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今日はいよいよ、初めて久瑠あさ美先生に直接コンタクトを取ることになった日のことを書いていきたいと思います。

あの日、私は先生の本をバッグに入れて持ち歩いていました。
本を読むために時間を取ろうとしていたわけでもないのですが、何となく、そうしたいと思ったのです。

当時の私は、起業も右肩上がり、初めての出版を叶えるなど、どんどん忙しくなっていく。そんなタイミングでした。
ど貧乏の時代からは想像できないほど飛躍した現実の中にいましたが、華やかになっていく生活とは裏腹に、私の心は枯渇していく一方で、そんな自分に戸惑っていました。

最初は、「お金への不安がそうさせるのかもしれない」とか、「時間が足りないから余裕がないのかもしれない」と思い、ビジネスの形を整えるべきだと考えました。

そこで、ビジネスの仕組みを学んだり、自分よりも先を行く方にコンサルティングをお願いすることもあったのですが、どうにもこうにも、痒いところに手が届きません。

その時はなるほど!と思うこともあるのですが、いつもどこかに「うーん・・」という不完全燃焼感があり、時には相手方とぶつかってしまい、うまく関係が築けずに後味の悪い終わり方をしてしまうことも少なくありませんでした。

あの日も、当時コンサルを依頼していた方に、電話で今後のことを相談をしていました。けれど、何を提案されても、「そうじゃなくて・・、何かが違う気がするんですけど・・」と煮え切らない私に、相手もどうしたらいいものか、もどかしさと苛立ちがあったのかもしれません。

とうとう、「じゃあコンサル、もうやめますか?」と切り出されてしまったのです。匙を投げられた・・!というショックもありましたが、どこかその言葉が相手から出てくるのを待っていたのかもしれません。
「そうですね、もうやめます」とキッパリと伝え、電話を巻き気味に切った直後、その勢いのまま久瑠先生の本を取り出して、パーソナルトレーニングに申し込んでいたのです。

ところが、「あなたは手に負えません」と言われてしまったような悔しさと、その方のコンサルタントとしての在り方への怒りを感じるままに、フォルテッシモメンタルルームに電話をかけたのはいいのですが、いくらコール音がなっても電話がつながりません。
今すぐにでも予約をして安心したい!という思いは行き場をなくし、次第と焦りと不安を感じはじめました。

このまま何もしないでは収まらないぞ、と思い、トレーニングを受けたい旨と、電話をかけたが繋がらなかったということをメールでお送りしてみたものの、不完全燃焼のようなモヤモヤは消えることはなく、しばし放心状態のまま車の中でじっとしていました。

もう今やれることはないだろうし、そろそろ家に戻ろうか・・。そう思ったときに、携帯が鳴りました。
メールを見た事務局の方が連絡をくれたのだなと感じ、すぐに電話に出ると、「もしもし~、久瑠ですけど」と、なんと先生ご本人からの電話だったのです!

そのこと自体に驚いて、毒気が抜かれてしまい、さっきまでの自己都合で抱えていた不満や憤りがひっくり返されてしまったように感じました。

話はリズムよくトントンと進み、初回のパーソナルトレーニングの予約日もスムーズに決まりました。
電話を切った後は、心の中に何か温かいものが宿っていて、新しいステージの始まりに、気持ちが前向きになっていたのを覚えています。

会話はいたって事務的な内容だったはずなのですが、やり取りに詰まりがない感じ、引っ掛かりがない感じで、スーっと流れるような清涼感があった気がします。

このような場面というのは、日常的なやり取りの中でもよく遭遇することだと思うのです。例えば買い物に行った時、荷物を受け取る時などもそうです。こちらが伝えたいことはシンプルなことなのに、相手の対応によって気分が悪くなることもあれば、感謝の気持ちが湧いてしまうようなこともあると思います。
涼やかでどこか温かみのある先生の在り方は、たとえ事務連絡一つ、電話一つとっても、伝わってしまうものなのかもしれません。

後に、その時の話を先生と振り返っていたときに、
「あのときは、とっても怒った感じでメールがあってそれで、すぐに電話に出れなくて申し訳なかったなと思って、こちらから電話をかけたんですよ」と、先生から教えてもらいました。

「え、本当ですか?私、怒っていましたか?」と思わず聞き返してしまいましたが、今振り返ると、確かにあの時の私は怒っていました。

表現の上では気を遣った言葉でメールを打っていたつもりでしたが、先生は私の表層的な言葉尻ではなく、奥にある無自覚な心の動きを感じてくださっていたのでしょう。

思えば、先生が私の潜在的な気持ちをキャッチして即座に対応してくださったことが、知らず知らずのうちに先生への信頼を深め、申し込みへの流れを断ち切らずに済んでいたのかもしれません。

というのも、あの時の私はとても感情的になっていて、何かの拍子に大切なものを壊してしまうような危うさがありました。
実際にそうやって自分を受け止めきれずに、誰かとの関係を断ち切ってしまったり、バッサリと決別したこともあり、でも、特段そんな自分を変えたいとも思っていなかったのですから。

あれから先生と私の間に創られてきた関係性を振り返ってみると、随分と危うい綱渡りの中にいる私を、先生がいつも絶妙なタイミングで救い上げてきてくださったんだなと、改めて感嘆してしまいます。そんな場面が、幾つも思い出されるのです。

メールの文章一つから、相手の潜在的なニーズを察知し、さっと行動に移されてしまうことの凄さ。その価値と意味は、学びを重ねてきた今の方が、ずっと感じられるようになったと思います。

さらに驚くことは、先生にとっては、その在り方が日常的であるということです。あの時たまたまそうだったのではなく、先生は「いつも」その在り方ですべての人、ものに接しているのです。これって実は、とんでもなくスゴイことなのです。

その透き通った在り方は、先生から生まれる言葉たちからも感じることができます。

「本当に有難いことは、100年後に気づく愛なんです」

「本来、人の役に立つというのは、黒子の在り方なんですよ」

「いわば、忍者の業。相手に察知されるようでは、まだまだです」

この言葉を聞いたときには、その真意はまったくピンと来ていませんでしたが、今になってみると、先生の言葉は常に本質を教えてくれているのだと気づきます。

「ありがとう」という感謝の言葉がすぐに返ってくることを期待していた私にとって、相手が気づくかどうかわからないものを、なぜ与える必要があるのか、その次元に魅力も感じられない状態でした。

ですが、月に一度の【マインド塾】という学びの場で、私たち塾生は、心の扱い方、自分との向き合い方を通して、心の本質に触れていくうちに、気づくとその在り方に共感できるようになっていきます。

そこでは、これまで愛とか思いやりだと思いこんでいたものが、如何に自己都合なものであったかを目の当たりにし、心を磨き上げていくことができるからです。

こんなふうにして、私は久瑠式トレーニングに飛び込みました。
決して格好の良い飛び込み方とはいえませんが、確かに自らの手で、レールを未来に向けて切り替えたような、ガッチャンと音をたてて何かが始まったような感覚があったのです。


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