ファッキンデイズ最終話

 私の部屋に集まって加藤が持ってきた土鍋で鳥鍋をした。ノードラッグの鍋パーティという話通り、私たちはビールを飲みながら鍋をつついた。テーブルの四つの辺のひとつはあいている。いつもトミーがバカバカしい笑いを振りまいていた席だ。
 マリファナの一件の後、私たちはトミーに再三連絡をし三鷹にあるアパートも訪ねていた。だがトミーが電話に出ることはなく、一週間ほど前にかけたときには番号は使われていないというアナウンスが流れた。アパートの郵便受けからは折り込みチラシやダイレクトメールの封筒が溢れ、しばらく家を開けている様子が窺えた。のぞみの連絡先を知らなかった私たちはトミーにつながる手掛かりを失った。
 私は部屋の隅に置かれたマリファナ入りのビニール袋に目をやった。さゆと加藤に分けたのだが二人はこんなにはいらないと言い、ジップロックの大きなパケいっぱいに受け取っただけだった。まるまる一株が残っている。
 私の視線に気付いた加藤がマリファナの株に目を向けて、あれはどうするのと聞いた。私は二人が全部持っていってくれると思っていたと答えた。その言葉にさゆはそんなには吸えんでしょと言い、加藤がこんなにもらったら家が溜まり場になっちまうよと皮肉を口にした。私は苦笑しながら鶏肉に箸を伸ばした。
「二人は吸っていいよ。俺はビール飲んでるから」
 私が言うと、加藤は、今は吸わなくていいと答えた。
「ずっと付き合っていける友達ってコーヒーとか酒で話せるやつだと思うんだ」
 さゆが深く頷いて続ける。
「私たちネタ以外でもつながらなくちゃならないって思うわけよ」
 私は引っ越しを決めていた。バイトの身分で七万五千円のアパートに住み続けるわけにはいかない。貯金は心もとなかったが祖父の財布に図書券と共に入っていた五万二千円を使わせてもらうことにした。
 不動産屋に飛び込んで、安くて職場に通いやすい物件はないかと尋ねると板橋区を勧められた。池袋から埼玉に向かって走る東武東上線の沿線は二十三区内では相当家賃が安く、出版社のある大塚にも通いやすい。家探しは難航するかに思えたが、ちょうどいい物件がありますよと紹介された一発目で決まった。
 池袋から東武東上線の急行か準急で十分走ったところにある成増という街の物件だった。駅から徒歩十五分と少し遠いのが気になったが贅沢は言えない。
 築三十五年のアパートは最近外壁を塗り直したらしく、趣味の悪いエメラルドグリーンの外観だった。ドアを開け中に入った途端、青臭い畳の匂いに包まれた。間取りは六畳一間の1K。風呂とトイレは別になっていたが、シャワーはついていなかった。トイレは和式なのだが、そこにプラスティック製の洋式トイレの便座をかぶせてあった。なぜか便座の側面に布テープが貼られ、そこに大きく「トイレ」と書かれている。家賃は管理費込みで四万六千円。これならば自分で払っていける。
 四谷に比べると不便極まりない場所にあるため、ふらりと友達がやってくることはない。さゆと加藤との関係は続けていきたいと思っていた私にとって二人がアルコールだけで鍋を囲んでくれることは嬉しかった。
 私たちは夜が明けるまで飲んだ。私は祖父の話をはじめとしてこの数ヶ月間の出来事を二人に聞かせた。さゆが特に反応したのが代々木公園の斎藤さんの話だった。
「桜の樹の下に埋まってるのってなんだっけ?」
「死体でしょ」
 私の答えにさゆはにやりと笑った。
「じゃあ、代々木公園の樹の下に埋まっているのは?」
 六時過ぎの空は明るみ始めていた。十分後、私たちは代々木公園に向かうタクシーの中にいた。私の膝の上には茶色いバッグが置かれている。代々木公園には門限があると思っていたが、さゆいわく建前としてあるだけでいつでも出入りできるという話だった。
 明治神宮側の歩道橋でタクシーを降りて公園を目指した。ひんやりとした空気の中をマラソンランナーが颯爽と走っていく。
「朝やっぱ気持ちいいね」
 さゆが伸びをして加藤がたまにはこういうのもいいなと頷く。私が二人に向かい、俺はクスリやめて一足先に健康にならせてもらうけどねと言うと二人がぎろりと眼を向けた。ないからそれとさゆが言い、加藤も本当にシンちゃんは薄情だよなと零した。目の前に大きく開いた代々木公園のゲートに三人で並んで入っていった。
 それから十年が経った。
 私はその後、出版社の社員になり今もその会社で働いている。バイト時代はドラッグ体験をおくびにも出さなかったが社員になり同僚たちと親密になるにつれ昔話としてぽつりぽつりと話すことがあった。私以外に経験のある社員はいなかったがクリエイティブな職種であることが影響しているのか興味深々な様子で話を聞きたがる同僚もいた。
 会社では月に一度編集会議が行われ、そこには私のような編集部員をはじめとして、社長、編集長、営業課長、広報担当者などが一堂に会する。話題は常に売れる企画はなにかというものであり、ある会議で社長がドラッグはどうだと口を開いた。
