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宝物  子供語録   廣瀬嗣順

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最近、懇意にしている大新聞の編集委員と対話したとき、「note」のことが話題になり、その会食は大いに盛り上がった。彼は「note」をすでに脱会した元会員だったのだ。なんでも「note」に上陸したとき、この土地で新しい世界を築こうと情熱的に何本もの記事を書き込んでいった。ところがさっぱり《スキ》が飛んでこない。その記事を深くすればするほど《スキ》は飛んでこなくなる。編集委員としての彼のプライドは傷つくばかりだ。おれの書き込む言葉はこんなに価値のないものかと。ここで撤退するのはしゃくだから、「《スキ》を上げる方法を教えます」という有料のサイトを開き研究してみた。
すると《スキ》の数をあげる基本中の基本は、仲間を増やすことだと書かれている。それはあたりまえのことだが、その手法というものがえげつない。まず他者のサイトを開き、サイトをざっと眺めて(つまりそのサイトの内容などどうでもいい)、「あなたの記事に感動しました」という《スキ》を投じる。すると投じられたそのサイトの主が、あなたのサイトにおかえしの《スキ》を投じてくれる。こうしてまず他者のサイトに何十何百と《スキ》を投じていくと、やがてあなたのサイトにも何十何百の《スキ》が飛んでくるようになる。
正義感にあふれる彼はそんな偽りの《スキ》を一度も入れなかった。互いに《スキ》を下さいと偽りの《スキ》を飛ばし合って成り立っている《スキ》なるものの構造を知った彼はさっさと「note」を脱会した。 
彼が語るそのくだりを聞いたとき、私は赤面しながらも、素直に彼に白状した。私のサイトのフォローは二百近い数になっているが、もちろん心から素晴らしいと深く読み込んだサイトもあり、今でもしばしばそのサイトを訪問することもあるが、しかし大半が私のサイトに《スキ》を入れてくださいと卑しくねだった偽りの《スキ》だった、と。

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宝物   廣瀬嗣順


 東京に住んでいた頃、「どの季節が一番好き?」と訊かれたら、即座に、「秋!」と答えていた私だったが、秋が一番落ち着いて沈思で好きだった。
 安曇野での生活は、冬の季節が余りにも永いせいか、春の気配に非常に敏感になってしまった。大気が緩んでくると、無性に早く春に逢いたくなって、春を探しにでかけたくなる。ニュースでは、桜前線予報が南から徐々に北上してきていることを告げている。しかし、私たちが棲んでいる北アルプスの山麓では、その気配すらない。秋にスッカリ落葉してしまった裸樹のままだ。
 生命が絶えてしまったのじゃないかと思う程、物淋しげだ。しかし、同じ安曇野でも、ワサビ田附近には、しっかり春が訪れている。毎年決まって、妻と二人で、水の緩んだ万水川に向い、ワサビ田の対岸(黒沢明の「夢」のロケ現場であった)の小径を散策しながら春探しを始める。

 田の畔道には、名も知らぬ雑草が緑々と春が来ていることを告げている。ワサビ田を背に北アルプスを臨むと春霞で山岳がぼけてみえる。冬にはなかったことだ。北アルプスの稜線は真白でまだまだ冬以外の何ものでもない。しかし、まだ冷たい大気の中にも、ホッと春の暖かさを感じる。日に日に春めいて後一ヶ月もするとあらゆる草木が一斉に花を付けることになる。
 田にはまだ水は引かれていない。五月の初めには水も引かれ逆さアルプスが見られるだろう。春を感じながら臨む安曇野の風景が好きだ。曾って春になると蓮華が田一面に咲き誇ったにちがいない心象風景が浮かぶ。近代的な建物やクモの巣の如く張りめぐらされた電線、電柱も目に入らない。写真に切り取られた現実の風景と違って人の心の目で見る風景が変らず美しい。写真と絵画との違いのように今見ている風景は、私自身の心に焼き付いたかつての安曇野の風景にちがいない。百年、二百年前の人々と同じ風景を共有し合っている瞬間があることを感じる。

