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消えた親知らず

20代後半のころ、歯科医院で親知らずの存在を知らされた。レントゲンの画像には、上下4本横向きに生えているそれがはっきりと映っていた。医師は、「親知らずは抜かなきゃダメ。時期は早ければ早いほどいい。あなたの場合は横向きだから、なおのこと。来週か10年先かは分からないが、いつか必ず痛くなるから、今抜きましょう」という。

当時、親知らずは手入れがしにくいから虫歯になりやすい、程度の知識しかなく、医師の話に少々ビビった。自分のはどうやら奇形らしいし、助言通り今のうちに取っておこう。キレイなビルの上階にある、クラシックが流れる歯科医院で、歯科衛生士らしい人がやたらたくさんいたのを覚えている。

1度に複数本抜くと生活に支障が出るというので、まずは1本抜いてもらった。抜歯自体はあっけなく済んだが、麻酔が切れてくるにつれて、痛みがどんどん増してきた。翌朝は人相が変わるほど腫れていて、職場では会う人ごとに「大丈夫?」と心配された。「親知らずを抜いたんです」というと、皆「なあんだ」という顔をするのが恥ずかしい。腫れは5日くらい続き、もともとどんな顔だったっけ、と思えてくるほどだった。

自分としては思ったより大ごとになって、2本目以降を抜く気がすっかり失せた。だいたい、今何の違和感もないのに、何でわざわざメスを入れなきゃならないんだ! そして次の予約をせず、通院を止めた。後から分かったことだけれど、横向きに生えるのは、そう珍しいことでもないらしい。

それから30年、歯科検診で久々にレントゲンを撮ることになった。この年になって抜くとしたら、入院して全身麻酔になるらしいことは知っている。それはイヤだなあ、と思っていたら、「親知らずは歯肉に隠れているので、今はこのままで大丈夫」とのこと。画像を見ると、下の奥に横向きの歯が1本だけ映っていた。あれ?上の歯は?

「上にも親知らずがあったと思うんですけど、なくなることってあるんですか?」
「それはないと思います」
あれれ? 「いつか必ず痛くなる」にずっと囚われてきたのに。。。どういうことか分からないけど、まあ、良い方に転んだと考えることにしよう。願わくば、残り1本もずっとこのまま静かにしていてねと、手を合わせるばかり。

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