 みなの視線が私に集まる。面食らう私を無視して話が進んでいく。営業課長がサブカル系はうまく作れば硬く売れますよと言い、編集長が幸い書き手もいることだしねと私に目をやる。同僚の編集部員が読んでみたいと言い出せば、広報担当者がテレビや新聞などのパブは期待できませんけどねと苦言を呈した。会議が終わると編集長が私の肩をぽんと叩いた。
「企画書書いて持ってきて」
 企画が通り執筆することになった。しかしドラッグという違法物を扱っているだけに内心はビクビクしていた。その時点で四谷のアパートから引っ越して三年しか経っておらず、ドラッグの使用は時効を迎えていない。
 その上、さゆや加藤、その他大勢の知り合いは昔と変わらずにドラッグと戯れており、私が本を出すことで彼らに迷惑をかけてはならない。事前に彼らに報告をし、本を出すことになりそうだと告げた。
 結果何人かの友達を失った。さゆと加藤は本なんてスゴイじゃんと喜んでくれたが、中には仲間を売るようなやつとは付き合えない、自分がやめたからって気楽なもんだよななどと言う者もいた。
 私は人物を特定できないように何人かをミックスさせて一人の登場人物を作ったり、自分の体験を他人のものにしたり、その逆のことを行ったり、さまざまな工夫をして原稿を書き上げた。社内の評判は上々で本は無事に刊行された。私が恐れていた公権力の介入もなく、本はそこそこ売れた。
 昔の仲間で今も連絡がつくのは四、五人しかいない。その中にはさゆと加藤も含まれている。
 さゆはやめたり戻ったりを繰り返しながら二年ほどAVの世界で働いていたが、その後引退しコールセンターのオペレーターとして働いている。職場の同僚と結婚し、三年前に男の子を産んだ。
 加藤は真面目に大学を卒業し、健康食品の会社で営業マンをしていたが新聞広告が薬事法に引っ掛かり業務停止命令を受け会社は倒産。その後転職を繰り返し今はファミレスで店長をやっている。休日は趣味のテニスで汗を流すことが楽しみだという。
 トミーはマリファナ騒動の後、一度だけ留守電に、久し振りに会いたいんだけど、またかけるよという声を残してくれたが、その後連絡はついていない。
 マナブとも連絡がつかなくなってしまった。電話で揉めた後私たちは仲直りをし成増の部屋にも遊びにきてくれたが、五年ほど前にぷっつりと連絡が途絶えた。浩司をはじめ地元の連中も行方を知らず心配である。ちなみに浩司は実家の庭師の仕事を継いで、髪の毛は金色のまま輝いている。
 私と加藤が訪れようとして途中で挫折した白い塔には三、四年前に足を運んだ。たまたま池袋にいたときに暇だったというのがその理由だ。白い塔の正体は豊島区の清掃工場の煙突だった。看守に確認したので確かだ。ゴミの燃焼熱を利用した温水プールやジム施設が整っているという。私はその正体を知って少しがっかりしたが、二十歳の頃の置き土産の包みを開けたような気がした。
 水槽はいまだに完全には消えていない。頻度は減ったが時折頭の周りを覆っていることがある。だが付き合い方が分かってきたのか慣れたのか二十歳の頃に悩まされたような焦燥感を覚えることはなくなった。水槽などという言葉で逃れられない現実的な問題のほうが多くなったのかもしれない。
 この十年で私が続けていることといえば代々木公園通いぐらいのものだ。つい先日もさゆと加藤と三人で代々木公園を訪れた。変わらないね。そうかな。怪しい人減ったんじゃない。そうでもないでしょなどと話しながら歩き回り、噴水の脇にある石造りの椅子に並んで座った。
「今、二人のこと小説に書こうと思ってるんだけど」
 二人はまいったなというふうに苦笑いをした。さゆは結婚を機に一切のネタから卒業したが、加藤はわざわざ聞いてはいないがマリファナを愛好し、たまにはコカインも吸っているのではないかという気がしている。私は二人の許可を得てそれぞれをモデルにした登場人物の名前を決めてもらった。それが、さゆ、加藤だ。
「あの頃ってみんなあがいてたよね」
 私がしみじみと言うとさゆがそうだねえと相槌を打つ。
「私たち蝶みたいだったかも」
「どういうこと?」
「綺麗な火に集まっていって、でも結局は焼かれて死んじゃうの」
 ふーんと加藤は頷いて、いたずらっぽく続けた。
「そんないいもんじゃなくて蛾みたいじゃなかった?」
「かもねー、だからしぶとく生き残ったのかな」
 さゆが答え、三人で笑った。
 散歩をして樹が密集するあたりにきた。私たちは今でもその場所を覚えている。一人ずつ樹の幹をぽんぽんと叩いて代々木公園を後にした。
 詳しい場所を書いたり地図に記しておきたいところだが、スコップ片手に代々木公園を訪れる人がいても困る。だが、ひとつだけはっきりと言えることがある。
 代々木公園の樹の下には骨と大麻が埋まっている。
 
                        ファッキンデイズ・了

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