緑色のナイロンを素早く脱ぎ、赤いウールのチェック柄の裏も着てみせてくれたのだ。それがどんなに私にはうらやましかったことか。それでも私は誰にもいわずに我慢した。空き巣に入られたことで、家にお金がないだろうと思っていたからである。
 
 私にも買ってほしいとはいえなかった。Y子はそのことを知らない。なぜなら、私はY子にだって、自分のそんなさもしい気持ちはいいたくなかったからだ。私がY子の父親にまで責められる理由なんていったいあったのだろうか。しかも私はいつもY子と一緒だった。「誰だか」といったって、それは私だろうとみんなにはすぐ解かるだろう。私がことのいきさつをいったい誰にどんなふうに説明すればいいというのか。こんなことは、簡単にことばで説明できることと違う。心の問題なのだ。感じることなのだ。Y子が感じ、私が感じたのだ。この場の私は悔しさと残念さとで、顔が真赤になっていたことだろう。

 Y予は、みんなに手を引っ張られて上がってくると、何事もないような顔で、テーブルの上のものをおいしそうに食べている。それを見ていると、私は、大きな声を出して泣きたい気分だった。ここに来るまでの間にも、私はどれだけ強い葛藤を自分の中で繰り返していたことか。私の心の苦しみに比べれば、Y子のやり方は、いかにも赤ちゃんくさいと思う。すぐ父親に訴えて、解決しようだなんて。

 私はY子を、あんなに好きだったY子をこのとき軽蔑した。食べて笑っているY子を軽蔑した。たぶん、軽蔑ということばの意味が解からなくても、私が友達と思っていた人にそのような感情を持ったのは、生まれて初めてのことだったかも知れない。本当に悲しかった。悔しかった。もうクリスマス会なんてどうでも良かった。今すぐ家に帰りたいとそればかり思っていた。玄関を出たとき、Y子が何事もなかったかのように、私にさよならといったが、私はみるみる溢れてくる涙で声なんてでない。
 
 電車の中で、もうY子と行く塾はやめようと思っていた。Y子の感じ方と、私の感じ方は違う。私は、他の誰でもない。私は今日のことも誰にも話さないだろう。せっかく徹夜で編んでくれた母には、みんなが素敵だねっていっていたといおう。激しく罵り会ったり、無視したりすることだけが喧嘩というわけではない。こうした感情の行違いからでも、人は離れてしまうものなのだと思って、こっそり電車を下りてから涙を拭いた。私は私なのだ。誰とも同じじゃない。もう四年生が終わろうとしていた。

 児童書の中に、「百まいのきもの」という作品があって、大人になってから、それを読んだときもう少女ではなくなっていたのに、私はやはり胸がずきずき痛んだ。少女たちが、なぜこれほどまでに着ているものに執着し、そのことでしばしば気まずくなったりするのだろうと。そしてそれはどうも洋の東西とは無関係らしいのだ。

 きれいなものへの憧れが女の子にはあるからなのかも知れないが、この時期の少女たちは自分の身につけている服や持っている数に極めて敏感だ。そのことで竸ったり、見下したり、優越を感じたりと、心は右へ左へと揺れ動く。そして、大人になると女の人はたいていそんな少女だったときの気持ちを忘れてしまい、平気でバスを待っている間にとなりの女の人の着ているものに、鋭い不躾な視線を注いだりするものだ。

 男の子が勇気があるとかないとかを大問題にするように、女の子は、この洋服のことが大問題なのではないだろうか。私は、この誰にも気づかれることなく終わった小さな事件が、長い間ずっと私を縛り続けていたように思う。というのも、私は自分の着ているものを人はどんなふうに思うのか、また、私が人をうらやましがらせることにはならないだろうかという、どうしようもない呪縛からなかなか開放されないのだ。それが気になって着て行く服を前にしていつも悩んでしまう私がいる。

 現代の少女たちはどうなのだろうか。ものが豊富になって、誰が何を着ていようとまったく気にならない人たちだけなのだろうか。私たちの少女時代は、経済が多少豊かになりつつあったけれど、それでもまだ圧倒的にゆきわたっていたとはいえなかったと思う。映画や、本で知っている知識ほど生活様式も、物も満たされてはいなくて、ただ憧ればかりが先行していた時代だったのかも知れない。これもある意味では、やはり貧しい時代だった。

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