ボードゲームのパクリ問題メモ

下記の配信の感想と疑問点。これの次回配信に出演予定なので、その前にまとめ。
https://t.co/EBb2nsZvyh?amp=1

twitterで発言した分は下記にまとめがある。
https://togetter.com/li/1720489

・ボードゲームの価値とは?
ボードゲーム関係者には自明なのかもしれないが、ボードゲームの価値とはそもそも何なのか?著作権法で違法とされるのは「盗作」、すなわち「本質的な特徴の同一性」があるもの。音楽なら主にメロディがそれに当たる。ボードゲームではそういう本質はあるのか?長い歴史の中で、それは議論されていなかったか?

アートは自己表現であり、コピーされても問題にならないというのは「本質」が別にあるから。その認識の大きな転機となった作品が、配信で出てきたデュシャンの「泉」である。アーティストの自己表現として、アートとして世に出されたものがアート。であれば、中身はどうでも良い、自分が作った絵や彫刻でなく、既製品でも良いのではないかという問いかけ。なので、同じ物体を作っても同じ表現とはみなされず、同じ価値を持たない。実際、現代アートの多くは著作権で保護されないが、それで問題になっていない。

エンターテインメントとは、他者を楽しませる手段。世の中のほとんどの音楽作品はこれ。ざっくり言えば同じだけ楽しいものは同じ価値を持つので、盗作が問題になり得る。主に著作権で保護される。

特許で保護される工業製品の多くは「道具」。それ自体の価値はせいぜい物質と手間の分しかなく、それを使うことで価値が生まれる。特許と、プログラムに関しては著作権で保護される。この分野に関しては、良いものが世の中に広まったほうが社会に有益なので、特許はそのような仕組みになっている。すなわち、特許の本質は「公開」であって「保護」はそのための手段である。

配信を聞いていると、アートの話、工業製品としての話が出てきたりするが、区別がついているように思えない。デュシャンを持ち出すならそれを区別する絶好の機会だったのに勿体ない。

これらの区別は(いくつかの要素を兼ね備えていたとしても)守るべき本質、それを守る道具(法律)ともに異なってくるため、この区別は部外者にもわかるようはっきりして欲しい。このどれにも当てはまらないのならば、ではボードゲームの価値とは何なのか、説明が欲しい。

・法律について
知的財産を守る法律には、著作権法、特許法、商標法など各種法律がある(配信に出てきた通り)。知的財産は無形なので、守る武器は法律だけである。上に書いたどの分野でも、自分の権利は法によって守り、また法を守って作品を作っている。

これらの法律は全部暗記しても良いくらいだが、重要なのは「総則」。法の目的、保護されるものの定義が書かれている。

特許法の場合:
この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。(目的)
→保護が目的ではなく、産業の発達が目的。産業の発達に繋がらない保護(一生秘匿して墓の下まで持っていく、というような)は、この法の目的ではない。

この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。(定義)
→自然法則を利用しないといけない。すなわち何らかの実物が必要である。ただし「利用」なので、物自体が高度である必要はない。

著作権法の場合
この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。(目的)
→これも文化の発展が目的。保護は手段であって目的ではない。

著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。(定義)
→思想または感情が表現されている必要がある。ゲームのルールに著作権が適用されるべきというのであれば、どのような思想または感情が表現されているのか説明されないといけない。

法律は目的と定義がはっきりしているので、特に定義に外れるものは保護の対象にならない。配信では「法律はこう」という話に「いやでも気持ちは」と被せる場面が見られたが、気持ちがどうかより法律にどう一致するかが重要。せっかく法律について解説されているのに、それに気持ちを被せるのはいかにも勿体ないと感じる。

繰り返しになるが法律は無形の権利を守る唯一の武器である。法律に期待するなら法律を理解し、どう利用するか考えるべき。

業界団体、権利団体を作るのも結構だが、そこでの対話の根拠がお気持ちでは存在意義がない。どこの業界の団体も、法についての啓蒙を行っているのが普通。そのような提案が誰からも為されないのが残念。

