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幻の鉄道を往く(1):阪本線~「萌の朱雀」を走り抜ける専用道バス

※初出:「幻の鉄路をたどる(1) 阪本線 『萌の朱雀』を走り抜ける専用道バス」『鉄道ジャーナル』2014年3月号(569号)、鉄道ジャーナル社

幻の鉄路・五新鉄道こと阪本線の専用道大日川停留所。路盤の一部はバス専用道として使用されている。【撮影:草町義和】

未完成の鉄道路線を「未成線」と呼ぶ。2015年春の延伸開業を目指して準備が進む北陸新幹線長野~金沢間も未成線だ。しかし、鉄道マニアの間で未成線といえば、計画や工事が途中で中止され、幻に終わった鉄路を指すことが多いように思う。

今から30年ほど前、幻の鉄路という意味での未成線が、全国各地に多数出現したことがあった。1980年(昭55)に制定された、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が、そのきっかけである。

かつての国鉄線は国鉄自身が建設していたが、1964年(昭39)以降は、原則として日本鉄道建設公団(現在の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が建設するようになった。

路線の性格によって地方開発線(A線)と地方幹線(B線)、主要幹線(C線)、大都市交通線(D線)などに区分され、このうちAB線は線路施設を無償で国鉄に貸し付けて営業する定めであった。AB線は過疎地帯に計画されることが多く、もともと採算性が悪い。これに加えて建設費まで国鉄が負担するのは困難だったため、無償貸付とされたのである。

しかし、線路施設が無償でも経営が厳しい過疎地のローカル線であることに変わりない。しかも国鉄の経営は深刻な赤字が続き、国鉄再建法を制定して利用者が少ない路線をバス転換、もしくは第三セクターなど他の国鉄以外の事業者に移管することになった。このため想定される利用者が少ないAB線の工事も、再建法の趣旨に準じる形で大半が凍結されてしまったのである。

あれから30年以上の歳月がたち、各地に残されたAB線の遺構も消滅しつつある。しかし、奈良県内に計画されたA線の阪本線は施設の大半が残り、今もバス専用道などに活用されている。

放置状態の阪本線のトンネル。映画『萌の朱雀』でその存在が一般にも知られるようになった。【撮影:草町義和】

■歴史的価値が見出されたアーチ橋

阪本線は、奈良県五條市の和歌山線五条駅から南下し、西吉野村(現・五條市西吉野町)の城戸駅を経て大塔村(現・五條市大塔町)の阪本駅に至る、全長22.5kmの国鉄未成線だ。五條から紀伊半島の南端に近い和歌山県の新宮市までを結ぶ、全長約100kmの壮大な鉄道計画の一部であり、沿線では「五」条と「新」宮を取って「五新線」と呼ばれていた。

五条~新宮間を結ぶ計画だった五新線のルート。五条~阪本間のみ阪本線として着工したが実現しなかった。【画像:OpenRailwayMap/OpenStreetMap、加工:草町義和】

1922年(大11)、いわゆる改正鉄道敷設法の制定によって五新線が建設予定線に盛り込まれ、1936年(昭11)に五条~阪本間を阪本線として建設することが決定。とりあえず五条~賀名生間の工事が進められることになったが、戦争が激化していくにつれて建設費の確保が難しくなり、五条~生子間の路盤がほぼ完成した1944年(昭19)には、工事が全面的に中断されてしまった。

2013年(平25)12月、まずは五條の中心市街地に近い部分をたどってみようと五条駅に降り立った。阪本線はこの駅ですぐに和歌山線から離れるわけではなく、1kmほど和歌山線の線路を和歌山方面に進み、そこで分岐する予定だった。和歌山線の南側を通っている細道を歩いていくと、法務局や裁判所などの建物が固まっているあたりの裏手に、和歌山線から離れるようにしてカーブしている阪本線の建設用地が未舗装のまま残っていた。

和歌山線からの分岐予定地は五条駅から約1km離れている。【撮影:草町義和】

ここから阪本線散策の旅が始まる。建設用地はすぐに舗装道路になってカーブを描き続けるが、別の道路と交差したところで途切れてしまい、その先は立入禁止の柵が設置されている。柵の先はコンクリートのアーチ橋で、そのまま吉野川橋梁につながる予定だった。

