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みじかい小説#126『くさ』

 家へ帰ろうと自転車にまたがったところで、コウの視線は、数メートル先のアスファルトをとらえた。

 名前など知らないが、幼いころから見てきたような、そんな雑草が生えていた。
 高さは5cmくらいで、4,5枚の葉が四方にぴんと伸びており、今日のような初夏の日和にはぴったりの若い鮮やかな緑色をしている。

 別に嫌なことがあったわけではない、かといって特別いいことがあったわけでもなかった。
 ただ昨日と同じように学校へ行き、授業を受け、そして停めておいた自転車をとりに駐輪場へ足を向けたのだった。

 なぜ今日、この日に限って、自分は草などに目をとめたのか。
 コウは自分が不思議でならなかった。

 少し視線を周囲に転じてみると、コウがみとめた草の他にも、離れたところに同じような草が群生していたり、たんぽぽやエンドウ、クローバーなどが見受けられる。
 地面を一様に覆うアスファルトのちょっとした隙間に、そのような草たちがたくましく根を張っていた。

「あら、じゃあ早く抜かないとね」と、コウの母親などは言うであろう。
「いやあねえ、すぐに生えてくるんだから」と顔をしかめるのが容易に想像できる。
 だから、コウは今日のこの小さな発見を、決して母には言わないでおこうと決めた。
 一方、父などは「おまえも暇だな」と一笑して終わりだろう。
 だから、コウはやはり父にも言うまいと心に決めた。

 コウはその場で自転車を降りてみた。
 自転車を道の脇にとめ、コウはゆっくりとその草に近づく。

 親指と人差し指で4,5枚あるうちの葉の一枚に、そっと触れてみる。
 その二本の指を少しこすりあわせ、間に挟まった葉の感触を確かめる。
 葉脈が根本から葉先にかけて細かく並行して伸びているのがわかる。

 この葉脈は、自分にとっての血管と同じだ。
 中学生の時に習った、単子葉類と双子葉類を比較した図が、頭に浮かぶ。
 目の前の草は、その記憶が確かであるなら、きっと単子葉類だ。
 思わぬところで学んだことが思い出され、コウは少し誇らしくなる。

 コウはしばらく指で葉をつまんだり、なでていたが、おもむろに指先に力をこめた。
 そして次の瞬間、ぷつり、といった感触とともに、コウの指に挟まれていた小さな葉は、音もなく切れた。

 手の中におさまった、葉の先端を、コウはまじまじと見つめる。

 自分は残酷なのだろうか。
 コウはそう、思った。
 目の前の草は、果たして今、痛みを感じているのだろうか――。
 いや、植物に痛覚はないはずだ。
 いつだったか、ネットで調べたことがある。
 ここでも、ふいに思わぬ記憶が思い出され、コウは誇らしくなった。

 でも、だからといって、生命を傷つけていい理由になるだろうか。

 コウはそう思いながら、指先で、切れた葉先をもてあそぶ。

 少しの背徳感。
 そして少しの興奮。
 おそらく、これは表に出してはいけない感情――。

 コウは手の内にある切れた葉先の画像をスマホに保存した。
 そうして、何食わぬ顔で自転車にのり、その場を後にした。



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