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日本から消えていくウォルト・ホイットマン

ロバートアンリ3

私自身の歌 白鳥省吾訳
私は肉体を歌う詩人であり、また霊魂を歌う詩人である/天国の悦楽は私と共にありまた地獄の苦悩も私と共にある/前者を私に接木して増大させ、後者を新しい言葉に翻訳する/私は女性を歌う詩人であると同時に男性を歌う詩人である/女性たることも男性たることも共に偉大だと私は言う/また人々の母たることより偉大なことはないと私は言う/私は拡大と自尊の歌を歌う/私達は叩頭と哀願とをあまりにやり過ぎた/私は物の大きさは単に発展にあることも示そう。

創造のための法則 白鳥省吾訳
ありふれたものを私は歌う/健康は何と安いものではないか! 品性の高潔は何と安いものではないか!/節制にして、不正もなく暴食もなく強欲もなく/私は屋外の空気を歌う、自由と寛容を歌う/(此処で最も大切な学識を学ぶ書物から出来るだけ少なく学校からも出来るだけ少なく)/平凡な昼と夜と、平凡な大地と水とを/君の農園君の仕事と商売と職業を/確たる大地がすべてのためにあるように、其の基底に民主的な叡智がある。

            
ヴィジョンを生きる 酒井雅之   草の葉 岩波書店 1971年刊行
彼がジャーナリストから詩人に変身していく過程は、ヴィジョンの現実によって裏切られ、孤立し、その鬱屈した思いが表現を求めてほとばしり出ていく過程と等しいものである。三篇の詩が、いずれも孤立したヴィジョンの悲しみや怒りに導かれて、おのずから新しいリズムや詩法を獲得しているとこは、彼の詩人への変身が、けっして一般に言われているような「奇跡」ではなく、まさに必然的な過程であった。もっと具体的に言うと、現実のさ中で圧殺されたヴィジョンが、いわばそれ自身として蘇生していく過程であった。

ウォルト・ホイットマン 亀井俊介 アメリカ古典文庫 W・ホイットマン 研究社 1976年刊行
本書は、通常のホイットマン詩文集とちがって、詩よりもむしろ散文を多く収めた。アメリカ文化の総合的な理解の助けとなることを目指すこの「アメリカ古典文庫」の一冊であることを考慮して、ホイットマンの政治、社会、思想、文学の展開を、なるべく直接的に把握できる形で紹介したかったからである。それでなくても、ホイットマンの散文は、従来、日本で十分に知られていたとはいいにくい。それに、きわめて重要なのはまだ翻訳されていなかったものもある。だから、散文作品をぜひ豊富に紹介したかった。

生命の海とともに潮ひくとき 長沼重隆訳
よく行く浜辺を私がたどるとき/磯波(いそなみ)が絶え間なく、ポウマノクの島を洗うあたり/嗄(しわが)れた唇音(しんおん)で、波のさざめくあたりを歩くとき/こわいような老母が、彼女の難破者を求めてしきりに叫ぶところ/秋の日の暮れ近く、物思いに耽(ふけ)りながら、遥か南方を眺めやり/詩を口誦(くちずさ)むという誇りから、この緊張した自己に捉えられた私は/足もとの汀(みぎわ)の線に跡づけてゆく聖霊に取り憑かれたのだ/水面と沈澱物は、地球のあらゆる海洋と陸地とを表象している。

わが胸のかぐわしい草 長沼重隆訳
お前からの葉を拾い集め、後の日に味読されるようにと、私は書く/私を超え、死をも乗り超えて生長する墓場の詩を、肉体の詩を/多年生の根とすばらしい葉と、おお、冬もか弱い葉のお前を凍えさせてはならぬ/年ごとに、お前はその隠処(かくれが)からふたたび現われ出て、またも花をつけるだろう/おお、どれだけの人が、通りすがりにお前を見つけ出し、またお前のかすかな匂いを嗅ぐかどうか私は知らない。が、少しはあると信ずる/私はお前の抱くその心持を、お前の思いどおりに話すことを許してやる。

