ファッキンデイズ26

 はい、そうです。はい。こちらこそ、ありがとうございます。あ、えっ、はい、ありがとうございます。いや、でも、なぜなんでしょうか? はい、意外でした。はい、え、そうなんですか。はい、嬉しいです。はい、がんばります。えーっと、いつでも大丈夫です。大丈夫です。月曜十時ですね、分かりました。持っていくものはありますか? はい、分かりました、はい、おうかがいします、ありがとうございました。
 電話を切った私は放心したまま宙を見詰めていた。私の様子を見て寛いでいたさゆがどうしたのと声をかけてくる。我に返って小さく頷いた。
「出版社のバイト受かった」
「えっ、そうなの? すごいじゃん」
 さゆが声を上げるとソファベッドに寝転がってジャンプを読んでいたトミーも身体を起こし、なんの話? と問いかけてくる。さゆには出版社の面接を受けたことを伝えていたが、どう考えても受かりそうになかったのでトミーと加藤には話していなかった。
 私が説明するとトミーはジャンプを投げ出して歓声を上げた。冷蔵庫に入っていたビールを開けて三人で乾杯をする。ビールの缶を傾けたさゆが興味深そうに尋ねる。
「シンちゃん、絶対落ちるって言ってなかったっけ?」
 そうなんだと私は頷いた。自分でも驚きのほうが先立ち、心から喜ぶことができていない。
「絶対落ちると思ってたんだけどなぁ。編集長から電話だったんだけど、受かった理由を聞いたんだ。そしたら社長さんが気に入ってくれたんだって」
 編集長は社長がやけに草下君をプッシュしていたと言った。なにがよかったのかと聞くと私は他の応募者とは雰囲気が違っていたという。言葉は悪いかもしれないけどと編集長は前置きして、普通じゃない発想をしそうという感じがしたんだよねと言った。
 私が説明をすると、さゆとトミーは、たしかにシンちゃんは気持ち悪いもんなと頷いた。なんだよそれと突っ込みながらようやく歓喜の波が押し寄せてきた。勢いよくビールを流し込み、私はやったと声を漏らした。
 その後いち早くビールの缶を空にしたトミーが物悲しそうな口調で、でもちょっと寂しいかもねと言った。
「シンちゃんと最近あんま遊べてないし、仕事始めちゃったらもっとそうなんのかな」
 クスリ離れを宣言してからトミーたちと遊ぶ機会は少しずつ減っていた。今後は私を採ってくれた社長と編集長のためにも一生懸命働かなければならない。
「休みの前日だったらいいけど、平日は厳しくなるかもね」
「そっかぁ」
 トミーは口を尖らせた。
「でも、お前ものぞみと遊んでばっかじゃん」
 トミーはのぞみの周囲の人間に影響されているのか一着八千円もするブランド物のTシャツを着るようになった。日雇い労働の給料をそんなものに使っていいのかと不安になる。毎日のように遊び回っているからなのか頬がやつれたようにも見える。
 私がやっと決まった仕事だからしばらく遊びを控えると言うと、さゆが不貞腐れた顔で言った。
「遊びってなに? ネタのこと? クラブとか?」
 さゆの大きな瞳に今までに見たことのない赤い光が浮かんでいた。その奥にある感情を察することはできない。二人は私の祖父の死を連想したのか、いいと思うよと同意した。だが、そのすぐ後に、でもさとさゆが不満そうに口を開いた。
「クスリやめてなにすんの?」
「なにってバイトして真面目に生きていくんじゃない?」
「真面目ってなに? どうやんの?」
「朝起きて仕事行って家帰ってきて寝てっていう繰り返しじゃない?」
「ふーん、つまんなそう」
「でも、楽しいばっかってのも無理があるんじゃないかな」
 楽しいだけの時期は終わろうとしている。出版社の面接に行き、そのことが身に沁みた。曖昧な立場で許されるのはあと一、二年のことだ。面接のとき、編集長と社長から向けられた眼差しは大人が子供を判別する目だった。成人後、就職も進学もせずぶらついていたら現実逃避と思われても仕方がない。
「シンちゃん、年なんじゃないの?」
 トミーがからかうように言った。
「俺と変わらないだろ」
「そうじゃないよ。終わりを気にするようになったってこと」
 トミーの口調には私が遊びから離れていくことを引き止めようとする思いが含まれているようだった。さゆの目が赤く光っている理由も同じだ。二人とも自分が口を挟む問題ではないと知りつつ、私だけがドラッグの世界から抜けることを残念だと思っている。
 彼女ができて抜けるやつ、仕事を始めて抜けるやつ、二十歳になって抜けるやつ、周りがパクられて抜けるやつ、さまざまな連中を見てきたが、その際に与えられる言葉は「そうなんだ」の一言だ。だが、その言葉の裏には残された者の嘲笑と嫉妬が入り混じっている。
「ごめんごめん、今日はお祝いしなくちゃ」
 そう言ってトミーがクスリ箱からバッズとモンキーパイプを取り出した。バイトが始まるのは来週の月曜から。今週は目一杯遊んでおくのも悪くない。私はトミーから回ってきたパイプに口をつけた。
 明日にでも浩司に電話で報告しなくちゃならない。あいつの持ってきてくれたタウン誌で仕事が見付かった。あいつ、品川のホームまで見送ったとき、もう金髪に戻ってたな。東京には髪の色変えるためだけにやってきたようなもんだなんて言いながら東海道線に乗り込んだっけ。見送るってのはなんか気恥ずかしいよな。じゃあなって言ってお互いに手を挙げて、すぐに電車動き出すかと思ったら駆け込み乗車で荷物が挟まってるだかでドアが開いてさ、苦笑するしかないよ。あいつ地元でオヤジさんの後継いで庭師になるって言ってたな。なんかみんな動き出してる。俺も少しずつだけど動こうとしてるのかもしれない。動くっていいけど、今までと違っちゃうな。一箇所にずっと留まり続けていられるわけじゃない。今、こうしてさゆやトミーと一緒にいるけどいつまで一緒にいられるんだろう。加藤はどうかな。あいつも、俺と同じように悩んでるみたいだ。浩司だってマナブだってみんな途中だ。俺たちはみんな途中でみんな近いところにいる。だけど、動き出す方向によっては離れていってしまうかもしれない。いつまでも一緒にいたいな。でも、それはできないかもしれない。
「シンちゃん、固まるなんて珍しいね」
 はい、と言ってトミーから再びパイプが回ってきた。

(つづく)

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