ファッキンデイズ25

 面接は出版社の応接用スペースで行われていた。白いテーブルを挟んで二人の男性と向き合っている。右側には眼鏡をかけた瘦せぎすの男性がついていて、左側には優しい眼差しをした初老の男性が座っている。眼鏡をかけた男性が編集長、初老の男性が社長だった。最高責任者が同席する面接に私は恐縮しきっていた。
「草下さんは予備校生ということですがアルバイトをして大丈夫ですか?」
 編集長の質問に私は、今は進学よりもやりたい仕事をして社会に出たいと答えた。編集長は顎を引き、そうですかと呟いたきり少し黙った。私は薄っぺらい自分の人生を見透かされた気持ちがした。
「大学を出てからでも遅くないと思いますよ。私は予備校に行ったほうがいいと思います」
 口調こそ丁寧だが厳しい内容だった。求人募集をタウン誌で見付けたときは目の前が開けた気がしたが、実社会で働いている人たちを目の当たりにすると自分の存在があまりにも心細かった。
「大卒ではないと出版社に入るのは難しいでしょうか?」
「難しいでしょうね」
 そうですよねと肩を落としたが、編集長が言葉を継いだ。
「ただ不可能というわけではありません。うちの会社にも高卒のデザイナーがいますよ」
「そうなんですか」
「ええ、出版社は売れる本を作るのが仕事ですから能力があれば学歴は問いません。ただ、デザインの専門学校を出ているとか、他に特殊分野の知識が非常にあるとか、なにかスペシャルなものがないと難しいですね」
 あなたには特別なものがありますかと遠回しに聞かれた気がしたがなにも言えなかった。
「草下さんは出版社に入ってなにをしたいのですか?」
「本を作りたいです」
 編集長と社長の背後にある本棚にはずらりと刊行物が並んでいる。すべてが単行本で雑誌の類いは見当たらなかった。ペットやギャンブル、PC関連書などの実用書が多い。
 編集長は本棚のほうを振り向きながら、うちはこういった本が多いのですがいい企画はありますかと聞いた。これまで本の企画など考えたこともなかった。一冊の本がどのようにして出来上がっていくのかも知らない。私は答えられなかった。受かるはずがないという諦めが胸中に広がっていく。
「なぜうちを選んだのですか?」
 ほとんど口を開かなかった社長が柔和な表情で語りかけてきた。髪には白いものが目立つが、瞳には若々しい光が宿っている。
「いろいろ出版社を受けようとしたのですが履歴書も受け付けてもらえませんでした。もう受けるところがないと思ったときに友達が持ってきてくれたタウン誌に求人が載っていたんです」
 初めて自然に言葉が出てきた。社長は、いい友達ですねと目を細めた。自分のことを褒められた気がして嬉しくなり、いい友達ですと頷いた。
「出版社はいくつ受けましたか?」
「十社ぐらいに電話をしたと思います」
「反応はどうでした?」
「すべて電話で断られました」
 社長はしみじみと頷いた。面接を受けているというより人生相談に乗ってもらっているようだ。
「仮にうちに入ったとしましょう。アルバイトの時給で生活していくことはできますか?」
 しばらくは親が家賃を振り込んでくれる。バイトを始めれば仕送りは止まるだろうが毎日働けば生活していくことはできると考えていた。そのことを伝えると社長が眉を顰めた。
「仕送りが終わったらどうです? 四谷に住んでいるようですが自分で家賃を払っていくことはできますか?」
「正直そこまでは考えていません。今は仕事をしたという気持ちしかないです」
「うちはそこまで景気がよくないですから働いてもらったとしてもずっとアルバイトのままかもしれませんよ」
「それでも構いません。家賃が安い街に引っ越して通います」
 この社長や編集長と共に働きたいという気持ちが膨らんできた。口調にも自然と熱がこもるようになる。電話をかけた出版社の社員たちは高卒と聞いただけで私を除外した。彼らからすれば当然のことだが、この会社は違う。私を一人の人間として扱ってくれている。
