ファッキンデイズ30

 トミーに何度も電話をかけたが拒絶されているのかつながらなかった。三日間カプセルホテルで過ごした私は部屋の様子が気になり帰宅することにした。定時でバイトを上がりおそるおそるドアノブに手をかけると、部屋の中に鎮座していたマリファナの株のイメージが鮮明に浮かぶ。
 意を決してドアを開けるとマリファナの株は忽然と姿を消していた。ほっと息をついて部屋に上がる。運び出したのなら電話の一本ぐらいすればいいと思ったがトミーなりに割り切れない思いがあるのだろう。
 久し振りにクスリ箱を引っくり返してみたが、タマが三錠、紙が二枚、マリファナが十グラムほどしか残っていなかった。今後はネタを買うつもりはない。これが終わればドラッグとは今まで以上に遠ざかることになる。
 数日間、私は静かな生活を送っていた。シャワーを浴びソファベッドに寝転がってバラエティ番組を見ていたときチャイムの音が響いた。時計に目をやると二十三時三十五分。こんな時間に誰が転がり込んできたのかと面倒臭く思った。急かすようにもう一度チャイムが鳴った。
 ドアを開けると見知らぬ二人の男が立っていた。警察だろうか。胸が苦しくなる。年齢は私と同じか、少し上。ダークスーツとジャージ姿の二人組で、スーツのほうはセンター分けの黒髪、ジャージのほうは五ミリほどで揃えられた坊主頭だった。
「草下君だよね」
 小首を傾げながら馴れ馴れしそうにダークスーツの男が言う。
「そうですけど、あなたたちは?」
「のぞみっつったら分かるかな?」
 厄介事しか運んでこない女だ。
「知ってますけど」
「俺、のぞみの彼氏」
 スーツの男はぎこちなく口角を上げた。私を見詰める目には一度食らいついたら離さないという粘着性のいやらしさが滲んでいる。のぞみのことだ、トミー以外の男がいてもおかしくはない。
「私になんの用ですか?」
「つーか、立ち話もなんだからさ、上げてよ、俺ら」
「上げませんよー」
 引きつった笑みで否定すると突然ジャージ姿の男が威嚇をした。
「てめっ、上げろってんだろ」
 目の前にぶら下げられたものにはなんでも噛みつきそうなやつだ。ジャージ姿の男の目は瞳孔が最大限に開いていてシャブを決めている可能性が高い。絶対に部屋に上げたくない。だが玄関先で騒がれるのも困る。返答に窮しているとスーツの男が胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「これ、ここだよね」
 そこには私の部屋に置かれたマリファナの株が写っていた。なぜこんな写真があるのか。動悸が激しくなる。
「のぞみが持ってきたんだよ、ヤバイものが置かれたアパートがあるって。ねえ、この写真マズくない?」
「マズイもなにも俺のじゃないですし、今ここにもないですよ」
 夜中に訪ねてきた二人組の男とマリファナの写真、この状況はゆすられているというわけか。下っ腹のあたりが一気に熱を持った気がした。
 私の態度を値踏みしているのか、ジャージの男が再び、写真に写ってんだろうがと声を荒げた。廊下に声が反響し気が気ではない。静かにしてくださいと告げると、スーツのほうが脂下がった笑みを浮かべながら、そんな対応なら警察に通報させてもらうだけだからねと言う。
 この部屋にはネタがある。マナブが持ってきてくれたマリファナの出所を探られるのも困る。今夜は長くなりそうだ。私は二人を部屋に上げることにした。
 ソファベッドの前に私が座ると、二人も腰を下ろし、身を乗り出すようにして威圧感を与えてくる。二人からはシャブ中特有の体臭を隠すためかコロンの匂いが漂っており、私は息が詰まりそうだった。話し始めてすぐに二人の目的と状況が見えてきた。
「これマズイんじゃないの?」
「なあ、写真どうすんの?」
 畳み掛けられる言葉を解釈すれば写真を買い取れということになるだろう。自分のほうから金の話を持ち出さないのがコツで、それを口にした途端、恐喝行為に問われることになる。マナブの周囲にいた連中からこの手の雑学はいやというほど聞かされていた。
