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江口寿史イラストレーション展「彼女」によせて

はじめに

 「江口寿史イラストレーション展 彼女」が始まった(金沢21世紀美術館市民ギャラリーB、2018年4月28日〜5月27日、主催=北陸中日新聞+石川テレビ放送)。大規模な巡回展「江口寿史KING OF POP」展からわずか2年で、多くの新作を含む新たな個展が開催できたのは、何より江口寿史さんのイラストレーションがここにきて技巧的にさらなる進化を遂げているのと、1980年代リヴァイヴァルとともに若い世代からの新たな支持を集めていることの証左と言える。加えて、過去40年にわたるイラストレーションの仕事から少女像と女性像だけを集めるという、これまでありそうでなかったコンピレーション的な企画(東京新聞文化事業部・阿部康氏による)の力も大きい。

 今回、僕は江口さんからこの展覧会の監修を依頼されたのだが、総面積729平米におよぶギャラリーに作品をインストールするにあたって、最終的に6つに区切られた展示室を6章立ての書物のように展開することにした。

 6つの展示室にはそれぞれ章扉のようにタイトルと短文を掲げ、鑑賞者が江口寿史の描く「彼女」たちと劇的に出会い、自然に恋に落ちるような演出を心がけた。ここからはその文章を載録し、展覧会場を案内しよう。

第一章 遭逢|ポップの美神たち

 これから出会う彼女は、昨日までの彼女とは違う真新しい彼女だ。小さなイメージではなく、大きなリアリティーを身にまとって、美術館の展示室に舞い降りている。

 おなじみのCDジャケットや本の表紙のなかの彼女たちを、インクジェットプリントという魔法を使ってカンヴァス上に召喚してみた。リキテンスタイン風のひばりくん、ウォーホルの《ダブル・エルヴィス》と同じポーズのカウガールが、オリジナルのポップアートと同様のスケール感で展示室の壁に立ち現れた。

 絵画というアートの身体性に包まれた彼女たちはあらためて教えてくれる──鮮やかな色彩、大胆な構図、江口寿史の様式的な特徴のルーツが1960年代のアメリカンポップアートにあることを。そして、大衆的な日用品や流行に向けられる江口の眼差しのセンス、ウィットに富んだ表現力が、確実にポップの精神を継いでいることも。

第二章 恋慕|マンガからイラストレーションへ

 月曜日の放課後。いつものようにコミック雑誌を開いた少年たちは、次の瞬間、恋に落ちた。名前も知らない二次元の彼女に一目惚れ。なんてことだ。

 『週刊少年ジャンプ』連載の「すすめ!!パイレーツ」はナンセンスを絶妙なセンスで包んだ新しいギャグマンガとして大ヒットしたが、やがて江口寿史は毎号の扉絵をマンガ本編とは関係のない1枚のイラストレーションとして描くことに力を注ぎ始める。さらに、「ストップ!!ひばりくん!」では女装男子の主人公をかわいく描けば描くほど物語が白熱することから、江口は美少女を描かせたら右に出る者のいないギャグマンガ家として称賛を浴びる。やがて、本の装画や広告の仕事が舞い込み始めた。

 当時の江口の創作意欲をイラストレーションに傾倒させた画材がある。レトラセット社のカラートーン「パントンカラーオーバーレイ」。混じり気のない鮮やかな色面を表現するために1980年代のイラストレーターが使い始めたこのデザイン用品を、江口はマンガ独特のトーンテクニックも駆使しながら独自の画材として磨き上げていった。

 2000年以降Macによる着彩へと移行してからも、手描きの描線へのこだわりは変わらない。それは近年の素描によるライブスケッチにも顕著に見られる。

第三章 素顔|美少女のいる風景

 確かに、そのとき彼女はそこに立っていた。街で偶然見かけた通りがかりの女性たちはそれぞれ小さく微笑んだり、はにかんだりしながら、いまも絵のなかでじっと立っている。

 『Weekly漫画アクション』の表紙のために1999年から1年間毎号描き下ろされたイラストレーションは、静かな印象とは裏腹に多くの冒険的な要素をはらんでいる。週刊コミック誌が表紙に毎号同じ作家を起用するのは新雑誌創刊に近いブランディング戦略だが、その誘いに対して江口寿史は新たな作風で応えてみせた。

