ファッキンデイズ23

 久し振りに再会した浩司の頭は見事な金髪だった。東京で就職活動をしたいと言っていた浩司をしばらくの間、居候させることにしたのだ。就職先が決まり家を借りるまでうちに置いておくことになる。
「それじゃあ、面接通らないだろ」
 早速コンビニで毛染めを買ってきて風呂場で黒髪に染めた。
「どんな仕事したいんだ?」
「知らねえ」
「でも、働きたくてきたんだろ?」
「東京ならなんでもいいと思ってさ」
 浩司と共にアルバイト情報誌をめくった。浩司は本当にどんな仕事でもいいらしく、コンビニやドーナツ屋の店員、携帯ショップの販売員、訪問販売の営業マンなどに次々に丸をつけていく。私は不安だった。浩司の弱点のひとつに自分が認めた相手以外に敬語を使えないというものがある。高校時代は「なんすか?」「自分の勝手ッス」などという言葉遣いが原因で地元のマックを一日でクビになった。
「シンちゃんさぁ」
「なに?」
「お前も働く気ねえの? ガッコ行ってないんでしょ」
 実家から帰るときに耳にした母親の言葉が頭をよぎる。しばらくは仕送りをして家賃も入れてあげる。でも、その後は自分でなんとかしなさい。私は東京の大きさに圧倒されながら、それでも東京に残りたかった。
 就職情報誌の数センチ四方の枠の中にさまざまな職業の情報が掲載されている。浩司はどんな仕事でもいいと言うが、私は興味の持てる仕事に就きたいと思った。ただ働くのではなく、ずっと続けていける仕事がいい。肉体労働、営業、事務、飲食店の店員などの求人には心を惹かれなかった。浩司が丸をつける仕事は増えていくが私は一向にこれだというものに会えなかった。
 デスクワークのページを開いたとき、「編集補佐」「出版社」という文字が飛び込んできた。その瞬間、胸が躍ったが条件欄を見て失望した。学歴の欄に短大卒以上と記されていた。もう一件出版社がアルバイトを募集していたが、そちらは大卒以上となっていた。高卒では受ける資格もない。
 私は本棚として使っているカラーボックスに置かれたワープロに目をやった。しばらく触っていない。閉じっぱなしの蓋に触れば、その手は埃まみれになるだろう。ワープロは高校生のときに父が買い与えてくれたものだった。
 私は昔からなんでもそこそこできる子供だった。勉強もスポーツも人並みにはでき、教師から秀才という評価をもらったこともある。だが、私はひとつの物事に強い関心を持つことができなかった。なんでもできはするが、そのどれにものめり込むことがない。何事もコツをつかんだところで飽きてしまい投げ出すということを繰り返していた。
 高校二年のとき現代文の授業でひとつの課題が出された。現代文を教えるのは六十歳過ぎの渡辺さおり先生。彼女は今でいうゴスロリファッションを好み、フリルのついた洋服を着てピンク色の日傘を差していた。
 さゆり先生が出した課題は芥川龍之介の羅生門の続きを書いてくるというものだった。風変わりな課題に生徒たちは呆気にとられた顔をした。さおり先生は、続きが書けない人は感想文でも構いません、でも先生はみなさんのお話を読みたいんですと言い、赤い口紅を塗った唇でにんまりと笑った。
 羅生門は門の下で雨宿りをしていた下人が死体の髪の毛を抜きカツラを作ることを生業にしている老婆を殺害し、その後行方をくらますという話だ。最終行の「下人の行方は、誰も知らない」という一文は私の胸にも深く刻まれていた。
 浩司とマナブはやるはずがないと答えたが、私は面白そうだと考えていた。原稿用紙を買い、家に帰り、羅生門の続きを書き始めた。だが、簡単なことではなかった。読書感想文や日記などを書くのは得意だったが、創作物に挑むのは初めてだった。何度も書き直して試行錯誤するものの完成させることができず机の前でうなり続けた。
 しかし、私は思い通りにならないということが面白く感じられた。ある程度の努力で形になってきた他のものとは違い、打ち込んでも打ち込んでも満足のいくものができない。困難な壁に挑む感覚が楽しくて私は執筆に没頭した。
 二週間ほどを使い書き上げた課題は後ろの席から順繰りに集められ、さゆり先生のもとに運ばれていった。話のテーマは因果応報にした。
 下人が闇の中に駆け出した後、篠突く雨が降り始める。下人はその中を人を殺めたという狂気を持ちながら走っていく。気持ちが鎮まってくるのと同時に雨が止み、空には満月が覗くようになる。そこで下人は足を止め、今見たものはすべて悪夢だったのだと自分に言い聞かせ、ゆったりと歩き始める。雨は止んだが足元はぬかるみ、ところどころに大きな水たまりがある。下人ははたとその前で立ち止まる。水たまりに映っているのは恐怖のあまり顔中を皺が覆い、白髪になった老人の姿だった。それは先ほど手を掛けた老婆とそっくりだった。それを見た瞬間、下人は再び羅生門に戻らなければならないと宿命的に感じる。駆け戻った下人は羅生門の楼閣にのぼり、そこに倒れる老婆の死体の側に座り込む。腕が勝手に動く。下人は老婆の白髪を一本一本抜きながら今度は自分がそれをカツラにし売ることを考える。そんな下人の姿を階段を上って眺めている若者がいる。その男がそっと老婆のような姿になった下人に近付いていく。