 この状況は彼らにとってみればかなり有利なはずだ。マリファナの株の写真があれば警察がガサ入れをするのには充分だし、この部屋には実際にネタがある。言葉遣いなどから察すると、のぞみの彼氏と言っているスーツ姿の男はのぞみの先輩、ジャージ姿はその弟分のような存在だろう。
 私は、はあ、そうですか、いや、それは、などと言葉を濁しながら二人のことを観察していた。二人の背後にはのぞみとトミーの影がちらついている。トミーは私のことを逆恨みして、この部屋のことをシャブ仲間に話した。彼らはシャブでグリグリになった頭で私をゆすることにして、わざわざ写真を撮ってからマリファナの株を運び出したのだ。
「お前さっきから聞いてんのかよ。どうすんのって聞いてんの」
 スーツ姿が苛立たしそうに言う。
「でも、実物はここにないわけですし、問題ないと思うんですけど」
 私の言葉にジャージ姿が声を荒げる。
「写真が証拠だろうが」
 玄関先で抱いた焦燥感は消え去り、なぜこんなやつらを相手にしなければならないのだというやり切れなさとトミーに対する失望が大きくなっていた。この二人はゆすり方が下手だ。マナブだったらもっとうまくやる。そうだな、せめてバイト先に現れるとか。そうなればこちらも下手なことはできなくなる。私はあくまでしおらしく答える。
「でも、物はないわけですし」
「だから写真あるっつってるだろうが」
「ですから写真ですよね、あるのは」
 自分たちの描いたシナリオ通りに事が進まないことに二人は苛立ち始めていた。一方で私は二人の馬鹿げた要求を呑むことは絶対にしないと決めていた。二人が帰らないならいつまでもここに居座ればいい。二人はこの部屋にネタがあることを知っているが、それを本当に警察に通報するようなことはしない。そんなことをしても一銭の金にもならないし、自分たちも恐喝かシャブで捕まるだけだ。その後もくだらないやり取りを続けていたが、心底嫌になってきた。
「ちょっと友達に電話してみますよ」
 トミーに電話をかけようとするとジャージ姿が、俺たちをなんだと思ってんだと喚き立てた。ヤクザ組織に属していると匂わせたいようだが、マナブでさえ正式な盃を受けるのには時間がかかるのが実情だ。せいぜい事務所に出入りしているチンピラだろう。
 ヤクザは怖いと思っている人は多いが、実際のところ、ヤクザはしつこいだけなのだ。ヤクザは弱い獲物を見つけたら徹底的に搾り取ろうとする。暴力を振るったりあけすけな脅し文句を口にするのではなく、相手が出るまで電話をかけ続けたり、家の前に何度も来ているような痕跡を残したりして精神的に追い詰めていく。それに対してはもう好きにしてくださいと開き直るしかない。
「いい加減、ふざけてんじゃねえぞ」
 ジャージ姿の口から飛んだ唾の飛沫が顔にかかった。最悪だと思った。
「もう許してください」
 泣き言を漏らすとスーツ姿の頬がかすかに緩んだ。
「やっと話をする気になったか?」
「はい、その写真はマズいんで」
「そうだよなぁ、こんな写真警察に持っていかれたら困るよなあ」
 私は小さく頷いた。ジャージ姿も私の変化を満足気に眺め、だったらどうするんだよと畳み掛けてくる。私がどうすればいいんでしょうかと問い返すとスーツ姿は自分で考えろと答える。
「ガキじゃないんだから大人の対応してくれよ。な?」
「大人の対応というと?」
「あんたはこの写真を取り返したい。で、俺たちはうまいものが食いたいってことだよ」
「写真を買い取れってことですか?」
 単刀直入に言うとスーツ姿は、それはあんたの解釈だけどそれもひとつの手かもしれねえなと答える。私は涙目で金がないと訴える。仕送りが止まって貯金も二、三万しかない。写真を買い戻す金などはないと。
