ファッキンデイズ24

 厳しい言葉を受け電話を切るたびに気持ちが沈み込んでいく。履歴書を送りたいと口にしても、予備校生ならばバイトなどせずに勉強したほうがいいということを立て続けに言われていた。求人情報を出していた出版社にはすべて連絡をして、すべて断られた。面接に臨む以前に学歴ではねられるという現実に心が折れそうだった。
 一方、浩司は次々に面接を決め、勇んで出かけていった。だが口の悪さと態度が災いしているのか、コンビニのバイトにも弁当屋のバイトにも落ちた。私は働きたいなら丁寧な受け答えをするべきだと助言したが、浩司はいつもと違う態度で入ったとしても続かないと頑なだった。私たちは夕方になると顔を見合わせて溜め息をついた。
 浩司を誘って夕食に出た。吉野屋に行こうとしたが浩司は一人暮らしなら野菜を食べなければダメだと言い、松屋で生野菜のついた定食を頼んだ。飯をがっつきながら食べている浩二が思い出したようにマナブのことを口にした。
「あいつ、おとなしくしてるらしいぜ」
 私は味噌汁をすすりながら答える。
「ヤバいシノギは?」
「兄貴分の都合が悪くなってあんまやってないらしいよ。真面目に稼いでるんじゃねえか」
「なにで?」
 それが分かんねえんだよなと言いながら浩司がカルビ肉を頬張っている。
「この間話したんだけど、言いたくないみたいだった。でも、ヤバイことやってるから言いたくないってよりはたいしたことしてねえから恥ずかしいみたいな感じだったぜ」
「パクられなきゃいいけどね」
 そうだけどよと言って浩司は私を見た。
「いつかあいつはパクられるよ。覚悟もしてるみたいだったしな」
 とめてやれと言おうとしたがやめた。浩司もマナブも二十歳を過ぎた。私も三ヶ月後には二十歳になる。もう放課後に遊んでいた子供ではないのだ。だけどさ、と浩司は続けた。
「シンちゃんと話したそうにしてたよ。ま、コングのこともあるし電話しにくいんだろうな。今あいつの周りギスギスした感じのやつらばっかりで気持ちが休まんないじゃねえかな。シンちゃんも気が向いたらあいつに電話してやんなよ」
 私は頷いたが今の段階で電話をすることはないと思った。就職活動を始めたもののまるで手応えのない私と組織の中で立場を固められないマナブ、私たちが話したところで中身のない励まし合いをすることぐらいしかできない。
 食事を終えて帰宅したが、誰の姿もなかった。私はしばらく地元の友達がくると告げただけだったが、あれだけ仲の良かったさゆもトミーも加藤も足を運んでいない。さゆはAVの仕事を多く入れていて疲れているようだったし、トミーはのぞみにべったりだったし、加藤はダビッドの一件から完全には立ち直っていなかった。みな心に余裕がない状態では私の地元の友達に会いたくないようだった。
 就寝するため部屋の電気を消したが、なかなか寝付けずにいた。浩二も同じなのか、しきりに寝返りを打ったり苦しそうな声を漏らしている。相変わらず効きの悪いエアコンのせいで部屋の空気は蒸し暑い。
「なあ、シンちゃん」
 暗闇に浩二の声が放たれた。
「なに?」
「やっぱ起きてたか」
 浩二はそう言った後、あっけらかんとした口調で言った。
「そろそろ沼津帰るわ」
 予期していない言葉ではなかった。私はそうかと受け止めて、浩二の言葉を待った。
「東京ってやっぱすごいよな。一週間いて俺には合わないって思ったよ。水飲んだら腹痛くなるし、渋谷行ったら交差点自分の行きたい方向に渡れないんだぜ、人が多過ぎて」
 浩司は自嘲するように言うが、私はまるで笑えなかった。自分もほんの二、三ヶ月前まで同じだった。そんなのはすぐ慣れるよと言ったが、浩司はそれが違うんだよなと答えた。
「シンちゃん覚えてるか分からないけど、中二のとき、みんなで東京来たことあったじゃん」
「あったね、覚えてるよ」
「じゃあ、帰り道のことは?」
「なんかあったっけ?」
「俺、すげえ覚えてることあってさ、そのときシンちゃんって変だなって思ったんだよね」
 浩司は中学二年生のときに四、五人の仲間と連れ立って東京に行ったときの話をした。東京に向かった私たちは舐められてはいけないという若気の至りとしか思えない理由からみな派手な格好をしていた。私は革ジャンにサングラス、浩司は金髪の頭にスカジャンというふうに精一杯の虚勢を張った。
