ファッキンデイズ31

 書籍や原稿の散らばる机、眩しいパソコンのディスプレイ、付箋、ゼムクリップ、噛んだガムを包んだ銀紙、手の甲についた赤ペンの汚れ、で あ る か ら し て 筆 者 が 思 う に 男 性 器 最 大 の 特 徴 は そ の 変 化 の 幅 に こ そ あ る 。 人 体 の 中 で こ れ ほ ど 多 用――電子辞書で調べて「多様」に修正する。
 な 変 化 を 持 つ 器 官 は 他 に な い 。 硬 さ 、 大 き さ 、 色 調 な ど が 平 常 時 、 勃 起 時 な ど で 著 し く 異 な り 、 男 性 に と っ て は 最 も 身 近 で 飽 き の こ な い 玩 具 に も な り え る 。 無 人 島 に 男 性 が 一 人 が 流 れ 着 け ば――「男性が一人で」とするか「一人の男性が」とならなければおかしい。欄外にその旨を書き加える。
 そ の 男 性 の 最 も 良 き 話 し 相 手 で も あ り 友 人 と な る の は 、 彼 自 身 の 性 器 で あ ろ う 。 ま た 男 性 器 と 発 生 学 的 に 同 一 で あ る 陰 核 が 男 性 器 同 様 に 朝 勃 ち す る こ と は 意 外 に 知 ら れ て い な い。
 医学博士が書いた性科学の書籍の校正をしているとき、ポケットの中で携帯が震えた。周囲の社員に分からないように取り出すと加藤からの電話だった。何度か震えてから携帯は留守電対応になった。十四時近くになっても昼食を摂っていなかった私は赤ペンを置き、食事に行ってきますと言って会社を出た。商店街のほうに向かいながら電話を折り返すと、加藤は切羽詰まった様子だった。
「シンちゃん、今どこ?」
「会社出て昼飯食べにいくところ」
「そっか、悪いんだけど」
 加藤は躊躇いがちに言った。
「ちょっとマズイことになって」
 加藤がこんな言い方をすることは珍しい。
「今、シンちゃんちにさゆと二人でいるんだけど」
「うちかよ」
 私は足を止めた。トミーのマリファナ騒動が落ち着いたばかりだというのにまたトラブルが舞い込んできた。ささくれ立ちそうになる気落ちを鎮めて詳しい説明を求めた。
「さゆとコークキメてたんだけど、さゆのやつ一気にいきすぎてぶっ倒れちまったんだ。どうしたらいいかな?」
「意識は?」
「あるけど、さっきからうなってるだけなんだ」
 さゆの顔に電話を当ててもらったが、うめき声を発するだけで会話にならない。私も以前コークの過剰摂取で大量の顔汗と手汗をかき、後頭部を断続的に殴打される激痛に見舞われたことがある。あれと同じだ。そのままだと危険だから冷凍庫の氷をタオルで包んで頭を冷やしてくれと加藤に伝える。
「今からいくよ」
 会社に引き返して編集長の机に向かった。編集長は難しそうな顔でビジネス書の原稿に書き込みをしている。私は唾を飲み込んでから話しかけた。
「編集長すいません」
 厳しい眼差しの編集長がこちらを向く。私は頭を下げた。
「突然急用が入ってしまったのですが、早退させてもらっていいでしょうか?」
 編集長が唖然とした表情になる。急に早退したいなどという要求が自分の評価を下げることは分かっている。最悪の場合、じゃあ明日から来なくていいなどと言われるかもしれない。だが編集長は静かに分かりましたと呟いた。安堵したのも束の間、突き放すような口調で言った。
「少し甘いんじゃないですか?」
 返す言葉がなかった。すいませんともう一度頭を下げて私は会社を飛び出した。
 
 額に濡れたタオルを乗せられた状態で、さゆはソファベッドに寝かされていた。顔全体と後頭部は熱を持っていたが脈拍は落ち着いていて命に別状はなさそうだった。目を瞑ったさゆの身体からはほんのりと甘い香りがした。テーブルにはコカインのパケが置かれ、CDアルバムのジャケットに粉末が散らばっていた。
「さゆ、聞こえる?」
 呼びかけるとさゆは腫れぼったい目を開けて小さく頷いた。
「どんな感じ? 少しは落ち着いてきた?」
 もう一度頷く。この様子なら三十分もすれば動けるようになるだろう。
