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田舎独楽の話   帆足孝治


第14章
山里こども風土記  森と清流と遊びと伝説と文化の記録


田舎独楽の話   帆足孝治


 男の子の遊びの王様

 コマは漢字で書くと「独楽」で、いかにも独りで楽しめる娯楽という感じが込められているが、私が子供の頃過ごした大分県の山間部ではみんなで楽しむための、男の子が最も好んだゲームだった。

 戦後、まだ日本中が貧乏だったころは、田舎では子供たちが良く家の手伝いをして働いた。朝は鶏飼い(鶏に餌をやること)に始まり、学校から帰ると薪拾い、赤子負い(赤ん坊の面倒を見ること)、水汲み、風呂炊き、はては家畜の世話(農作業を終えた牛馬に餌をやったり、川に連れて行って水を飲ませたり洗ってやったりすること)などなど、実に良く働かされた。子供といえども農家では小学校三、四年にもなれば立派な労働の担い手として当てにされていたので、特に農繁期には、日頃の遊び仲間が遊んでいるのが見えても、次から次へと仕事を言いつけられてなかなか遊びに抜け出していくことができなかった。

 それでも遊びたい盛りの子供達は、逞しくも上手に暇を見つけては家から抜け出して実に良く遊んだ。春は苺摘み、竹馬乗り、缶蹴り、ゴム銃遊び、野球など、夏には水浴び、魚取り、釣り、秋は栗拾いやアケビ採り、冬にはラムネ(ビー玉)遊び、パッチン(打ち起こし、メンコのこと)、鉄輪回し、凧上げ、ゴマ(独楽)回し、探検ごっこ、野兎や鳥を狙った罠掛け、ソリ遊びなどと、子供達は皆遊びの達人だった。その中でも、田舎の男の子たちの最大の遊びは、幼児から中学生まで誰でも参加できるコマ同しだった。

 この辺りでは、昔からコマのことをゴマと濁って発音する。妖怪の河童や雨具の合羽のことを、いずれもカッパとはいわず「ガッパ」と発音していたのと同じで、最初の語を濁らせるのはこの地方独特のものである。したがってコマ回しは、ここでは「ゴマ回し」とよばれた。

 コマなどというと、何やら暖かい部屋の中やテーブルの上で女の子や幼児が遊ぶ遊戯か、あるいは曲芸師が回しながら日本刀の刃の上に乗せて見せたりするあの上品なコマのようなものを想像してしまうが、ここでいうコマ回しは、ただコマを回して楽しむだけの遊びではない。いかに人よりも上手に回すかという競争であり、いかにして人のコマより勢いよく、息長く回して勝つか、という競技である。そして最後は回っている相手のコマを、いかにして自分のコマより早くダメにしてしまうか、その腕と技を競うのである。

 したがってコマはコマでも、ここでいうコマはこの地方独特のもので、関東の「ベーゴマ」のような小さなコマと違って形も大きさもまちまちで、作る方も遊ぶ方も高度な技術が求められる非常に奥の深い遊びだった。

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コマ回しゲームの仕組み

 コマ回しは男の子たちのグループ遊びだからそれには厳しいルールがあり、それに則ったやり方で勝たなければならない。したがって、これに強い、いつも勝てる子は、子供たちの尊敬を集め、コマ遊びをしているときだけは何だかえらく大人っぽく見えたりしたものである。私が育った上ノ市という戸数三十足らずの部落の中でも、当時はコマ回しの卓越して上手な子供が二人いて、子供たちの尊敬を集めていた。

 ゲームはいつもこの二人を中心に始まるのだが、彼らに共通しているのは、いつも中型の実に手入れの行き届いたいいコマをもっていることだった。他の子供たちがどんなに競技に強いコマ、つまりいったん回りだすと慣性が大きくていつまでも回り続ける回転時間の長い大型のコマをもってきても、彼らは決してあわてることなく、自分の中型コマを上手に回して、これら大型のへぼゴマを確実にこけさせてしまうのである。
 
