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犯罪小説の秀作「パワー・オブ・ザ・ドッグ」     三橋暁

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二十世紀のアメリカ文学に明るい読者でも、トーマス・サヴェージの名前はご存じない方がほとんどではないか。その作品が翻訳紹介されるのは今回が初めてのようだが、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』というタイトルを思わず熟視する読者もあるだろう。

原題は《the power of the dog》で、旧約聖書に収められた詩篇(宗教詩集)からとられている。その詩の一節は、一五〇篇からなる詩篇の二十二番目のもので──という口説は、日頃より海外のエッタテインメント文学に親しんでおられる読者諸氏にはいまさらだろう。なぜなら、原題そして巻頭言までが同じドン・ウィンズロウの『犬の力』という作品を既にご存じの筈だからだ。

ご承知のとおり『犬の力』は、『ザーカルテル』、『ザーボーダー』とともに、人生の三分一を費やしたというウィンズロウ畢生の三部作だが、米墨国境を挟んだ果てしなき麻薬戦争の宿命を負った二人の男の物語だった。そして、この『パワー・オブ・ザ・ドッグ』もまた、兄弟という運命で結ばれた男たちの物語なのである。ウィンズロウが本作を読んでいたという傍証はないが、その町能性を思うとなんとも興味をそそられる。

快活で賢いフィルに対し、物静かなジョージは堅実だが要領か悪かった。二歳違いのカウボーイの兄弟は、東海岸ボストンの有力な一族バーバンク家の一員だったか、西部で牧場主として成功した父の後を継ぎ、まるで双子のようなチームワークで牧場を切り盛りしていた。しかし一九二五年、夏、二人は、牛追いで訪れたビーチの町で、食堂を営む寡婦のローズとその一人息子ピーターに出会う。それが彼ら四人の運命を大きく狂わせていく。

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作者のトーマス・サヴェージ(一九一五~二〇〇三)は、カウボーイや溶接工、鉄道員等の職を経て、一九四〇年代半ばからは教鞭をとりなから小説を発表し、六七年にこの『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を上梓する。商業的な成功には至らなかったが、ニューヨークータイムズはギリシヤ神話と比較して論じ、評論家はサヴェージの最高傑作と評した。

作中に州の名前はないが、合衆国中部を流れるミズーリ川の源流が近く、近隣をノーザン・パシフィック鉄道か走り、ユタの州都ソルトレークシティーまで三百キロほどと説明されている。舞台となる大牧場は、作者自身か多感な時期を過ごしたモンタナ州南部だろう。

やはり作中に登場するユタ州のソルトレークシティーでサヴェージは生まれたが、二歳の時に両親は離婚し、少年時代を母親やその結婚相手とともにモンタナ州南西端のビーバーへッドの牧場で過ごすことになる。そこで母がアルコール依存に陥るのを目の当たりにし、自身も親元を離れ高校生活を送らねばならなくなった。『パワー・オブ・ザ・ドッド』からは、そんな自伝的な要素も垣問見える。

乏しい情報をネットであたると、サヴェージはウェスタン作家と呼ばれている。このウェスタンとは、先住民を仮想敵としたり、強盗と自警団の闘いを活劇調に描く大衆娯楽の西部劇ではなく、ヨーロッパからの移民による西部開拓の時代を捉えたフロンティア文学全般のことで、サヴェージをその書き手の末裔と位置づけての呼び方なのだろう。

それらの西部小説の主な時代背景は、植民地域の消滅を国が宣言した十九世紀末までだが、以降もカウボーイたちは西部の各地で牧畜業に携わった。また、開拓の被害者たる先住民の苦難の歴史も同様に続いていったことが、本作にある先住民親子のエピソードからも窺われる。

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一方で二十世紀に入ると時代か激変したのも事実で、作中人物の口の端にものぼるように、欧州の戦争を終わらせる名目で第一次世界大戦に参戦したウッドロウ・ウィルソンや、大戦後の目覚ましい経済成長を後押しした寡黙なカルビン・クーリッジら時の大統領が率いる狂騒の二十年代へ突入する。ジョージが口にする「人は時代とともに変わるべきだと思うよ」は、そんな時代の流れを踏まえているが、移りゆく世の中に苛立つ兄フィルヘ従順で心優しい弟からの数少ない諭しの言葉でもある。

フィルは一種の超人で、明晰な頭脳に加え、音楽や美術の才にも恵まれている。ジョージをからかっては笑いものにしているが、実は弟を深く理解し、大切に思っている。彼はローズとジョージの接近に、危機を本能的に察知する。実は、兄のこの不思議な力こそがタイトルにもある《犬の力》であり、フィルはローズの息子ピーターに理不尽ともいえる嫌悪感を募らせていく。

しかし差別意識の根底には恐怖心があると言われるように、なよなよと女性的に映っていた少年に気骨のようなものを見出すにつれ、フィルの唯我独尊な生き方は揺らぎ始める。事ある毎にフィルが郷愁をこめてふり返るブロンコ・ヘンリーという人物の思い出が、実は彼を怯えさせる過去の疵痕(きずあと)ではないかという疑惑が読者の心にも芽生えていく。

そこからの展開をやや唐突に思う向きもあるやもしれない。しかし改めて冒頭に立ち返り、読み返していただければ、そのさりげない描写の中に、密かに、しかし丁寧に不穏の種子が蒔かれていたことに気づく筈だ。読者は、作者の周到な企みに舌を巻くだろう。

この知られざる犯罪小説の秀作が、再び注目されるきっかけになった映画化の話にも触れておく。原作の男らしさ、ノスタルジア、裏切りのテーマに心を奪われたというジェーン・カンピオン監督(『ピアノーレッスン』)が、フィルにベネディクト・カンバーバッチ、弟の妻ローズにキルスティン・ダンストを配した映画は既に完成し、今秋のヴェネツィア国際映画祭でのワールドプレミアを待つばかりとなっている。権利を有するNetflixでの配信も含め、目に出来る日を楽しみに待ちたい。

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