 少し離れた位置で加藤から事情を聞いた。加藤は昼過ぎにさゆからいいコークが手に入ったから一緒にやらないかと誘われた。集合場所として選ばれたのが私の家で二人はコカインを吸い始めた。さゆは嫌なことがあったのか憂さ晴らしをするように異常なペースでコカインを吸っていった。
 加藤は心臓が軋み始めたタイミングで吸引をやめたが、さゆはその後も吸い続け、最後だからと言って煙草ほどの太さのラインを一気に吸い込んだ。直後にこめかみを押さえ、ヤバイかもと呟き、そのまま倒れてしまったという。
「俺が止めればよかったのに、ごめんな、仕事の邪魔して」
 加藤が頭を下げる。
「いいよ、無事だったし」
 私たちはしばらく口をつぐんでいた。さゆがかすれる声で水が飲みたいと言い、加藤が冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをコップに注いで渡す。さゆは何度かに分けて噛むように水を飲んだ。波打つさゆの白い喉が美しい丘のようだ。コップを床に置くとさゆは細い息を吐いた。
「あーあ、あのまま死んじゃえばよかったのに」
 天井を見上げる目は虚ろだった。話しかける言葉を見付けられずにいると、さゆが私のほうを向いた。
「シンちゃん、私、もうイヤになっちゃったよ」
「なにが?」
「ぜーんぶが」
 そう言った後、自嘲するように笑った。わずか数十センチ先にあるさゆの身体は遥か遠くで浮遊しているような危うさを持っていた。カーテンを引いた薄暗い部屋の中で陶器のように白い肌がぼんやりと光り、首筋に透けている青い血管が鮮やかだった。
 誰も口を開かずにいると唐突に加藤が、コンビニに行くけどなにかいる? と聞いた。さゆが加藤に目をやって、ゼリーとか食べたいかもと答えた。頷いた加藤は、ちょっとぶらついてくるから帰るとき電話入れるよと言って部屋を出ていった。
 二人になった部屋は異様に広く感じられた。目の前のさゆに手を伸ばしても届かない気がする。再び熱っぽくなってきたのか、さゆは苦しそうに胸を上下させてから言った。
「私、Vの仕事やめてきたよ」
 さゆはAVのことをVと言う。
「そうなの?」
「っていってもマネージャーさんにやめるって言っただけだけどね。新しい仕事とらないでくださいって言ったから、これでやめられるんじゃないかと思う」
「それにしてもいきなりだね」
「信じられなくなっちゃったんだ。会社の人とか、みーんなが」
 理由を聞いたがさゆは答えなかった。AVの制作会社との関係か現場で問題があったらしい。重ねて聞くつもりはなかったが、ひょっとしたら加藤には話しているかもしれないと思うと嫉妬心を覚えた。
「嫌なことがあって、そのことで私キレちゃったんだ。事務所に電話してマネージャーさんと話して、引き止められたけど、とにかく仕事はとらないでくださいって言って電話切っちゃった」
 それがおとといのことだという。その日は気分がいいまま過ごした。いつまでも続けられる仕事ではないと思っていたため晴れ晴れとした心境だった。だが、昨日になって突然心細くなった。
「私にとってVの世界は大事な居場所だったんだ、それがなくなっちゃってどこに行けばいいんだろうって思って。大学にはあんま行ってないから友達はいないし、地元の友達とも連絡取ってない。あとはシンちゃんたちしかいないんだ。でも、トミーは連絡つかないし、シンちゃんは忙しそうだし、加藤も元気ないし、私本当にひとりぼっちになっちゃったって思ってすごく怖かった」
 さゆは肩をすぼめ、だから加藤を誘ってコーク吸ったんだと言った。
「で、やりすぎちゃった?」
「バカでしょ?」
「バカっていうか切実だよ」
 加藤はまだ帰ってこない。こちらから電話をしない限り帰ってこないだろう。
「でも、やめられてよかったじゃん」
 私の言葉にさゆは覚めた目で答える。
「まだ分かんないよ。とりあえずはやめた。でも、それで終わりかは分かんない。マネージャーさんから電話がかかってくるだろうし、それで仕事始めちゃうかもしれない」
「せっかくやめたのに?」
「そういうものでしょ。シンちゃんだってそうじゃない。クスリやめるやめるって言って結局やめられてないでしょ、そういうもの。それまで生活の一部をやめるなんて簡単なものじゃないのよ」