 技の上手、下手は悲しいほどに結果を明白にわけてしまう。どんなにいいコマをもっていても、腕が伴わなければコマ回しゲームに勝つことはほとんど不可能である。私などは東京育ちの気弱さと力不足いうハンデもあったから、何事にも器用に対応するような育ち方をした田舎の子供たちにはどうしても劣るところがあって、特にこのコマ回しでは天下をとったことなどついに一度もなかった。競争心は人後に落ちないものを持っていたはずだが、なかなか技量が伴わないので、仲間に入れてもらう技術水準に達するまでがなかなか大変だった。

 まだ上手にコマ回しができない、やっとコマを回せるようになったばかりの子や、不器用で競技になるといつも負けてばかりいる子は、それはそれでそのような激しい競技に参加しないで、同レベルの子供とただ静かにコマを回して、ただ回り続ける時間を楽しむという単純な遊び方もある。しかし、コマ回しの本当の面白さや楽しさは、勝つためにあらゆる工夫をしてその巧拙を競う点にある。皆でやるコマ回しはゲームで技量を競うことであり、その目的は勝つことにある。それだけにコマ同し競技は結構複雑で高度な技術を要するものである。
 
 ゲームは、まずジャンケンで最初にコマを回し始める者を選ぶ。一番負けたものがそれになるのである。次いでだんだん後に回す者を決めていく。すべては兵隊の階級で呼ばれ、少将、中将、大将といった具合にだんだん上がって行き、最後まで勝ち残った者が天下となるのである。
 
 最初はジャンケンで決めるのだが、いったんゲームが始まると、後はコマ回しの技量がすべてとなり、上手な者は上位を占めることができるが、下手な者はいつまでも上にあがれないで最下位あたりをウロウロしている。上位に上がろうとすれば、自分より上位の者を負かして引きずり下ろすよりほかない。したがって、上位を占め続けるためには、相手に負けない絶対の技量を持っていなければならないし、その技量を維持するために人に言われぬ努力が必要である。

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攻撃の仕方

 ゲームは、まず天下の号令で最下位の少年が勢い良くコマを回す。これを専門用語では「コマを敷く」という。そして、これに対して最下位の次ぎの少年がコマを叩き付けるようにして回す。叩きつけても、自分のコマが回らなければ話しにならないから、相手をやっつけるよりもまず自分のコマを勢い良く回す技術が先決である。ゲームは相手のコマより自分の独楽が長く間を回っていれば良い、つまり勝ちとなるのだから、一般常識としては慣性の大きな重いコマが有利ではあるが、重量の大きなコマはそれだけ勢いよく回転を与えるのが難しいので、これを思い通りに操るにはそれだけの技術がなければならない。理論的には性能のよいコマなら回し手に大した技量はなくても、ただ勢い良く回せば大抵は勝てるはずなのだが、実際の競技となるとそうはならないので面白い。

 ただ、相手が自分のものより出来の良い(つまり性能のいい、息の長い)コマを持っている場合は、たとえ自分が相手よりも勢い良く回せたとしても、これに勝つのは容易ではない。したがって確実に相手に勝つには、息の長い相手のコマを自分のコマより先にコケさせるための技を身につける必要がある。

 そんな技を駆使せずとも相手のコマより長く回り続けさせる自信がある者は、相手のコマに関わりなく、ただ自分のコマを思い切り勢いよく回せばよいが、そういう勝ち方では面白くない。そして勝てそうにない場合は、相手のコマの息を止めるために、自分のコマを、回っている相手のコマにぶつけてコケさせてしまう方法がある。「攻撃」である。この攻撃を有効に行うには、回っている相手のコマの重心、あるいはその近くに自分のコマの剣を突き立てるようにぶつけるのがよい。

 その場合でも、相手をコケさせることはできても自分のコマが回りつづけていなければ話にならないので、一発で相手を倒せなかったら、回っている自分のコマを手の平に乗せて、これを相手のコマの上に落とし、コケさせるまでこれを繰り返す。これは、よほど上手にやらないと、手に乗せるたびに自分のコマの回転の勢いを殺(そ)ぐことになるので、ついには相手がまだ回っているのに自分の方が先にコケて自滅するという事態を招きかねない。

