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天牌個人的名シーンまとめ(Vol101~110)

2022年に来賀さんが亡くなり、連載も終わりました。
追悼の意味も含み、天牌各巻毎に個人的に好きなシーンを1つあげていきたいと思います。
*vol01~vol60に比べて画像が粗いのはソーリー。

vol101.

vol93.で「雀鬼流麻雀ドキュメント 桜井章一 牌離 ~HAIRI~ 孤高の奥儀編」のを意識していると書きましたが、101巻のこのシーンはそれに対しての来賀さんのアンサーな気がするんですよね。しれっと桜井さんの和了りと同じに裏ドラ乗ってるし。しかし5筒が相手の和了り牌も含め、本当麻雀好きな人じゃないと思いつかいない名シーンだと思うんですよね。

vol102.

ふざけてるのも、ここまでくると清々しい津神大先生、手牌・捨て牌合わせて20枚が中張牌で567の3色含み赤3付き7巡目リーチを、102巻からは挙げたいと思います。だけどこんな大先生がいるおかげで、誰もが思う中張牌と赤が毎回あったらな、を実現し、それに対しての3者のかわし方が多くあって天牌を面白くしていると思います。しかし『兎』の仙道か風間と闘って欲しいわ。

vol103.

天牌から麻雀を学ぶとしたら大明槓の大切だとおもうような(絶対違う)、津神大先生からの直撃責任払いを103巻から挙げたいと思います。この和了りもいいんですが、こういう時にワンセットで表現される津神の何か嫌な予感がする顔が、関西麻雀大会の時と同じようで、その不安感の表現が良いんですよね。あとまた同じ展開かよ、と思う天牌マニアのために、次局、津神大先生の菊田跳満直撃当たりはグッドでした。

vol104.

そりゃやはり104巻からは、鳴海さんの四暗刻単騎を挙げたいのですが、それを生んでしまう三國さん最大の失着シーンを挙げたいと思います。結果は「自摸に自信があれば1枚でも多い牌で待つ基本条理」を忘れたミスですが、11233566という形が悩ましくて良いんですよね。手拍子できるわ。また見事な放銃回避を実はしているというチャンスを活かせなかった展開表現も良かったです。

vol105.

第四次赤坂「天狗」新満決戦、予選2日目の東2局、柏木の和了りを105巻からは挙げたいと思います。ただの子供ではないことを証明した海輝の中・嶺上自摸・ドラ1も良かったのですが、それと同じように中を鳴いて、海輝が嶺上自摸で和了った1索で自摸和了る表現が良いのですよね。今後も1索を展開に混ぜてくる展開の技も良いです。

vol106.

間髪入れず「牌に対する冒涜」と言わしめた海輝の嵌張4索チーを、106巻からは挙げたいと思います。3巡目跳満一向聴を捨てての聴牌ですが、これはどうなのかなぁ。天牌では最近のデジタル麻雀(この言い方ももう古いか)を出しているのも良いところですが、ここら辺も来賀さんの考え方というか変化が出ている気もします。きっちり親落としてますが、四七萬待ちから4-7筒待ちにしているのもいいですね。

vol107.

天牌の何切るは実践の形に近いものから、分けわからんものまであるのが魅力なのですが、こういった配牌からの、艶めかしい何切るのがあるのも良いのですよね。三國さん、発切りが1番手とかいっているけどマジかよ。しかし若干11歳の子供にこんな試練与えながら「己の血となり肉となる」というのだから凄い世界…だけど現実の将棋や他のスポーツも似たようなものか。

vol108.

「人は舐めても牌は舐めるな」「過信は必ずや痛撃を受けるもの」と黒沢さんや三國さんも言ってましたが、「慢心こそが麻雀の敵」と来賀さんが言っているようでもあります(本当かよ)。予選1日目では津神一人の慢心、そして予選2日目では3人の(子供に対しての)慢心のように、形を変えて表現しているのが良いです。

vol109.

109巻からは、ちょっと地味ですが海輝の和了り後の、捨て牌シーン確認を取り挙げたいと思います。まぁ2着維持で、瞬だけを3→4着に落とす和了りなので仕方ないと言えば仕方ないのですが。ただこのシーンは瞬と北岡両者からの見え方が出来るのがポイントのような気がします。しかし僕だったら、ある意味毎回こんなチェックされたら打つ気なくすわ。

vol110.

このシーンも、何巻からでしょうと言われたら難しいような気がします。1年後これを書いている僕も忘れそうですが、麻雀人生において、ほとんど記憶になり犠打の瞬の5筒切りを110巻からは挙げたいと思います。しかしこれを見ると犠打の意味を考えさせられます。天牌的には麻雀の辛さに耐えることだそうですが。フリーで犠打って言うほどできないですからね。

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