阪本線の計画中止後、同線の施設は沿線の自治体が敷地ごと無償で譲り受けた。このアーチ橋も五條市が引き取ったが、戦前に建設された古びた施設だけに、使い道がない。市は無用の長物と化したアーチ橋を最終的には撤去する考えだった。

ところが2008年(平20)、途中でアーチ橋と交差している国道24号の拡幅工事が決まり、とりあえず24号と交差する部分だけ撤去することになったのを機に、アーチ橋の歴史的価値が見直されるようになった。五條市は24号との交差部は撤去したものの、それ以外は観光資源として残す方針に転換。今では五條市の観光マップなどにもアーチ橋の位置が記されている。

分岐予定地の先にあるアーチ橋は国道との交差部が撤去されたが、それ以外は健在。【撮影:草町義和】
アーチ橋を撤去した部分の断面。「中身」の露出で劣化が相当進んでいたことが分かる。【撮影:草町義和】
無用の長物だったはずのアーチ橋だが今や観光マップに記されるほどの観光資源だ。【撮影:草町義和】

アーチ橋の脇の小道を歩いていくと、隣接する民家の住民のものだろうか、アーチの下に乗用車が何台か置かれている。ある意味、屋根付きの豪華な車庫だ。その先の橋脚には、「幻の五新鉄道」と題した説明板も貼り付けられていて、それなりに有効活用されていることがうかがえた。

アーチの下に乗用車が何台も駐車している。ある意味、豪華な屋根付き駐車場だ。【撮影:草町義和】
アーチ橋の先に残る橋脚には五新鉄道の説明板が貼り付けられていた。【撮影:草町義和】

■一般車両「等」は通行できない専用道

アーチ橋は吉野川の手前で途切れる。吉野川橋梁は橋脚のみ工事の中断前に完成したが、1980年代に入ってから撤去されたという。

アーチ橋が残った五条方の路盤に対し、対岸は築堤が随所に残っている。野原駅の予定地だった場所は五條市福祉保健センターが建設されて跡形もなかったが、その前後に残る築堤は幅がやや広い。列車の行き違いができるようにする計画だったらしい。

サクラの木に覆われた野原駅付近の築堤。列車交換を考慮していたのか幅が一部広くなっている。【撮影:草町義和】

野原駅の予定地を過ぎて国道168号とぶつかった先は、単線の鉄道用地をそのまま活用した舗装道路になっており散策しやすそうだ。しかし、道路の入口には「ここは『バス専用道路』です 一般車両は全て進入禁止」と記された看板が立っている。車両がダメなら徒歩はいいのかとも思ったが、別の看板には「一般車両等の通行禁止」と記されている。市役所に電話をかけて聞いてみたところ、歩行者は「等」に含まれるとのこと。

阪本線の路盤を活用した舗装道路の入口。「一般車両進入禁止」(右)と「一般車両等進入禁止」(左)の2種類の看板が立つ。【撮影:草町義和】

電話をかけている間にも、歩行者どころかバイク、乗用車が続々と専用道に入っていく。その辺のことも聞いてみたが、「専用道と知らずに入ってしまうケースもありますし…」と、困ったような声を出す。いずれにせよ市に問い合わせた以上、「専用道と知らずに」という言い訳が通用しなくなった。

結局、ここから先は並行する国道168号を走る奈良交通の路線バスも使って阪本線の敷地を部分的に見ながら、五條市の市街地に戻ってホテルに1泊した。

■「鉄道らしさ」を醸す遮断機と線形

阪本線は戦争による中断を経て、1959年(昭34)までに吉野川橋梁を除く五条~城戸間の路盤がほぼ完成した。残るは城戸~阪本間だが、当時の国鉄は赤字必至のローカル線の経営に消極的で、完成した路盤をバス専用道に改築し、国鉄バスを運行する案を示した。

沿線自治体は「鉄道派」の五條市や大塔村、「バス派」の西吉野村に分かれて対立。さらには近隣で鉄道路線を運営している近鉄や南海も阪本線への乗り入れ計画を発表するなど、事態は混迷の度を極めた。

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