 そこで相手に勝つための技量が必要になり、同時に、相手より性能の良いコマを手に入れることが必要になるのである。とくに大事なのは、コマを手のひらに乗せるのにも、同転の勢いを殺がないやり方を学ぶことである。

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コマ回しの達人

 コマ回しの達人になるための何よりの前提は、まず良く回るコマを手に入れる確かな目を養うことである。いくら回すのが上手でも、手持ちのコマが悪くてはどうにもならない。例えば、重心がずれているコマは回転が安定せず、回転の息も短い。もちろん、ある程度の修正は剣の打ち方を工夫する事でカバーできるが、それにも限界があり、重心が大きくずれている──つまり木目のとり方が悪い、いわゆる「ガタゴマ」は回転している間ガタガタと動きまわるので、その分だけ抵抗が大きく回転力にロスが心ずるため例外なく回転の息が短い。

 コマを買い求めるときに、間違ってもそういった粗悪な台(コマの本体、コマは台と剣からなっている)を買ってはいけない。重心が良く、木質が良く、木の中心を削って作った木目の正しい、割れにくくて良く回る台を選ぶ目を養うことが大切である。慣れてくると店頭に並んでいるコマの台を手にとって見るだけで、良い台と悪い台を見分けることができるようになるものである。

 私が子供だった頃は、木工所のおじさんが子供たちの要望を聞いて、見ている前でコマ台を削りだしてくれたものである。野球のバットやコケシ人形を削りだすように、ツバキ、シイ、カシ、カエデなどの木をろくろに取り付け、これを勢い良く回転させながらノミをあてて削りだしていくのである。コマの形はほとんどこのおじさんたちのセンスで決まってしまう。だから格好のよいコマを削りだす木工所のおじさんは子供たちの人気を集めるが、反対に不細工なコマしか作れない木工所には、目の肥えた子供は寄り付かなくなる。子供の目は厳しいものである。

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性能の決め手は剣

 一方、コマの剣を手に入れるのも容易ではない。なにしろ、小さな子供相手の商品なので、鍛冶屋も商売にならないから、よほど暇な時でないと作ってくれない。コマの台にふさわしい、気に入った大きさの剣を入手するのはなかなか大変なのである。だから私たちは、当時、森町や玖珠町のあちこちにあった鍛冶屋を訪ね回って、頼み込んで剣を打ってもらった。

剣造りは農具などをつくったあとの余り鉄を鍛えてつくるので、モノは小さいが鍛冶屋の若い見習い衆の練習には恰好の仕事である。私たちは希望どおりに請け負って作ってくれる鍛冶屋に行き当たると、その作業場の外に陣取って、剣ができるまでフイゴでコークスが真っ赤に燃え上がる中から引き出される小さな鉄芯が鉄床(かなどこ)で慎重に打ち出されるのを見守った。

 さて、苦労して選んで買ったコマ台でも、いざ剣を打ち込んで回してみると、案外にガタゴマだったりすることが良くある。限られた小遣いで買うコマだから、子供とはいえ間違っても愚台を買わされることがないよう、モノを見る目を養わなければならない。

 首尾よくできの良い優れた台を買うことができたら、これを持ち帰って水を張ったタライや洗面器にこれを浮かべて見るといい。良い台は水平にしっかり浮かぶものだが、大抵のコマは良く見るとどちらかに傾いで浮かぶ。この傾きを良く見て記憶しておき、剣を打ち込む際にはこの剣を傾きに合わせて打ち込むことが肝要である。この剣の打ち込み方がコマの性能の生命となる。それだけに、剣の打ち込み方は慎重の上にも慎重を重ねなければならない。

 まず、神社の石段のような安定した水平な面を持つ石の上にコマを上向きに置いて、剣を打ち込むべきコマの中心位置を慎重に見極める。次に、石か、できれば金槌で慎重かつ大胆に剣を少し打ち込む。一ぺんに深く打ち込んでしまっては、その後の調整ができなくなるし、下手をするとコマにヒビを入れたり、この段階で台を割ってしまったりすることもあるから気をつけなければならない。