 そんな感慨に浸りながら小径を妻と歩いていると、そんな幻想を打ち破る事件が起きた。空から何と一尺もある紅鱒が私たちの目の前スレスレに降ってきたのだ。「空から魚が降って来た」。小説のタイトルにもなりそうなことが現実に起きたのだ。まだ生きている。血だらけになりながらもドクドク跳ねている。
 空を慌てて見上げると奪った獲物を落としてしまったトビがくるくると私たちの動向を窺っている。生きている魚を近くの清流に逃がしてやると、落し主のトビがすかさずその魚を又もしっかり捕えて悠然と飛び去ってしまった。春の珍事である。この近辺には、清流の水を利用して、養鱒場が多々ある。近辺の樹木には、それこそ無数のトビが虎視眈々と鱒を狙っているのだ。「おい、あまり大物を狙うなのよ」と鳥達に云ってみる。

 すべての生物が死に絶えてしまったかのように、動く物が何もなかった冬の時期が終って、春の気配を感じる頃になると、ジッーと土の上を観察しているとそれこそ多くの小さな虫たちが活動し始めている。日々にその種類が増え、「あ、生きていたんだなあ」と、ホッとさせる。五月、六月ともなると夥しい虫に辟易させられるのだが。
 この近辺には小鳥の森がある。まだ葉は付けていない。と、突然、妻が訊いてくる。
「ねえ、樹の緑には何種類位の色があるのかしらね?」
そうね、六十四種類位の微妙な緑があるんじゃない」
「そのくらいあるかもね。ほんとうに沢山の緑。でも何故知っているの?」
「ハッパ六十四というじゃないか」
 などとくだらないことをいいながら、心は次第に弾んでくる。

 こうして三月の末に春を探し歩いていると、いろいろなことに気付いたり、遭遇したりする。日々の微かな時間に、歩くことによって本当に多くの物を目にすることができる。
 何もなかった処に、芽が出て、葉を付け、突然、花をつける。刻々と舞台が変わってゆく。小さな処に目をやれる。次々と新しい発見がある。植物や虫たちだけじゃない。静かだった森も、野鳥のさえずりで、日増しに騒しくなってゆく。野鳥の種類も増え、産卵の時期を迎えることになる。居ながらにして勦・植物の営みを観察できるのは、此処ならではだろう。
 心の中に取り入れる宝物があっちこっちに一杯ころかっている。たぶん、誰もの生活附近に、多数の宝物がちりばめられているにちがいない。それに気付さえすれば、心一杯の倖せを取り込むことができるのに、普段の生活では気付こうとしない。いや、気付けないでいる。心が閉じていると何も感じない。何も見ていないのと同じだ。

 絵本館にこられる人にも同じことがいえる。入館料を払って、折角入って来ても、何も見ようとしない人達がいる。世界にたった一枚しかない作家のメッセージが織り込まれた原画に気付かないで通り過ぎてしまう。
 立ち止まって、フッと見れば、心の中に何かが入り込む筈だ。人生の中で、小さな倖せを上手に取り込める人と、全く気付かずに通り過ぎてしまう人がいる。私は心の目を大きく見開いて、心の中にいろんなものを感じさせてあげたい。「こんなことで」と笑う人がいるかもしれない。が、結構だ。私は大きな倖せより、小さな倖せの積み重ねが、人生を生き活きさせてくれるにちがいないと思っているのだから。(安曇野絵本館)

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子供語録  廣瀬嗣順


「お父さん、最近、人生楽しんでいないね」と小六の息子がポツッとつぶやく。彼の眼から見て、今の私が生き生きしていないように見えるらしい。それはドキッとさせられる言葉だ。
 東京から移住してきて、七年という歳月が流れている。此地での生活がすべて新鮮で、大気、光さえも愛しく思える心持ちであった。すべてが心の中に沁み込んで、心を活性化させてくれたようだ。
 自分の意志で安曇野の地を選び、自分の好きな仕事で生計を立てようというのだから、これ以上の事はない。そして心に余裕が生まれることは、こんなにも色々な事に気付けるものだということも学んだ。しかし、あれ程、沁み入ってきた自然の営み、変容も、知らず知らずの内に、仕事優先の中で、見失いがちになってきている。あれ程あった新鮮な感覚も色褪せてきている。そんな心の推移がどこか過ごし方に出てきているのだろう。