 だったら親に借りればいいだろうとスーツ姿は話を詰めてくるが、私は首を横に振る。こんな生活をしているんで親からは勘当されています。だったら俺の知ってる金融屋を紹介するからとスーツ姿が言うが、必死で首を横に振る。それだけは許してください。だったらどうするんだよとジャージ姿がドスを利かせる。いい方法を三人で考えようとスーツ姿が場を仕切るように言い始める。私は長い間眉間に寄せていた皺を緩め、スーツ姿に提案した。
「金を貸してくれそうな友達がいるんですけど」
「あ、友達?」
「そいつんち金持ちだから困ってるって言えば貸してくれると思います」
 一瞬、思案顔になってからスーツ姿が押し殺した声で言う。
「そう言って変なところに電話かけたら分かってんな」
「はい、分かってます」
「かける前に携帯見せろよ」
 私が頷くと、だったら電話してみろと許可が下りた。私は携帯を取り出しディスプレイに名前を表示させた。どんな友達なんだと聞かれたので地元の友達ですと答える。よし、かけろ。スーツ姿の言葉に頷いた。
 私はマナブに電話をかけた。今は出てくれよ。
「シンちゃん、久し振りだな」
 マナブの弾んだ声が聞こえた。
「どうした? こんな時間に」
「それが相談があって」
 そこまで話したところでスーツの男が私の手から携帯を奪った。どんな展開になるのかと胸が騒ぐ。マナブのオヤジさんは広域暴力団の中でも有力な組の幹部だ。当然マナブはその実子として話すだろう。恐喝をかけてきた二人組の出入りしている組がマナブの組よりも力を持っていれば事態はより悪い方向に向かう。だが、その可能性は低いだろうし、私は、そうだったとしても構わないという暗い開き直りを持っていた。
 スーツの男は電話の向こうのマナブに声を荒げている。最初にカマしておこうというつもりだろうが私は薄ら寒い思いがした。スーツの男の隣ではジャージ姿が舌なめずりをするように私に睨みを利かせている。
 はじめは強気だったスーツ姿だが次第に頬が強張り始めた。口調も丁寧になり、いや、あの、と言葉に詰まるようになった。どうやらマナブのほうが立場が強かったらしい。異変を感じたジャージ姿は私とスーツの男を不安げな表情で交互に見た。
 スーツの男は顔面蒼白になり謝罪を口にし始めた。すっかり部屋は静まり返り、受話口から漏れたマナブの低い声が聞こえてくる。スーツの男は委縮しきった様子で自分の携帯番号を伝えていた。その姿を見て私は、ああ、終わりなんだなと思った。
 その直後に違和感を覚えた。普通ならもっとほっとしたり、マナブを心強く思ったり、逆にマナブを頼った自分を恥じたりするものだ。自分でも気付かないうちに水槽を被っていたらしい。以前は徐々に実感が失われていく時間帯があり心構えをすることができたが、最近は唐突に水槽を被っていることが多くなった。おそらく二人を部屋に上げて稚拙な恐喝を受けているときにむなしさを感じたのだろう。
 憔悴したスーツ姿が私に携帯電話を戻した。受け取るとマナブが意気揚々と話し出す。
「シンちゃん、いい話持ってきてくれたわ。ありがとうな」
「俺は話がつけばいいんだけどね」
「で、シンちゃん、三割でいい?」
 マナブのこもった声が遠くから聞こえる。
「俺はいいよ。二度と面倒なことを言ってこなければいいんだ」
「もったいないぜ」
「俺はいい」
 わずかな間があり、マナブは言った。
「だったら俺の好きにさせてもらっていいか?」
「いいよ」
「じゃ、その二人とりあえず帰ってもらってよ。あとで俺から連絡があるって言っておいて」
 電話を切ってマナブの言葉を伝えると、二人は力なく頷いて立ち上がった。部屋にやってきたときの勢いは消え、全身に暗い影が張り付いている。ジャージ姿のほうが恨みがましい眼差しを送ってきたが自分勝手だと思った。スーツの男は私のほうを振り返りもせず部屋を出ていった。私は閉ざされたドアにしばらく視線を送っていた。数分後に鍵を閉めにいった。ガチャリという施錠の音が胸の中で響いた。

(つづく)

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