 台につき刺さった剣がしっかり固定され、剣をもってコマを持ち上げても抜けない程度に打ち込んだら、両手で剣を挟んでコマを持ち上げ、キリを揉むように両手でコマを回してみる。そのときの感触で、コマがスムースに回るようなら、そのままコマを上向きに回しながら空中に放り上げる。何度もこれを繰り返しながら、空中でのコマの揺れ具合や澄み具合を見極めるのである。正しい位置に、正しく芯がささっていれば、コマは空中でも澄んだ軌跡を残すものである。

 空中でのコマが回転しながらカタカタ揺れるような場合は、剣の刺さっている位置が悪いか、剣を打ち込んだ角度が悪いかのどちらかである。剣の位置が悪るければ、これを引き抜いて、正しい位置に打ち直せば良いし、剣の角度が間違っていれば、金槌で加減しながら打ち込んでいけばいい。少し打ち込んでは空中に放り上げて軌跡を確かめ、再び少し打ち込む。これを繰り返しながらだんだん深く剣を打ち込んでいく。これが調整である。何度もこれを繰り返すので、柔らかい子供の手のひらは終いにはカサカサに傷ついて、あかぎれができたようになる。それでもいいコマを作り上げるために子供は工夫を重ねるのである。

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良く澄むコマ

 よくできたコマは空中でも澄んだ軌跡を見せるし、回した時もよく澄む。無駄な動きがなく、まるで停止しているかのようにみえる。勢い良く回転しているコマに耳を近づけると、爽やかで涼しげなサアーンという音が徼かに聞こえる。こういうコマは、回転している間は手のひらに乗せても非常に軽く感じるものである。

 これに対して、出来の悪いコマはいくら勢い良く回しても、カタカタと動き回り一時もじっとしていない。手のひらに乗せてみると実際よりもずっしりと重く感じるからふしぎである。こういうコマに限って息が短く、すぐにグラグラとゆれ始め、瞬く間にこけてしまう。このグラグラする状態を子供達は「コマが笑う」と表現する。

 さて、いいコマを手に入れて、自信がついたら丹精込めて育てたコマをもっていよいよ競技に臨むわけだが、いきなり猛者揃いの中に乗り込んで行くのは危険が大きすぎる。コマの達人とも言える悪ガキどもは、初顔が来ると「新人を叩くのは最初が肝心、のさばらせては後が良くない、やっつけるなら徹底的に!」という鉄則を実賎して、痛めつけようと待ち構えているからだ。
 
 新入りが先ずコマを敷く(最初にコマを回すこと)と、「待ってました!」とばかりに、その上のものが激しい勢いでコマを打ち掛けてくる。それも、ヤスリを掛けてギラギラ光るまで研ぎ澄ました鋭い剣で、あわよくば叩き割るか、一撃のもとに仕留めてやろうと狙いを定めて叩き付けるのである。

 ゲームでは、自分より先に回したコマに対しては、上位にあるものは遠慮会釈無しに攻撃できる。例えば、攻撃者はその剣で相手の独楽を一撃のもとに倒せば勝ちとなり、運よくその一撃で相手のコマを割ることができれば相手の剣を貰うこともできる。 したがって新入りとしては、相手のコマの鋭い剣の最初の一撃をどうかわすかが大事である。鋭い相手の剣による攻撃をまともに受けないために、コマの台に蝋(ろう)や油をたっぷり塗って、相手の剣が滑りやすくしておくことも効果がある。クチナシの実を絞ってそのヌルヌルを塗るのも有効だった。

 攻撃を受けても、相手の剣が滑ってしまえばこちらが受けるダメージは少ないし、相手も乾坤一擲の攻撃に失敗して、万一自分のコマが回らなかったりしたら、それこそ笑いものになるのだから真剣だ。

 第一撃をかわすことさえできれば、あとは相手より長く回っていてさえくれれば勝負に勝てる。攻める方もそうはさせじと、今度は自分のコマを掌に乗せてこれを相手の回っているコマの上にできるだけ強くぶつけて相手をコケさせようと試みる。回転しているコマに同じく回転しているコマをぶつけてやっつけるのだから、勝負は微妙である。