例:音楽団体だとJASRACが各種資料・セミナーを用意している。個人でもこのような https://blogs.soundmain.net/blog/2027/ 啓蒙活動をしている方も多数(知り合いで今回の話でも参考になるお話を聞かせていただきました)。

思考実験:6面ダイスで1〜7を均等に出す方法で特許が取れるか?
(後日追記予定)

思考実験:日本国憲法は日本というゲームを運営するルールである。では著作物か?
(後日追記予定)

・音楽と工業製品でパクリとは?
音楽の場合、パクリとは?→もちろん、人によって定義も温度差もあるが、大体下記のようなもの。ちなみにここで言う音楽はエンターテインメントの領域。
海賊版=タイトルも全てそのままのデッドコピー。著作権だけでなく様々な法律に違反する(商標法、偽計業務妨害罪、詐欺罪、などなど)
盗作=著作権法に違反するもの。すなわち本質が同一であるもの。メロディが完全に一致など
パクリ=著作権法に違反しないもの。アイデア、コードの流用、オマージュなど

上記二つはそれを表す言葉があるので、パクリとは一番下のものを表すことが多い。これは別に悪いことでなく、日常的に「今回の間奏はジミヘンのパクリでやってみよっか」など、普通に使われる。禁止されていないのであれば、それは行っていい自分の権利なので大いに使うべき。我々がやっているのは自己満足のアートでなくエンターテインメントなのだから、法に触れず流用した方がお客さんが喜ぶと思えばそれをやるし、それはお互い持っている権利である。

パクリ指摘は少し難しい。この言葉は「海賊版」「盗作」を含む使い方をされることもあるため、他人にそれを指摘すると、そのような指摘と捉えられかねない。法的に問題ないものをパクリ呼ばわりすると、偽計業務妨害や侮辱罪、名誉毀損罪に当たる可能性がある。リスクしかない行為なので、まともなプロはやらない。やるなら「盗作」と言えるだけの根拠を持って、黙って訴える。

多くの作曲家はエンターテインメント作家で実業家なので、ビジネス上のリスクになることは基本的にしない。「パクリ呼ばわり」はその最たる例。もしお気持ちが許さないにしてもせいぜい「私の〜とちょっとだけ似てますね。聞いて下さったならありがとうございました」とか言っとく程度。「パクリだから公開停止しろ」はリスクしかない最悪の選択。

その辺、ボードゲーム界隈はエンタメよりアートの雰囲気を感じる。アートであれば自己表現を他者がパクるのはアート自体の否定なので、アートの文脈での内部・外野からの批判はありうる。ただし、その割に配信の議論はアートと似ているところ、違うところの確認など曖昧。その方向であれば、アート関係者から都合のいい意見だけ聞き出そうとするのではなく、真面目にアートとは何かから入るべき。

工業製品については、基本的に特許も対抗手段があったり、プログラムの著作権も基本的には力技で同じものを開発すれば問題ない。従って、アイデアなんか下手すれば発売前に真似されるし、優れた商品は後追いがすぐに出る。当然作っている方は不満を感じることもあるが、法律はそうやって真似して良いものは真似して技術を洗練させるという方向を向いている。先にアイデアを出したと言うのは先行者利益なので、さっさと商品を出して、競合が出てくる頃には次のアイデアを実現する、と言うのが理想的な流れ(そううまくはいかない)

作っている方は大変だが、それで優秀な商品が次々と改良されて世の中に出る事になる。全ての人類はそれを享受していると言える。現実に、パクリ商品が出ると言うことはそれだけ市場の裾野が広がるということ。またこれも競合も対等である(相手がパクっていいものはこちらがパクっていい)。お気持ちが許さないという前に、これで得られている利益が大量にあるはず。そういうものを考えたことはあるか。それらの利益を捨ててでも自分の権利が保護されるべきか、というところまで考えが及んで欲しい。

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