 出版社といっても雑居ビルの三階のフロアを使っている会社だった。出版社というと巨大なビルを持っているイメージだったが、こんな小さなところで本を作っているんだと不思議な気がした。パーテーションの向こうからは社員たちが電話で話す声やタイピングをする音が絶えず聞こえてくる。この場所で本が作られているのだという生々しい仕事場の空気が漂っている。ここで働きたいと思った。
「どんな大変な仕事でもやります」
 編集長が喉の奥で小さくうめいた。難しい、と言っているようだった。編集長は細い顎に手を当ててから、パソコンは使えるの? と聞いた。
「高校の授業で少し触っただけなのであまり使えませんがワープロは打てます」
 編集長は据わった目のまま頷く。私のほうからどのような仕事があるのかと聞くと、編集長は校正や文章の入力、編集やデザインの補佐などと答える。
「あくまで補佐的な仕事ですよ」
 私以外に何人受けているかと聞くと五、六人という答えが返ってくる。尋ねることを躊躇してしまったが私以外は大卒だろう。編集長は次に、弊社で働くことになったら予備校はどうするのかと聞いた。予備校には行かずに仕事に打ち込みたいと答えると編集長の顔が曇る。
「それは責任重大ですね。ご両親はどう思いますかね?」
「納得してくれると思います」
「大丈夫ですか?」
 訝しそうに眉根を寄せる。
「大丈夫です。説得します」
 一拍置いてから編集長は静かに言った。
「厳しいことかもしれませんがひとつ聞いていいですか?」
「はい」
「草下さんは予備校に通って大学に行くために上京したのですよね」
 ぐっと内臓が絞られる気がした。
「ですが、上京して半年も経たないうちに予備校には通わない、大学には行きたくないと言っている。私には無責任な行動に思えるのですが、そのあたりはご自身でどう考えます?」
 編集長の目を見ながら私は必死で口を開いた。
「予備校の件については自分でもだらしないと思います。親には申し訳ないとも思っています」
 編集長も社長もじっと耳を傾けている。私は喘ぐように言葉を続けた。
「ですが、仕事は別です。地元にいたときにコンビニでバイトをしていたんですが一生懸命働きました。働きぶりが評価されて社員にならないかと誘われました」
 話しながら頭の片隅で、そんなことを言いながらマリファナの小売りもしていたよなという囁きが聞こえた。私は熱っぽく仕事に対する思いを語りながら、そんな自分をしらじらしいと感じた。
 久し振りの水槽だった。気付けば頭頂部まで水に浸かっていた。視界が揺らぎ、編集長と社長の姿がぼやけて見えた。体重が失われて身体が浮遊しそうになった。そんな私を二人のビー玉のような目が観察している。それでも私は喋り続けた。
「最後に意気込みのようなものがあればお願いします」
 終了間際の編集長の言葉に私は答えた。
「私は本が好きです。今は編集者というものは分かりませんが、本を作る手助けをすることができればすごく嬉しいです。仕事は一生懸命やります。どうか、よろしくお願いします」
 編集長の眼差しには覚めた色が浮かんでいる。本心を話したつもりだったが浮ついた感覚が抜けなかった。そこに含まれたウソを見抜かれたのではないか。私はこんな自分が採用されるはずがないと思った。
「では、結果は三日以内に電話で報告させていただきます」
 頭を下げてオフィスを出た私はエレベーターで一階に向かった。ビルの外に出ると世界は水の中だ。車の走る音がエコーを伴って遠くから聞こえてきて、道路やビルなどの景色が高濃度の砂糖水に水没させたように揺らめている。
 少し歩いてさっきまでいた雑居ビルを振り返った。あの場所に自分がいたことに実感が持てない。たった一瞬の接点を持ったが、これからもあの場所は私とはなんの関係もなく存在し、本を作っていくのだろう。私もいつしか今日のことを忘れ、書店のあの出版社が作った本を手に取ってもなにも感じなくなるだろう。私は雑居ビルに背を向けて駅までの道のりをふわついた足取りで歩いていった。

(つづく)

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