 うまくツボに当たれば一発で相手を倒すことができるが、普通はぶつけた方もダメージを受ける。ぶつけた瞬間に回転エネルギーを大きくロスする。また、コマは掌に乗せる度に回転の勢いを失うので、よほど上手にやらないと攻撃側が先にこけてしまうこともしばしばある。負けたら次の回は最下位転落で、コマを敷く役に落ちぶれる。上手ならすぐ上位に返り咲くこともできるが、そうでないと転落したが最後、ずっと下位をうろうろしていなければならなくなる。

 上位の者が、地位を転落しないで済む最も安全な方法は、みている連中に何といわれようとも、相手を攻撃したりせずに、ただ相手より長く回し続けることである。相手を攻撃するのは、まず自分が上位に返り咲いてからのことである。これには何と言ってもコマの性能がものを言う。

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良いコマを育てるのは愛情

 長時間回り続ける性能のいいコマを持つには、先ず気に入ったコマを手に入れ、これに愛情を注いで大事に育てるように改良を加え、修理・手当てして行くことが大切だ。粗末に扱えばコマだって使い手の思うようには働いてくれない。夜はコマを抱いて寝るのはもちろん、もし乾燥し過ぎれば水に濡らした布を巻いておき、ひび割れが出ないように気をつける。たとえば夏が来てコマのシーズンが終わると、次の冬がくるまで長い休戦になる。長期にわたって使わない場合は、剣を抜いて休ませておくくらいの心配りが必要である。こうして愛情を注いでいるうちに、持ち主の気持ちがコマにも伝わるようになればしめたものである。

 剣は相手を攻撃する武器だから、鈍くならないよう逐次ヤスリをかけて尖らせておくことが肝要である。回転しているコマをうっかり手のひらに乗せると手のひらに穴が開くこともあるが、よく澄むコマは回転している間は非常に軽いので、掌に穴が開くようなことはほとんどない。逆に性能の悪い重いコマは、手のひらにつき刺さるように重く感じるので、痛くて手に乗せるのも容易ではない。

 コマ回し競技は勝負だから、相手のコマを負かすためには定められたルールを守らなければならないことは言うまでもない。ゲームには誰でも、また幾人でも参加できるから、いつもコマ回しには大勢の子供たちが集まる。したがって、汚い(ずるい)手を使って勝とうとしても監視の目が多いだけにすぐバレてしまう。ずるい手を使うことは皆から最も嫌われる。不正があってはゲームが成立しないのだから、それだけに監視の目が厳しく、しかも鋭いのである。たかがコマ回しと言っても、これは大人も顔負けの厳しさを持つ、しかも極めて民主的な遊びなのである。

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大事な紐の役劃

 コマを勢い良く回すために無視できないのは紐の良し悪しである。一般に、コマ回しの紐は適度に細く長いものが良く、先にいくほど細くなっているものが使いやすい。 紐は後ろにいくにしたがってだんだん太くなり、最後は小指と薬指の間の股に挾むためにしっかりした結び目を作っておく。できればここに寛永通宝のような古銭を通しておくと、勢い良く叩き付けて回す際にも間違ってスッポぬけるようなことがない。

 コマに紐を巻くときは、紐の先に唾をつけて、まず剣にしっかりと巻き付ける。これが旨くできないと、いざコマを投げて回そうとしたとき、いわゆるスッポ抜けになって、コマに回転をつけることができない。だから紐はまず剣にしっかり固定しなければならない。そのために子供達は常に剣にヤスリをかけて、剣の四方のエッジを鋭く尖らせておくのである。これに紐の先端をしっかり固定させたら、今度は紐を男巻き(左手でしっかりとコマを握り、右手で向こうから手前に引きつけるように巻いていくこと)に巻きつけていく。

 紐を巻きつけおわったら、自分の番が来てコマを回すまで、これが緩まないように右手でしっかり握っていなければならない。そして、自分の番が来たらピッチャーがボールを投げるように、地面に向けて強く叩き付けるようにして回す。