私はルイジアナで一本の樫の木の伸びゆくのを見た 長沼重隆訳
その木は全く独りぼっちに立って居て、枝から苔が垂れさがっていため/仲間もなにもなく、樹はそこに生い立ち、歓ばしげな黒褐の葉を、物言うように、戦(そよ)がせていた/そして、その無雑作な、物に屈せぬ、頑丈な様子は、私に自分自身を見る思いいをさせた/だが私は、近くに仲間もなく、孤独にそこに突立っていながら、どうして歓ばしげな葉を戦がしておられるかと不思議に思った/何故なら、この私にはそれが出来ないのを知っているからだ、

               
平等主義の代表者ウォルト・ホイットマン 夏目漱石
さらば「ホイットマン」の平等主義は、如何にして英詩中に出現するかといふに、第一彼の詩は時間的に平等なり、次に空間的に平等なり。人間を視ること平等に、山河禽獣を遇すること平等なり。平等の二字全巻を掩ふて遺す所なし。時間的に平等なりとは、古人において崇拝する所なく、又無上に前代をありがたがる癖なきを言う。その言にいわく。古人も人間なり、我も人間なり。

ワルト・ホイットマンの一断面 有島武郎
私は明らかにここに予言することができる。私の内部の声が告げるところによれば、ホイットマンは来たるべき時代を生み出す野の声である。ホイットマンの思想に避くべき何者もない。生活の充実した部分で彼に触れて見たまえ、彼ぐらい生きた膚触りを与えるものはまたとあるまい。私は彼の慰籍と鞭燵を愛する。慰籍と鞭捷、そんな言葉は彼に適(ふさ)わない。彼の愛撫と呪誼。それを私は愛する。

ホイットマンとドストエフスキー ヘンリー・ミラー 田中西二郎訳
彼らのめざしたこの芸術の革命といったものは、依然としてヴェールに包まれていて遠くにあるが、しかし彼らの戦いが無駄であったとか、挫折し敗北に帰したとかいった疑念を、一瞬たりともぼくらは持つべきではないのだ。ドストエフスキーは彼の矢を飛ばす前に、誰よりも深く潜ったのであり、ホイットマンはぼくらのアンテナがその音信(メッセージ)を受信する前に、誰よりも空高く翔けあがっていったのだから。

               
ホイットマンとノーベル賞作家
芸術家というのはこの難解な言葉に到達したとき、一人の芸術家としてこの地上に立つことができるのではないのだろうか。だとするならば、芸術家はこの言葉に到達するために、一心に励まなければならないということになる。貧困にたえ、世の無視にたえ、冷酷な非難を浴びながら、ただひたすら自分の信じる世界をこの地上に打ち立てよと。どんな苦難や障害に見舞われようとも、挫けることなく生命力あふれる創造の森をつくりだせと。

ホイットマンの人と作品 長沼重隆 ホイットマン詩集 白凰社 1966年刊行
ホイットマンは六歳の時から、初等学校や日曜学校へ通ったが、十一歳の時に退学して、医師や弁護士の給仕になった。こうしてウォルトは小学校程度の教育を受けただけだが、大体当時のアメリカの文人は、エマソンを中心としたニューイングランド派の人たちが、いずれも高等教育を受けているのに対し、ウォルトと同年生まれの「白鯨」の作者H・メルヴィルは十五歳で学校を退き、少しおくれてからのマーク・トウェーンも十二歳で学校をやめている。とにかく、ホイットマンにしても、メルヴィルにしても、マーク・トウェーンにしても、独学一本で一代の文豪になった人たちである。それも各自の経歴に応じて、独自の文学の領域を開拓している事実は興味深い。

ホイットマン詩集・解説 白鳥省吾  ホイットマン詩集 弥生書房 1965年刊行
これを見てもホイットマンの開拓しようとする詩の新しい境地の目標が、如何に前人未到のものであるかが知られよう。ともかく、英米に輩出した数多き詩人は、それぞれ特色があるが、ホイットマンの如く国境を越え、時代を超えて、今なおわれらの胸に新鮮に直接に響くものは偉大と称するべきである。日本に於けるホイットマン研究は詩人が逝去した明治二十五年に夏目漱石が紹介して以来、かなり豊富に翻訳された。私のホイットマン訳詩集は、大正八年五月新潮社発行の三十歳の時以来、絶えず増補修正しつつ、「草の葉」全訳を志しており、今まで五冊も出ているが、今年七十六歳にして未だ完了せず、日暮れて道遠しとはこのことであろう。


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