 移り住んだ七年前のことだ。二人の息子がまだ保育園児であった頃、二人が私たちの前にチョコンと座り、「お父さん、お母さん、ありがとう」と突然、言い出した。多分二人の言葉を借りるとここでの生活は「メチヤ楽しい」のであって、ここに来て「スゲエよかった」ということになるらしい。この言葉を聞いた時、将来の不安は見事に払拭され、「この選択は間違っていなかったんだよなあ」と思ったものだった。先が見えないにしろ、好きなことを新しくゼロから出発できることは新鮮で、夢を大きく膨ませることになる。そうした生き活きした私たち夫婦の生活ぶりを小さな目で見つめていたにちがいない。
 当り前の事ではあるが、子供らの目から親が仲良く、生き活き人生を楽しんでいる姿は子供らにとって最大の関心事だと思う。そして親が思っている以上に、彼らは親の生活ぶりを観察しているのに驚かされる。

 或る日、「ねえ、お父んとお母さんが結婚していなかったら、ボクたち生れてこなかったんでしょう?」と突飛な質問をしてきた。「お父さんが他の女性と結婚したり、お母さんが他の男性と結婚していたら、お前たちこの世に存在していなかったんだろうね」当り前のことなのに妙に納得してそう答えてしまった。「どうしてそんなことを急に訊くんだ」。「うん、生まれて来てすごくよかったと思っているから」とは上の息子。「うん、メチャ楽しいもんな」とは下の息子。「ふん、ふん、よかった」「よかった」とお互いの顔を見合わせて頷いていた。
 この会話は後になって深く考えさせられたのだ。当り前のことなのに、「生まれて来てよかった」と感謝して生きてきたかということ。そうした生き方を実践してきたかということなのだ。

 実際、彼らの生活ぶりを見ているとフルに楽しんだ活動をしている。朝六時四十分に家を出て、帰ってくるのは夕六時頃。ほぼ十二時間学校での生活、往き帰りの道草にと全霊を傾けている。彼らの顔を見ていると、かつて私もこうした子供の黄金時代を持っていたことがフッと想い起こさせる程だ。
 思わず、「うんと遊べ!」「思い切り遊べ!」といいたくなってしまう。実にいい顔をしている。子供くさいという表現がぴったりとくる。楽しかった一日の出来事を息を弾ませながら一気に語ってくる。親もこの一時を楽しみにしている。小さな倖せを感じる時でもある。親の子育てではなく、子の親育てがピタリとくる程、子供たちに教えられることが多々ある。大自然の圧倒的な静けさの中で、彼らの屈託のない笑顔がより一層、生きている実感を増幅させてくれる。

 上の息子と犬の散歩をしていた時のことだ。「お父さんの人生いいと思うよ」といわれた。お墨付きをもらった。親と子としてではなく、一人の人間としての見方を常日頃からしてもらいたいと思っていたものだから妙に心が踊り出してしまった。同性ということもあってか、子供の目に私がどう映し出されているかを時々意識することがある。それは親としてよりはむしろ生きている人間としてどう映るかなのだ。思えば、私自身の子供の頃、親の生き方に無関心ではなかったように思える。色々な質問をぶつけてみては、人間としての容量を推し測っていたように思える。生憎、父に関しては反面教師となってしまったのだが。それでもいいと思う。一番身近かな人間の生き方を通して、彼らが観察し、無意識の間に自分を形成してゆくものだから。
 彼らは知らず知らず様々な原体験を通して〈人生〉というものを修得していく。自主性も能動性も創造性もこうした体験の積み重ねの中で学んでいくことになるだろう。

 幼児期、少年期の過ごし方が大人になってから生き方の礎を形成していることは確かだ。「人間は遊んでいる時だけが、実は、完全な人間なのだ」とシラーがいっている通り、「メチャ楽しい」のであって、子供たちも大人になっても、同じ気持ちをもって生きていられたら素晴らしい人生になるだろうが、なかなかそうはいかない。しかし、子供時代の「メチャ楽しい」原体験が生きる力を養っていることも頷ける。そして、その根底には「生れてきてよかった」といえることが大事なのかもしれない。忘れていたことが子供の言葉によって再認識されるとは、その洞察力には恐れ入る。子供の言葉だから大意はないのかもしれないが、時には心にグサッと入り込んでくる。
「お父さんの人生、楽しそうだね」
 そんな生き方をしたいものだ。そして、親の知らぬ間に子供たちは子供なりの人生を歩んでいるのかもしれない。(安曇野絵本館)

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