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2024.1.10「赤ちゃんの頃の写真を見せる行為」「キムチ鍋を作りながら、お母さんと電話をする」

赤ちゃんの頃の写真を見せる行為

 職場の若い女の子が、よく自分が赤ちゃんだった頃の写真を周りに見せる。周囲は、「可愛いねー」とか「面影あるねー」みたいな反応をする。私も例に漏れずそういった反応をした。その時は、何も思わなかった。ただ、よくよく思い返して、あれはいったいなんなのだろうか? と思った。
 率直に言うと、今と違う自分の姿を、今の自分しか知らない人たちに見せるのが嫌じゃないのかなぁ? と思ったのだ。……私は、嫌だなぁ。
 スマートフォンが普及し始めた頃、私は既に大きかった。だから、私が子どもの頃の姿はデータ上どこにも存在していない。見せられるものがないから私は今までそういった行為をしてこなかっただけなのだろうか。だからそう思うのかな。昔、ミニスカートを穿く女性に対して周囲が首を傾げたように。
 LINEやTwitterのアイコンで、自分が子供だった頃の写真を使用している人もままいる。きっと流行っているのだろう。
 しかし、赤ちゃんの写真を見せられると、「可愛い~」以外の言葉が浮かばない。もし、それが狙いなのだったら、そうまでして「可愛い」と言われたいのだろうか。その人の容姿に対する劣等感や執着を思うと、難儀だなぁと不憫に感じる。
 たまたま、写真フォルダにあった子どもの頃の写真を発見して、ちょっと面白かったからとか、可愛かったからくらいのノリだったらいいなと思う。


キムチ鍋を作りながら、お母さんと電話をする

 先日、スパゲッティを茹でながらお父さんと電話をしたのが楽しかったから、今日は母に電話をした。
 父と話している時も思ったが、母と話しているいると、「この人、私のことが本当に好きなんだぁ」とびっくりする。私が死んだら私の両親は悲しむだろう。そういう自信がある。
 明日もちゃんと生活しようと思う。

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