 現代的な女性と伝統的な街並みは一見してミスマッチだが、そこにこそリアルな日本の現在が浮かび上がる。街頭での写真取材をもとに描かれた写実的な作品群は、星霜を経た今日から見ると、季節の移ろいだけでなく時代の移り変わりを克明に記録している。

第四章 艶麗|ワインを持った女たち 2002-2018年

 特別な日も、特別でない日も、ワインの好きな彼女の傍にはいつもボトルがある。ルイス・キャロル風に言えば「なんでもない日、おめでとう」の絵。季刊『リアルワインガイド』の表紙は、創刊号から現在まで60枚以上にのぼる。まだこれからも毎月描かれていくから、江口寿史のイラストレーションとしては最長最多のシリーズになる。

 ワインと女性の組み合わせは、ワイン専門誌の表紙を飾る上では定石ではあるが、一枚の絵として見ればさまざまな深読みを誘う。洋酒瓶を手にした美人画は、歴史的には大正時代のビールのポスターの系譜にあり、さらに西洋美術史の画題としては、葡萄酒の神バッカスや、さらに古代メソポタミアのビールの女神ニンカシにも遡ることもできる。

 江口寿史のワインボトルを持った女性像は、いつか未来の人たちの目にはどのように映るだろう。そんな夢想とともに、今宵も、彼女と乾杯。

第五章 青春|音楽とファッション 2000-2010年代

 ヘッドフォンをした彼女に向かって「好きだよ」と言ってみた。

 「何?」とヘッドフォンを外しながら聞いてきたので、僕は「何聴いてるの?」と尋ねた。すると、彼女は無言のままヘッドフォンをすっと差し出してきた。

 大きなヘッドフォンを持ち物にしている女の子が本当に持ちたいと願っているものは、自分の世界なのだ。

 江口寿史の描く少女たちを持ち物やファッション、小道具から観察してみると、彼女たちの日々の暮らし方や生き方までもが見えてくる。Tシャツとデニム、ジャージや防寒具、ラフに着くずした高校の制服など、若者のファッションに敏感なイラストレーションは、現代日本の風俗画と呼ぶにふさわしい。

 ちなみに、西洋美術史に目を向ければ、ギターを持った少女像は、フェルメール、ルノワール、さらにキュビスム時代のピカソとブラックまでもが好んで描いた画題にそのまま重なる。江口自身の思惑を超えて、この偶然の一致が暗示するものは大きい。

第六章 慈愛|いまを生きる彼女たち 2014-2018年

 「かのじょ」

 と、そっと口にしてみると、ふしぎと誰かの顔が思い浮かぶ。

 彼女(あるいは彼でもいい)──この三人称代名詞は、その匿名的な字義とは裏腹に、会話の中でも、心の中でも、きまって特別な人のことを指す。憧れの人。運命の人。忘れられない人。人は人生の中で大切でかけがえのない人のことを、彼女(あるいは彼)と呼ぶ。

 江口寿史の描く女性像はそんな彼女たちの肖像だ。

 髪型や表情、服装や背景など、細部にわたって描き分けてきたこだわりの要素をさらに巧みに構成することで生み出される最新の女性像。動きのあるポーズからふとした仕草までを逃すことなく描線でとらえていく。かつて「美人画」と呼ばれた女性画の進化形とさらなる現在進行形の姿がここにある。

 何かのコスプレや着ぐるみ、有名人から名前のない彼女まで、江口はたくさんの彼女を描いているのではなく、江口の彼女はモデルや俳優のようにいろいろな姿に変化しているようにも見える。

 母親でもあり、初恋の人でもあり、恋人でもあり、妻でもあり、娘でもある彼女。そんな彼女の肖像に江口が寄せる思いは、小さな恋と、大きな愛と、心からの尊敬と、惜しみない感謝のように見える。


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