 右も左も分からない私たちはどの駅で降りればいいのかさえ決められず、浩司の言った、とりあえず東京っていったら東京でしょという言葉に従い、東京駅で降りた。しかし東京駅の巨大な地下街に迷い込み、改札から出ているのか出ていないのかさえはっきりしないまま一時間近く迷い続けた。駅員に聞けばよかったのだが、派手な格好をしているという恥ずかしさから道を尋ねることもできなかった。ようやく外に出ることができても銀色に輝くオフィスビルが建ち並んでいるだけで、私たちのイメージする東京はそこにはなかった。
「結局すぐに駅戻って、あのときはへろへろになったよなぁ」
 感慨深そうに浩司が言う。
「そうそう、それから原宿行ってもみくちゃになって更に疲れたよね」
「あー、で、渋谷だろ。足がくたびれて新宿まで行けなかった」
 私は苦笑した。少しずつ暗闇に慣れてきて蛍光灯から伸びる紐が見えるようになった。浩二は少し間を開けてから言った。
「夕方になってもう疲れたから帰ろうってなったよな」
「実際、あんま東京回れなかったんだよね」
「一番長くいたのが東京駅だっていう」
 そう言って浩司は少し笑って、その後、声を引き締めた。
「でさ、みんなくたくただったからすぐに帰ろうってなって山手線乗ったんだ。シンちゃん、そのときなんて言ったか覚えてる?」
「俺が? そのとき?」
 記憶を呼び起こそうとしたが窓外の夜景を眺めたことぐらいしか思い出せなかった。分からないと答えると浩司は淡々と話した。
「みんなで山手線乗ってさ、品川から鈍行で帰ろうってなったんだけど、シンちゃん、品川が近付いてきたらもうちょっと東京残りたいって言ったんだぜ」
 まったく覚えていなかった。だが、そう言いたくなる自分の姿は想像することができた。
「それでどうしたの?」
「俺たちは帰ろうって言ったんだけど、シンちゃん頷かないんだ。でも、俺たちも歩き回りたくない。それでどうするかってなって、そしたらシンちゃん、だったらこの電車乗ってたらいいじゃん、山手線ってぐるぐる回ってるから座っていられるし、これなら東京残れるし疲れないって無茶苦茶言い出してさ。そろそろ思い出した?」
「ダメだ、全然思い出さない。でも、なんか俺っぽいかも」
「結局わがままなんだよな。山手線でそのまま一周してから俺たち帰ったんだ」
 浩司はそう言い、そのときの私の姿が印象的だったと言った。共に東京に行った仲間のうち二人は疲労からうたた寝を始めた。浩二も浅い眠りに誘われた。その後、目を覚まして顔を上げると、私は一人で窓のほうに身体を向け東京の夜景に目をやっていたという。うっとりとした表情が気持ち悪くて声をかけられなかったと浩司は笑った。
 そのときの夜景はよく覚えている。東京は街ごとに表情が違っていた。サラリーマンで溢れる街もあれば、ネオンが輝く街もあった。薄暗い中に佇む街もあれば下町の雰囲気が香る街もあった。それが駅ごとにくるくると変わる。私の目に東京の情景は万華鏡のように映った。
「だからさ、シンちゃんは東京残んなよ。シンちゃん東京向いてるよ」
 私は浩二の言葉を噛みしめた。だが、そのためには仕事を探さなければならない。
「あっ、ちょっと電気つけていい?」
 思いついたように言った浩二は立ち上がって蛍光灯の紐を引っ張った。目の前が真っ白に染まる。一気に光に溢れた世界の中で浩二が何かを漁っている気配がする。
「おい、いきなりつけんなよ」
 薄目を開けると浩二は自身のバッグの中を探っていた。パンフレットのようなものを何冊かつかんで明るい顔を向ける。これなんだけどと言って渡されたのは数冊のタウン誌だった。
「シンちゃん、出版社に入りたいって言ってただろ、でも、どこも断られたって。俺、いろんなとこに面接行ってたじゃん。フリーペーパーみたいなのが駅とかスーパーにあったから片っ端から持ってきたんだ」
 手にしたタウン誌に視線を落とす。豊島区、渋谷区、品川区、荒川区の四冊があった。浩二が照れくさそうに、載ってるといいなと言い、私は礼を言った。渋谷区のタウン誌を開いたが、出版社の求人は載っていなかった。次に品川区のタウン誌を開いた。こちらも空振り。荒川区も同じだった。浩司が身を乗り出しておかしいなあと首を傾げている。
「じゃあ、それだよ、豊島区」
 ホントかよと零しながら最後の一冊を開く。求人募集は飲食店のクーポン券の後ろに申し訳程度にあるだけだった。私の視線は小さな求人広告に吸い寄せられた。
 
 【職種】編集補助(アルバイト募集)
 【応募資格】二十五歳ぐらいまで、学歴不問
 【仕事内容】パソコン入力補助、校正等
 【勤務地】豊島区大塚
 
 学歴不問という部分が輝いている。浩司と顔を見合わせて、あったあったと頷き合った。

(つづく)

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