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備忘録@弱者男性の夜

※LGBTを考慮せず、あくまで異性愛者の話に限定する。

弱者男性とは何か

そもそも対となる女性は、男性と同一の意味で、「弱者女性」たりえない。

女性であるとは、例え性的魅力を含有していなくとも、すでに相対的社会的弱者という定義がなされてきた側の性であり、何らかの格差是正措置を受けるべきである、というアファーマティブアクションを受け取る権利を有している。

男性は弱者と言う権利を有していない、そこに弱者男性という概念が新たに誕生する余地がある。

→強者としての男性から自ら自意識によって弱者と再定義した男性としての自分。

BUT、令和になり、(日本社会生活における)女性の権利向上は男性との格差是正を遥に超えて圧倒的優遇に至るまでになった。

具体例としては、服装の自由、言動の自由、就職形態の自由、重労働からの自由、合法ニートの自由、プライドや我慢からの自由、そして何より一番の優遇と定義されうるのが、男女の性欲差に起因する非対称な圧倒的優遇措置。性的魅力差・性欲の発現の差を前提として成り立たせている、男性からの経済的及び文化的社会的資本の譲渡及び貸与。パパ活、ATM、奢り文化、日本の男性→女性への経済的援助(及び社会的・文化的援助)の全て。男性がテイクよりギブが多くなるシステム。

つまり性的魅力に対する男女差に起因する圧倒的女性優遇(テイクよりギブが多くなる)が、本来他国では性犯罪や性暴力によって、乱雑に言うと総合的に是正され、性の平等性が担保されていたが、性的魅力の保護を女性のみ一方的に行う(例えば、女性がスカートや露出多い服を履いても盗撮が成立、満員電車に乗っても性的な部分に触れたら痴漢認定、これは女性の服装や言動の自由を優先するあまり(イスラムのスカーフのように視覚優位の男性に対する性的魅力の発現を回避する努力義務なしに)、犯罪構成要件はただ女性に従わない場合という広義的意味を内包想起されてしまい、対人関係に障害を持つ=つまりモテない男性を弱者に追い込む)。つまり性欲の強さの差異、視覚優位に基づく女性の男性に対する性的魅力の発現が無尽蔵に行われることを意味し、それでいて弱者男性は女性に近づくための恋愛経験・資本を持てなかったがゆえに、インセルとして不可解でいて不可侵な存在としての女性嫌悪や回避に走るのである(格差是正の要求やリスク回避)。

また女性の方が男女の若年期の性欲の相対的差により、若い頃は圧倒的に恋愛市場において引力が強い。

例として、自由恋愛を前提とした、マッチングアプリにおける男女のもらうメッセージ数、アプローチの数で比較できる。この界隈でよくある、男性は砂漠の中で1滴の水を求めるように女性を求めるが、女性は目の前の自動販売機の前で好みの男性を選別する、という表現に例えられるものである。

ゆえに、性的魅力を一方的に保護されつつも、その発現は自由でいて、おまけに恋愛市場において需要に圧倒的差がある点から、なぜ男性がいまだに強者なのかと言う前提を疑い、自ら弱者男性を名乗り、女性との相対的資本の格差の上で最もウェイトが高いと考えるのは恋愛行動ゆえにインセルだと思うに至ったのが本質ではないか。

弱者男性及びインセルとは、女性の格差是正が圧倒的優遇にまで至った状態(日本に限る、韓国もやや近いが男性専用車両を作るなど日本とは異なる動きもあり、海外では異なると言う認識)において、男性にも弱者がいるという新定義及び、その格差を作り出しているのは恋愛市場における男女格差に本質があると言うことから、恋愛やモテるか否かが論題の中心になり、その点において弱者男性はインセルたり得ているのではないか。そして僕らは恋愛経験(彼女)を得られていないというただその一点で人生終了だと思っているクラスターなのであろう。しかも恋愛や性愛はプライベートであり超個人的体験であるから、また本来の男性性は強者であるという前提があるから、弱者男性はひっそりと自認し、その中のカテゴリーとして、インセルを自認するのだろう。その意味で堂々と弱者男性を名乗りそれを旗印として種々の活動に身を投じる男性は、弱者男性の中の強者である。

弱者男性は、恋愛不適合であるが、それは男女の恋愛難易度の差に起因している。つまり男性は女性を積極的主体的にリードする存在であり、経済的にも社会的にもリードする必要があるが、女性は自らを高めれば積極性や主体性は義務とされにくい構造にある。
コミュニケーション能力や経済力、レストランや交通経路を調べる能力、会話を弾ませる能力や女性の気持ちを共感理解する能力などがないと、ただ男性であるだけでは、前述の引力の差により全くまともに恋愛市場にありつけない。
ここから単にインセルのみならず、弱者男性というクラスターには、発達障害や社会不安障害、いわゆるコミュ障、知的障害やメンヘラ、もしくは低学歴、低所得、低階層や、低身長など様々な不利な条件が集まってくる。

→しかし、これらの弱者男性にとっては不利な条件も、女性であればむしろ加点となる要素に溢れているのが最大の特徴である。弱者男性は自ら女性であればメリットや美点となる部分も、男性であるからデメリットとなってしまっているという怨嗟を持つ原因である。自ら持つデメリットが女性では加点でメリットとなっている、この点でもただ性差だけで有利なので、インセルはそうした男性では弱者となりマイナスとなる要素も、女性だと問題とならないと、女尊男卑社会として糾弾することになろう。

さらに容姿の男女差も関係がある。前述の性欲による引力の差、もしくは恋愛市場における男女の難易度の差から、例えば同じ偏差値50の容姿でも、男性よりも女性の方が引力は強い(よりアプローチを受けやすい)。例えば、男性ではイケメン以外は相手にされないという言説が例えば(※)に表現されることがある(何かを男性が女性に対してする場合に、許されるか否かを、「※=ただしイケメンに限る」で表現する)。こうした表現は女性には適用されない。こうした容姿が同一レベルでも女性の方が「許される」ことが多い状況に対して、弱者男性やインセルは声を上げることもある。2008年の某秋葉原通り魔事件の故K氏も、『彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊』と述べており、弱者男性問題も、この頃より始まった社会風潮といえよう。うる覚えだが、某弱者男性で語りあう会では、いつか自分の不遇な現状を全て救ってくれるような女神や天使のような女性が現れることを心待ちにしているという。弱者男性の気持ちとはまさにこういう心情を持つ男性に共通のアイデンティティーの一種なのかもしれない。

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