ファッキンデイズ28

 話をしたいから一人で来てくれと言い、トミーを部屋に呼び出した。仕事を終えて二十一時には帰宅できると思っていたが残業が長くなり、ドアを開けたのは二十二時だった。
 テーブルに向かっていたトミーが怯えた様子で振り向く。私を見て引きつった表情はすぐに和らいだが瞳には落ち着きのない光が揺れている。
 トミーの肩越しに見えるテーブルの上には落花生の殻が山盛りになっていた。ファミリーパックというラベルの貼られた巨大な袋の中の落花生は残りわずかになっていて旺盛な食欲にぞっとした。
「それ、食い過ぎだろ」
 トミーの緊張をほぐそうとすると、曖昧だった目に焦点が戻り、ヤバイ、こんなに食べちゃったと言った。その姿は以前から馴染んだ愛嬌のあるトミーそのもので、私はバカだなあと言いながら正面に腰を下ろした。乾いたトミーの肌には白い粉がふいていて頬もこけているようだった。
「体調悪そうだけど大丈夫か?」
 トミーはぎこちない笑みを浮かべた。
「全然いいよ」
「本当に? あんま寝てなさそうに見えるけど」
 痛々しいトミーの姿に胸が締め付けられた。トミーは電話をかけてきたときと比べると冷静になっているようで、あの後よく考えたら刑事が張り込んでるってのは考え過ぎだよねと自己分析をした。私たちの隣でマリファナの株が強い香りを放っている。
「シンちゃんの言う通りだよね、テンパっちゃってごめん」
「まあ、神経質になるのは分かるけどさ」
 私はトミーに仲間たちと縁を切れと話すタイミングを窺っていた。シャブを中心としたコミュニティにいればその先には破滅しか見えない。しかし、のぞみにべったりになっているトミーを説得するのは簡単なことではなさそうだった。
「シンちゃんは仕事どう?」
「大変だけど楽しいよ。だらだらしてるより仕事しっかりやったほうが時間が経つのって早いんだ」
 仕事が与えられず暇を持て余していると勤務時間は膨張したように感じる。だが、次から次へと仕事が与えられ、それをこなしていくと気付けば夜になっていたということも多い。バイトを始めて一ヶ月足らずだが新しい生活のリズムをつかみ始めていた。
 トミーは私の仕事が充実していることを喜んでくれたが、互いに心が通い合っていない感覚がある。リラックスするためにジョイントを回しながら話すことにした。
 立ち上がってクスリ箱に向かうと、ソファベッドの上で茶色く細い光が反射するのが見えた。近付いて拾い上げると茶色い髪の毛だった。私の脳裏にトミーとのぞみがセックスをしているシーンが浮かび、堪え難い嫌悪感がこみ上げてきた。トミーは再び落花生に手を伸ばし、殻を剥き始めている。パチリパチリという乾いた音が響く。
「トミー、俺、一人で来いって言ったよな」
 トミーは落花生を剥く手を止めた。
「一人だよ、俺」
「だったら、これ、なんだよ」
 のぞみのものらしき髪の毛を見せると、トミーは目線を逸らし小さく舌打ちをした。
「人が仕事してる間に人んちでやってんじゃねえよ」
「ごめんごめん」
「約束ぐらい守れよ」
「のぞみがついてきたがったんだよ」
 また、のぞみか。嫌気が差した。私にはのぞみが諸悪の根源であるように思えてならなかった。馬鹿正直なトミーはのぞみにのめり込み、シャブとセックスに支配されるようになってしまった。
「口を開けばのぞみのぞみって、お前付き合ってからおかしいんじゃないか」
「おかしいってなんだよ」
「どうせシャブでもやってんだろ」
 トミーの眉間に皺が寄り、血走った目で私を見た。私は自分とトミーの間にあったズレが地滑りを起こしてますます大きくなっていくことを感じた。ここで手を離してはダメだと思い、必死で呼びかける。
「トミー、俺はお前が心配なんだ。このままのぞみたちと付き合っていたら破滅するぞ。俺はお前にそうなってほしくないから言っているんだ。そのことを分かってくれよ」
「調子いいよね」
 トミーの頬が卑屈に歪んだ。
「シンちゃん、自分だけクスリやめて仕事してさ。みんなを捨てようとしてるの、そっちのほうじゃないの?」
 それは、と言いかけて、続く言葉が見付からなかった。仕事に慣れ始めてからドラッグはもちろん、それまでの仲間の存在をわずらわしいと感じてしまうことがあった。
「俺はもう降りられないところまで来てるんだ。シャブってのはたしかに怖いよ。この間も部屋で友達の財布がなくなって犯人探しが始まって、みんながみんなを疑ってるんだ。ちょっと前まで楽しく話してた友達なのにね」
「そこまで分かってるなら戻ってこいよ。シャブの世界に先はないよ」
 トミーは据わった目のまま答えた。
「あの世界にはあの世界なりの灰色の花みたいなものはあるよ」
 トミーに歩み寄りは見られなかった。今はやめられない、行けるところまで行ってからではないと終わることはできないとトミーは語る。さゆや加藤も心配していると言っても二人には関係がないと言い切った。トミーは自分の足場を私たちからのぞみたちに完全に移したようだった。
 これ以上トミーと向き合っていることは苦痛でしかなかった。私はマリファナの株を顎で示し、これはどうするんだよと聞いた。途端にトミーは弱腰になる。
「収穫するまで置かせてもらえないかな。みんなとも話し合ったんだけど、そうすれば収穫の四分の一、シンちゃんにあげるからさ」
 事前に彼らの間で話をしてきていることが嫌だった。
「そんなのいらないから早く運び出してよ」
「ムチャだよ」
「ムチャはどっちだ? お前の都合に俺を巻き込むなよ」
「だけど運び出すほうがヤバイと思うんだけど」
「前にもやったんだからできるだろ」
 上から黒いビニール袋を被せればマリファナだとは分からない。ここに運び込んだときにも同様のことをしていたはずだ。同じように持ち帰ってくれと言うと、トミーは収穫まで置かせてくれと繰り返し頼んだ。その姿は見るに耐えなかった。
「二、三日外出てるから、その間に持ち帰ってくれよ」
 トミーと視線がぶつかった。そこには友人に対する感情ではなく、露骨な敵対心が満ちていた。そして向こうも同じように感じているだろうなと思った。しばらく見詰め合った後、トミーは不貞腐れたように、分かったよと呟いた。これ以上話すことはない。バッグの中に数日分の着替えを詰めて部屋を出た。ドアを閉めるときに見えたトミーは私には目もくれずに床に向かって何か呟いていた。

(つづく)

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