 そう言った後、さゆは苦しそうに顔を歪めた。心配になって覗き込むと、さゆが私の首に手を伸ばしてきた。首の後ろを両手で抱えられる。強い力に引かれ、私はさゆの上に覆い被さった。さゆの身体からは乳臭い匂いがした。
「ねえ、シンちゃん」
 耳元でさゆが囁いた。
「セックスしない?」
 心臓が小さく弾んだ。さゆと重ねている頬が蕩けそうな熱を放っている。
「今まで倒れていたんだしヤバイよ」
「ゆっくりすれば大丈夫」
「なんでだよ、よく分からないよ」
 私はなぜか泣き出しそうになっていた。こんなふうにヤッてしまうのは嫌だと思った。さゆの呼吸のリズムと私のリズムが同調していく。さゆの胸の膨らみが私の胸を押している。私は首を振り、さゆから身体を引きはがした。顔を突き合わせたまま今はよくないよと熱い息で言う。さゆの黒々とした大きな瞳が私のことをとらえている。
 首に回っていたさゆの手から力が抜け、だらりと垂れた。虚脱した表情で独り言のように呟く。
「昔は楽だったな、セックスすればその人のことが好きかもしれないって思ったもの。今はそういうのも分からなくなっちゃった」
「仕事してたから?」
「多分、でも違うかもしれない」
 さゆの顔がまた歪んだ。私は整ったさゆの顔よりも不安げなさゆの顔をいとおしく思った。
「シンちゃん、知ってる? 仕事で使う精子に偽物があるって」
「知らない」
「コンデンスミルクとローション混ぜて作るんだ。中出しの作品のとき、それを膣の中に入れるんだけど、そんなの偽物。どれだけしても子供はできないんだ」
 さゆの目は怪しい光を放っていた。
「でも、ここでセックスして子供ができたら、私、世の中が無常じゃないって思えるかもしれない」
 その言葉は私の関心を引いた。
「なにかあるかもしれないってこと?」
 そうとさゆの唇が動いた。
「だから今しよう」
 さゆが舌を伸ばして私の頬を舐めた。その部分が灼けたように熱くなる。私はさゆに覆い被さり、首筋の青い血管に舌を這わせた。濡れた血管はみずみずしく妖美な輝きを放っている。私はさゆの全身の血管に沿って舌を這わせたいと感じた。さゆの服を脱がせると呼吸が荒くなり、私は心臓を心配した。私は舌の粘膜と皮膚をできる限り密着させて一ミリずつ舐めていった。首筋のあたりからは乳臭いさゆの体臭が強く香っていた。
 さゆの下着に指を運ぶと驚くほど潤っていた。私は一瞬おののき、その直後に全身が奮い立つのを感じた。さゆの右手が私の性器をまさぐり始める。私は非常に硬く勃起していた。さゆが身体を起こし、私は膝立ちになった。勃起した性器は激しく摩擦されることを望んでいた。以前さゆとしたときはさゆはそうしたはずだった。しかし、さゆは性器の形を確かめるように丹念に舌を這わせた。これは仕事じゃない。私はさゆに対する思いで胸が満ちるのを感じた。
 性器は潤いのある音を立てながらさゆの中に飲み込まれていった。さゆの中は溶けそうなほど熱く、うねりを感じながら深く差し込んだ。さゆは高い声を上げ自らも腰を振ろうとしたが、私は上から肩を押さえつけた。ダメだよ。なんで? 心臓が危ないでしょ。いいの。よくないよ。私はさゆの形に合わせるように腰を動かした。
 上り詰めたのは同じタイミングだった。さゆは中にと叫んだ。しかし、私は深く差し込んだ性器を抜いて腹の上に射精した。私は支えを失ったようにさゆの上に覆いかぶさった。しばらく私たちは肩で息をしていた。さゆが動き出す気配を感じて身体を離すと、さゆは腹の上の精液を指ですくい取って眺めていた。
「偽物じゃないよ、それは偽物じゃない」
 枕元にあったティッシュで腹の上の精液を拭き取った。これはコンデンスミルクとローションを混ぜたものではないのだ。さゆは膣内に射精しなかったことを不満に思っているようだったが、私はこれでいいんだと言った。もしここで妊娠をすれば赤ん坊にはコカインの影響が出る。さゆは我に返ったように本当にそうだと言って天井を見上げた。

(つづく)

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