 旨くいくと、コマは唸りを生じて勢い良く回る。回し手は、その勢いをできるだけ長続きするよう、コマの回転の妨げになりそうなものは小石でもゴミでもどんどん取り除いていく。それでも回転の勢いはどんどん弱まるので、紐を短く持って回転するコマの右端をヒシヒシ叩き、何とか勢いを継続させる努力をする。実際にはこんな方法では回転力を強めることは殆ど不可能なのだが、熱中してくると何もしないで見ているわけにはいかなくなるのである。

 終戦直後のモノが無かった時代には、コマを回す紐もなかなか手に入らなかった。よく、吊し柿の粗末なワラ縄を使って笑いものになる子もいた。だから、前線から復員してくる兵隊さんが持ち帰った落下傘の紐などは特別に重宝がられたものである。本当は、コマ回しにはやや太いのだが、鼻タレ小僧たちに不似合いな純白の絹糸をより込んだ丈夫な紐は、なにやら大切な「宝モノ」に見えて、大いに重宝がられたものである。

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厳しい足抜けのルール

 さて、いくら田舎の家が大きいとはいえ、多勢の子供達が一度に集まってやるコマ回しを受け入れられる家はそうざらにはない。したがって、坪(つぼ=庭のこと)の広い家は子供達に狙われやすい。学校が休みの日は、朝から子供達がどこからともなく集まってくる。冬の朝、まだ陽が上らないうちにそこここでコマ回しが始まる。霜で地面が固まっている間がコマ回しには一番適しているのだ。今日のように舗装道路などなかった田舎では、農家の坪を借りて遊ぶより仕方がない。

 時間が経つにつれて隅が昇り、気温が上がってくると坪は次第にぬかるんで来る。コマの剣があちこちに穴ぼこをあけるので、地面が堅いうちは子供達の遊びを黙認していた家の主も、しまいには我慢出来なくなって子供達の立ち退きを求めて来る。坪をベチャベチャにされては、ムシロを広げて籾や大根や芋がらなどを干すことが出来なくなるからだ。

 それでも子供達の粘りに根負けして、坪を一日占領されてしまうことも珍しくない。そうなるとコマ回しゲームはいきおい夕方、暗くなるまで続く。夕餉の時間が近づくと、多くの家庭は子供に水を汲ませたり赤ん坊の面倒を見させたり、家畜の世話をさせたりするので、何時までも遊ばせてはおくわけにはいかない。

辺りが薄暗くなるまで熱中して遊んでいると、「けんちゃん! いい加減に止めて帰って来なさい!」とか、「まさる! いつまで遊んでるんだ!」などと親に呼び帰される子供がふえてくる。中には遊んでいるのに背中に赤ん坊を縛り付けられる可哀そうな子供も出てくる。

 夢中になって遊んでいる子供──特に大将とか天下といった上位にあって楽しい思いをしている子供はいつまでも止めたくないは当然で、下位の子供に抜けられては困る。だから、親に呼ばれた子供が抜けていくのは仕方ないが、問題は、そうでない子がそろそろ抜けたいと思っても、なかなか止めさせてくれないことである。

 やられてばかりで詰まらないから止めようという子は、ウムシという罰を覚悟しなければならない。「ウムシ」とは「生蒸し」とでも書くのか、そういう子が止めたいと申し出ると、ガキどもはその子のコマを地面に穿った穴に半埋めにして置き、これに下位の者から順番に一回づつに限って攻撃することができる。こういう子が持っているコマは大抵の場合は新品だから、やっかみと軽蔑から、ガキ大将どもの恰好の攻撃目標になるのである。

 回っているコマとちがって相手は地面に固定されているのだから、剣で相手を傷付けることは比較的やさしい。五人も六人もの攻撃をうけるとどうしてもコマは傷だらけになって、運が悪いと割れてしまうことすらある。割られたコマをもって泣きながら帰っていく、という哀れな場面もしばしば見られ、なにやらヤクザがアシを洗う場面を連想させるものがある。

