見出し画像

山崎範子 谷根千編集後記傑作選

「谷根千」其の八十一号

Υ 引っ越しは思い出との決別だ、と思っていたがそうでもない。去った場所が年月を経て鮮やかに甦ったりする。嫌な思い出が薄まるのか、忘れっぽいのか。小さいころに住んだ、陽の当らない、空気の汚れた川口の町も、今はとても懐かしい。引っ越しはろ過装置なんだなあ。
 さて、この夏のふしぎな思い出。

Υ 京都の祇園祭で人込みの濁流から生還した夕方、銭湯帰りに花を持つ老女が話しかけてきた。「きれいやなぁ、きいつけて帰りぃや」私に言ったの?

Υ さっぱりと東京暮らしをたたんで山口県秋芳町の梨農家になった友人宅を訪ねた。仕所を見ながら行き先を調べていたら、秋吉台のバスセンターのお姉さんに「そのお家は三軒町のバス停の先をずっと行った右側」と教えられる。着いたところは里のはずれ、まったく違う家。とぼとぼ歩く道、灼熱の太陽。

Υ 玄関に巣を作ったアシナガバチ。日毎に家族を増やし、部屋数も増す。付き合いも深まって、恐さが可愛さに変化したころ、蜂の巣が消えた。これって盗難?

Υ 秋の彼岸に大菩薩嶺の大蔵高丸に登った。夫と山仲間が終の棲みかと勝手に決めた小さな岩が、頂きの松の木の根元にある。あたりは腰まで届きそうな笹原で、ガサガサと音がしたほうを見ると、イノシシか秋草の中を疾走していった。亥歳のキミはこんなとこにいたんだ。

画像1


「谷根千」其の八十三号

Υ 前号後遺症で銭湯通いが続いています。稲荷町の寿湯(露大風呂あり)、神楽坂の熱海湯(破風造りで富士山)や半蔵門のバン・ドゥーシユ(小さいが洗い場に石験とシャンプーがある)など。特筆すべきは北千住の梅の湯でした。みごとに昔ながらの銭湯で(つまり新しい設備がなにもない)、タオルを借りると(無料です)、これが十分洗いざらした年代物。湯が熱くてうめようとするとすかさず「ダメだよ、ぬるくなったら困るよ」、ドキリとすると「あんた意地悪いね、若い人が入るのに(若い?)」「じんじんするのがいいから教えてんの」「よしなよ、好きに入るんだから」とこれも年代物の女性たちが賑やかに風呂談議をはじめる。「あんたわかる? ここは井戸水を薪で沸かすから肌触りか違うよ」(うーん、わかんない)「もうあがんの」「またおいでよ」。足立は銭湯の宝庫です。

Υ キモノに明け暮れた三か月で背筋か伸びました。中濱潤子さんはスーツを持たないので、仕事であるワインの試飲会にはキモノで出席するそうです。薬剤師の安田博美さんは白衣かキモノか登山服の生活とか。中米やモンゴルに旅したときに、民族衣裳を日常着る人たちに会って嬉しかった。私もと思います。今度は「キモノで自転車」に挑戦しようっと。

Υ 四月と五月の水、木曜日、ネパールに行くチヒロさんに代わり「美奈子」に助っ人に入ります。おひまならきてよね。

画像3

「谷根千」其の七十号

Υ 団扇と鼈甲。どちらも「江戸」の冠がつく工芸品だが、一方は職人技として今もこの町に息づき、一方は消えてしまった。家内工業という働き方が、もうずいぶん前から日本中の町で、できなくなっている。今、「家族総出で‥‥」働くことってあるかなあ。

Υ ただ、木版刷りの江戸団扇は谷中いせ辰にありました。一本2800円。私が仕事場で使っているのは、そんな風流なものじゃなくて、文化祭で子どもらが作ったもの。もっぱらハエタタキ専用です。

Υ さて、七十号になりました。いつまで続くの? と聞かれると「ヘツ?」と答えてここまで。年商十億を目指してるんですが、わずかにふた桁ほど届かない。貧しさゆえの職場内殺人も起こらず、よく持ちこたえたもんです。十八年前から私たちを知る友人は、「Oさんは過程を大切にし(慎重だけど決断力がないってこと)、Yさんは結果がすべてで(安易で後先考えない)、Mさんは効果を最重視(先見の明があるが打算的)するから歯車かよく合うそうです。そうかなあ?

Υ 「やねせん銀幕探偵団」(愛称「銀団」)を設立しました。つまり、スクリーンに町の風景、懐かしい建物を探してきては吹聴しようというわけ。団員は現在、池之端のM嬢とアタシ。一段落したら活動開始です。さて、私の上半期ベストワンは「ノー・マンズ・ランド」。渋谷で上映中。


草の葉ライブラリー
山崎範子著「谷根千ワンダーランド」
近刊

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?