「本物」と、「本物ではないもの」
私が出逢った【久瑠式トレーニング】は、人の意識の9割以上を占めるという『潜在意識』に働きかけ、内側から変革を起こすことのできる唯一無二のトレーニングです。
気づいたら変わっていた、気づいたらそうしていた、いつの間にかなりたい自分が見つかっていたというのが、受け手が感じられる大きな特徴の一つです。
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3年前の6月、初めて久瑠あさ美先生にお会いしました。
思えばあの日から、壮大な人生の改革が始まったのだと思うと、非常に感慨深いものがあります。
「こういう学びがしたかった」と心から思うことができる場所を、私はもう長い間探し続けていましたが、そんなところは、どこをどう探しても見つかりませんでした。
けれど先生に出逢い、「あぁ、やっと見つけた!こんな先生を求めていた!」と心に希望が宿ってからは、語り尽くすことなど到底できそうもない、学びと気づきの連続・・。
人生はまさに劇的に変化するのだと身を持って体感し、今もなお変革は止まることがありません。
そこで今日は、私が先生のところにたどり着くまでに「本物」を求めて彷徨っていた話を、少し書いていきたいと思います。
私は、長い間抱えていた疑問に答えてくれる人を探していました。
それは同時に、自分の悩みや苦しみが楽になること、救われることを意味していました。
「本当にやりたいこと」って、どうしたら見つかるのだろう。すぐに心が覚めてしまったり、頑張り続けられないのはなぜなのか。
生活が豊かになり発展しても、消えることのない焦りや空虚感、心許なさはどこからきているのか・・・。
心を重たく塗りつぶしてくる「何か」の正体が分からず、本を読んだり繋がりがあった方のコンサルティングを受けてみたりもしましたが、結果的にどれもしっくりきませんでした。
そんなことを繰り返しているうちに、ドクターや学者レベルで、心のことをちゃんと知っているプロでなければ、この問題は解決できないかもしれないと思い始めました。
でも「本物」って、なんだろう。どこにいけば出逢えるのだろう・・・。
「もうここになかったら綺麗さっぱり諦めて、人生こんなもんだと割り切って生きていくしかない・・・!」
人生すべてを賭けるような意気込みで飛び込んだのが、他でもない、久瑠あさ美先生のトレーニングだったのです。
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当時の私は、「一流」の在り方がどういったものなのか、プロフェッショナルな領域にいる方達のことを、よく知りませんでした。そもそも、そこに関心がなかったのだと思います。
他者を厳しくジャッジしていたような気になっていましたが、在り方の違いを感じる取ることができる視点と視座が、自分に足りないことにさえ気づいていなかったのです。
もっとも厄介な問題は、この「”わかっていない”ということ自体がわからない」ことだったのだと後に気づいていくことになるのですが、まだこの時の私は、知るよしもありませんでした。
なぜ、SNSでたまたま目に入ってきた人や、人気がありそうな人、地位がある人、それらしい言葉を発している人が、自分の心をなんとかしてくれるかもしれないと思っていたのでしょうか・・・。
私の情報源が、ほとんどインターネットであり、その中でも特にSNS中心の生活を送っていたことも大きな原因になっていたかもしれません。
今では、当時の自分の感覚を不思議に思えるようになりましたが、そもそも本物というのは、簡単に出逢えない存在なのだと思います。
仮に出逢えたとしても、自分の方がその違いに気づくことができなければ、繋がることはできないでしょう・・・。
これは学びを重ねることで、自然と一流の在り方に触れることができたからこそ、言えることなのかもしれません。
そんな私に、先生が伝えてくださったこと─。
今でも忘れられない、大切な言葉が2つあります。
「本物は、そこらへんに転がってはいません」
「世の中、コピーのコピーだらけなんです」
除夜の鐘が、ゴォーン・・と鳴り響いたような衝撃と、麻酔が切れた時に訪れるじわじわとした鈍痛を感じました。
この時の心の揺れは、どんなふうに表現したらいいのか、とても一言で言えるものではありません。
しかし確信を持って言えることは、あの時の私にとって、なくてはならなかった超重要ワードだったということです。
そして時を超えて、現在の私にとっても、その言葉は深みを増し続けています。
私はどこかで、本物はその辺にあるものだと思っていなかっただろうか・・。
簡単に手に入るものだと軽んじていなかっただろうか。
今まで私がやってきたことも、もしかしたらコピーのコピーだったのではないだろうか。
じゃあ本物は、コピーではないものは、どこにあるんだろう。どこから生まれてくるんだろう。一流の人たちは、どうやって”何か”を生み出しているんだろう・・。
次から次へと答えの見えない疑問が浮かんでくるけれど、追いかけようとしたところで、何を追いかけていたのかよくわからなくなるような、グルグルとした感覚が胸に残りました。
考え込んでしまっていた私に、先生は続けてこんなことを伝えてくれました。
「違いがわかるということは、とても大切なことです。
例えばフランスのカラーパレットには、赤は赤でもいろんな赤がずらっと並んでいます。
見る人によっては、この赤と、隣にある赤はどう違うのかと聞くでしょうけど、全く違うんです。
壁紙ひとつとっても同じこと。こっちの壁紙とこっちの壁紙、質によって金額も変わってくるんですけど、その違いがわからなければ、わざわざ高い方を選ぶこともありませんから」
赤にも無数の赤がある・・。
それはもちろん知っていたはずなのです。
しかし先生の言葉は、まるでその事実を今初めて聞かされたような、新鮮な体感が沸き上がってくるので不思議です。
きっと私は、これまで出逢ってきた「赤」を、ひとつひとつ感じてきていない・・。違いをキャッチできているつもりになっていただけで、パッと見た印象で「赤だ」と認識してきたにすぎない・・。
壁紙ひとつとってもそうだ。私は、その違いをちゃんと感じられるのだろうか。
・・・わかるようで、わからない。もっと言えば、わからない自分を認めてしまうことが怖い気もする。
けれど、違いがわからない人ではなく、わかる人になりたい、と思ったことを覚えています。
本物は、そこらへんに転がってはいない──
違いがわかる人になる──
この言葉は、私の心をざわつかせたのと同時に、長く導き続けてくれることになるのです。
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