 しかし、こうしてコマを割られたからといって親が怒って怒鳴り込んできたなどということは聞いたことがない。子供たちが守っているルールを、大大たちが勝手な解釈で介入したりはしないのである。それくらい大人は子供を信頼していたし、あの頃は子供の方もいよいよ困ったとき以外は親を頼んだりはしなかったように思う。

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消え行く「子供の遊び」という文化

 こうした田舎ゴマは、この地方では随分昔からあったらしい。私は祖父から昔のコマ遊びの様子を聞いたことがあるが、その遊び方はその当時と大して変わってはいなかったようだ。

 最近、フランスのテレビ局が放送したドキュメント番組に台湾の山岳民族の日常生活をじっくり取材したものがあったが、パリのホテルで偶然その番組を見た私は、その中に出てくる子供たちのコマ遊びがあまりにも私の子供時代のそれに良く似ていたものだったから大いに驚いた。これこそわが玖珠地方の子供たちがやってきたコマ遊びの原点だ、という気がしたからだ。

 見ていると、コマそのものは大人が手頃な太さの木を鉈で削って作っていたが、そのコマは鉄の芯をつかわず、コマの台そのものを尖らせて回していた。鉈一本で杭をつくるように丸太をぐるぐる回しながらエンピツを削る要領で先を尖らせていき、最後にその尖った部分を切り取ると、少し細長いが形のいいコマになっている。そのままではなにぶんにも荒削りすぎるので、同じ鉈をつかって形を整えながら丁寧に仕上げていく。といっても山岳地で遊ぶコマではそうツルツルに仕上げた上品なコマは似合わない。またその必要もないらしく、結構荒削りのまま形を整えたコマであった。

 コマ回しをやっていたのは子供とはいっても結構大きな子たちだったから、これは日本とちがって、あるいは大人でもコマ回しをするのかもしれない。回す紐は大人のお箸ほどの細い棒の先についているようで、棒のしなりもコマを勢い良く回すための役目を果しているようだった。汚れた綿入りを着た三人の子供がイチ、ニ、サンで一斉に勢い良く回すのだが、地面にたたきつけるように回すやり方は私が子供の頃遊んだやり方と全く同じで、ただ、回転の息(時間)の長さを競っているだけらしく、コマの右端を紐でピシピシ懸命に叩いたりするのは同じだったが、相手を攻撃したりするふうはなかった。

 紐の巻き方も左手でコマを持って右手で向こうから手前に向けて巻く、いわゆる男巻きだったが、何よりも驚いたのは彼らの服装である。かすり模様? の綿入り着物に裸足または草履履きという出で立ちは、貧乏だったあの頃の日本の子供と全く同じであった。私は、あれを見ても、日本の風俗や文化は台湾と同じく南方から渡ってきた人達がもたらしたものであるとの思いを強くした。すくなくとも、特に九州山間部に住んできたわれわれの祖先は、南方の人々の文化を受け継いできたことは間違いなさそうである。

 最近は遊びが多様化し、山間の田舎でも子供たちは勉強が忙しくなって、もう彼らがコマ遊びに興ずる姿を見ることはなくなった。したがって玖珠でも、おもちや屋はおろか、最近流行の木工店や名産土産屋などを覗いても、あのコマが売られているのを見かけることはほとんどない。当時あんなに流行ったコマはどこにいってしまったのだろうかと不思議に思われるほどである。

 コマが姿を消すと同時に、あの子供たちが寝る間も惜しんで育て競った腕や技もあっという間に廃れてしまった。子供たちの見ている前で見事な出来栄えの恰好のいいコマを削りだした木工職人も、あの小さくて難しい剣を打ち出した鍛冶屋も、需要がなくなってしまってはその伝統や技術を維持することはできない。

 コマ回しくらい田舎の男の子たちが熱中して楽しんだ遊びは、他にそう幾つもないだろう。あの大勢の子供たちの喚声と、唸りを発して回るあのコマの澄んだ回転音は今はどこへ行ってしまったのだろうか。田舎の子供たちから、また一つ文化が消えてしまったのは返すがえすも惜しまれる。

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帆足孝治著「山里こども風土記」は《草の葉ライブラリー》より近刊。

ほあし1


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