 ありきたりの内容なのかもしれなかったが、私にはひとつのことをやり遂げたという達成感があった。浩司とマナブに課題を提出したことを話すと二人は驚いていた。
 次の授業のとき、さゆり先生が生徒たちの顔を見回しながら、この間の課題はどうでしたかと聞いた。羅生門の続きを書いてきたのは私を含め三人しかおらず、他の生徒たちは感想文を提出したようだった。残念そうにそのことを告げた先生と目が合い、私の胸は高鳴った。
 先生は一番面白かった人の作品を今から読みますと続けた。まさかと思い身を縮ませると、先生はよく通る声で私の名前を呼んだ。私のほうを向いた生徒たちは意外そうな表情をしていた。その頃、私は髪の毛を染め、学校の中ではどちらかというと怖がられているグループに属していたからだ。私のイメージと羅生門の続きを書いたというギャップに驚いているようだった。
 私は恥ずかしさのあまり石になるしかなかったが、先生はお構いなしに作品を読み始めた。その間、私は肩を強張らせ早く終わってくれと念じていた。朗読が終わるとさゆり先生はみなに拍手を強要した。読まれただけでも恥ずかしいのにほうっておいてほしかったが、顔を上げた私を大きな拍手が迎えた。面白かったよ、すごいねなどという声も聞こえた。私はうるせえなあと呟いたが、悪い気はしなかった。
 授業の後先生がやってきて私に他にも書いてみたらと執筆を勧めた。私は羅生門の続きを書くことで精一杯で、次の作品を書くことなど考えていなかった。もういいですよと答えたはずだ。
 その後マナブや浩司たちとつるんでいるうちに寒々しい気持ちになることがあった。マリファナを吸ってもカラオケに行っても麻雀を打っても心ここにあらずという状況に陥る。なぜだろうと考え、没頭できないからだと思った。
 ある日夜遅く帰宅すると居間で父が待っていた。反抗期まっただ中だった私はほとんど父と会話をしていなかった。このときも素通りしようとすると工事現場に一日中いて日焼けをした父が、ワープロ欲しいかと唐突に尋ねてきた。はぁ、ワープロ? と喧嘩腰で問い返すと父はゆっくりと頷き、この間なにか書いていたじゃないかと聞いてきた。
 ぶっきらぼうに返答すると、また書かないのかと尋ねる。父としては私の打ち込めるものが見付かったのかもしれないと思い、それに私の変化を期待したのだろう。父と会話をすること自体が苦痛だったが、私は、書きたい気持ちはあるけどと答えていた。父の表情が柔らかくなった。だったらワープロいるだろうと聞かれ、あったほうがいいかもねと答える。
 数日後、私と父は家電量販店に向かった。ワープロコーナーにはさまざまな機種が並んでいて、店員に質問をしながら一台を選んだ。家に帰って包装を開けると鈍い光沢を放つ灰色のワープロが現れた。蓋を開けて電源を入れると起動音がして画面に文字が浮かぶ。キーボードに向かい「あ」がどこにあるのかを探しながら、こんなんで書けるのかよとぼやく。この日は遅い時間までワープロをいじっていた。
 半年ほどかけて原稿用紙枚数百枚ほどの小説を書いた。多重人格の主人公が殺人を犯すという凡庸なサスペンス作品だったが、羅生門の続きを書き上げたときと同じように大きな達成感を得ることができた。さゆり先生はその作品も褒めてくれて、これからも書いたほうがいいと勧めてくれた。
 だが、長続きはしなかった。書こうとはするのだが次の作品を完成させることができず、悶々とした日々を過ごした。一人で机に向かっているよりもマナブたちと遊ぶ時間が長くなり、執筆からは遠ざかっていった。
 上京するときワープロを持っていくか悩み、持っていくことにした。自分一人の時間が増えればまた小説を書くかもしれないと思ったのだ。だが、実際はジャンキー仲間たちと遊んでいるばかりでワープロを起動させたことは数回しかなかった。
「シンちゃんはどういう仕事やりてえの?」
 浩司の言葉に我に返った。
「出版とか、できれば文章に関する仕事がいいんだけど」
 浩司は大きく頷いた。
「シンちゃん本とかよく読んでたもんな。いいんじゃねえ」
 なかなか難しいみたいだと言い、アルバイト募集の条件欄を指差した。だが浩司は表情を崩さずに、本気でやりたいなら熱意でなんとかなるでしょと言っている。
「他の雑誌にも求人あるかもしれないし、もっと探してみなよ」
 その言葉に視界が開けた。他のアルバイト情報誌と新聞の朝刊を購入し、求人コーナーのある新宿区のタウン誌も持ってきた。やはり求人対象となるのは短大卒以上からだったが、私はすべての情報に赤いペンで印をつけた。

(つづく)

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