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【先生の本から学ぶ!】アンビバレンスを武器にできれば、あなたの覚悟は確固たるものになる!

”先生の本から学ぶ!”シリーズ第2弾!

『トップアスリート、一流経営者たちがこぞって受ける<小さな自分>から脱皮する心の授業(大和書房)』より、こちらのQ&Aをピックアップして読んでいきたいと思います。

<Q>
他人への嫉妬心が強く、同僚どころか先輩にさえライバル心を燃やし、
時には後輩の成功にさえ嫉妬してしまいます。
我ながらこの性格をどうにかしたいのですが、どうしたらいいでしょうか?

トップアスリート、一流経営者たちがこぞって受ける
<小さな自分>から脱皮する心の授業(大和書房)

<A>
嫉妬心やライバル心といった感情は、あなた以外の誰かに向かうことで攻撃性を帯びます。
戦いを挑むことが、自分の存在理由を確かなものにしているのです。

問題は、いつ、その戦いをやめるかということです。あなたは永遠に戦い続けることで、いつか必ず疲弊します。どちらかが滅ばない限り。
そんな人生を望んでいようが、望んでいないが、すでにあなたは、その人生を歩んでいる。

けれど、実は、みんなそんなに戦いたいとは思っていません。
いまの世の中、競争したくないという人のほうが、はるかに多いのです。

「戦いたくない」
「競争したくない」

と思うのは、逃避性が強く弱気な人です。反対に、

「戦いたい」
「競争したい」

と思っているのは、攻撃性が強い強気な人です。

たとえば、あなたがライバル心を燃やした人間が弱気な人だったら、とたんにあなたは加害者になってしまう。
仕掛けた相手が強気な人であれば、強気な人同士の戦いがはじまります。
その戦いの先には、敗北もあり得る。美しく散る覚悟が、そこには必要なのです。

強気な人間は、攻めること=チャレンジです。人生で挑戦状をつねに出している状態。
弱気な人間は、相手に仕掛けるということがありません。戦いたくないのだから、いつだって白旗を上げる。

いまの世の中は、乱世ではないので、静かに暮らしたいという弱気な人が多いのです。
自分の指標が、ほかの人と大きくズレていることに気づけば、あなたは状況によって、どちらも選ぶことができます。

あなたに必要なのは覚悟だけです。
たとえば、戦国武将でいえば、織田信長は攻撃一本槍の人です。引くことができなかった。
そこに覚悟という美学がある。
強気と弱気、どちらかがいいというわけではありません。弱さの中に強さがあって、強さの中に弱さがある。表裏一体なのです。

信長は、攻撃的な生き方しかできないアンビバレンスな人でした。常識や社会通念に従わず、奇抜な生き方を選ぶ。そこには覚悟があります。
織田信長の戦い方というのは、「攻めの美学」。

徳川家康は「受けの美学」。
家康は待ち受ける。動かずに静かに仕掛ける。そこにも覚悟が必要です。
この覚悟がないことで、多くの人が天下をとれない。
人並みではなく、人一倍を目指すのであれば、どの美学を持つにせよ、覚悟は必要なのです。

アンビバレンスの攻撃性や逃避性は、時に人生を生きづらくさせる。
けれど、その偏ったアンバランスさが、人生において最大の武器になる。

強気な人間であろうが、弱気な人間であろうが、人はそんなに強くもないが、弱くもない。
強く在ろうとすること。それが、あなたの覚悟を生み出すのです。


《アンビバレンスを武器にできれば、
あなたの覚悟は確固たるものになる!》

トップアスリート、一流経営者たちがこぞって受ける
<小さな自分>から脱皮する心の授業(大和書房)


このQ&Aをはじめて読んだのは、2年ほど前だったと思います。その当時は正直なところ、スーッと読み流してしまっていました。
今、あらためてこの文章を読み終えて、「あれ、こんなにスゴイこと、書いてあったっけ?」「なんであの時のわたしはスルーしてしまっていたんだろう」と、困惑している自分がいます。
以前の私と、今の私の受け取り方の差に驚いてはいるものの、実は納得もしています。それは、先生の言葉は、自分の階層次第で入ってくる情報の密度がまるで違ってくるということを、何度も身をもって体感しているからです。

同じ本、同じ言葉に触れているはずなのに、なぜこのようなことが起きるのか。
それは、視点と視座を高めていく潜在意識のトレーニングによって、情報の取り方=インプット力を格段に高めていくことができるため、それまでの自分ではキャッチすることができなかった目には見えない情報がどんどん入ってくるようになるからです。
一つの点から始まったものが、線でつながり合い、やがて立体になり、宇宙空間のように無限の広がりを見せてくれることも多々あります。

先生とのパーソナルトレーニングや、マインド塾においても、同様のことが参加者全員の身に起きています。
言葉を受け取ったまさにその瞬間の感覚と、1日後、1週間後、1ヶ月先の自分が感じられるものが変化していくのです。
ただ単に別のイメージが思い浮ぶようになるということではなく、その言葉の持つ意味や価値が、自分にとって一段また一段と深みを帯びてくるという感覚です。

ひとつの言葉がその「点」で役目を終えるのではなく、未来においてすべてがアート作品のように浮かび上がってくる・・。
このような重層的な感覚が磨かれていくのも、久瑠式トレーニングによって潜在意識の感度を桁違いに高めていける醍醐味でもあります。それが、今回の読書においてもはっきりと感じられました。

『嫉妬心』というテーマは、自分の中に在る感情の中でも非常に扱いづらいもので、手を妬いてきました。でも、先生の言葉を受けて、これまでの自分を振り返ってみると、特段その自分の感情と向き合うこともなく、野放しにして生きてきたんだなと思わずにはいられません。

嫉妬心を燃やして生きてきたというより、「嫉妬心に苦しめられてきた自分」の方がしっくりくるのは、自分の中に在る嫉妬心との向き合い方、折り合いの付け方がわからなかったからかもしれません。

“いま”の私が、先生のANSERから何を感じ、自分をどう見つめるきっかけになったのか。心にフォーカスを当て、言葉にしていきたいと思います。


まず冒頭の文章から、一気に引き込まれていきます。
『嫉妬心やライバル心といった感情は、あなた以外の誰かに向かうことで攻撃性を帯びます』という文章の『攻撃性』という言葉に、「チクッ」と胸に刺すような反応が生まれました。

けれど、その痛みを払拭するかのように「それのどこが悪いんだ」と、自分の中にある『攻撃性』を言い当てられたこと自体に、また挑戦状を出しているような気がしてくる・・。

『戦いを挑むことが自分の存在理由を確かにしてる』なんて思いたくないけれど、読み進めていくと次第にその自分が明らかになっていくようで・・。
『問題は、いつ、その戦いをやめるかということ』という言葉に対しては、「なぜやめなければいけないの?」と、戦いをやめることを望んでいない自分が顔を出すのです。

『あなたは永遠に戦い続けることで、いつか必ず疲弊します。どちらかが滅ばない限り』と言われても、まだ疑っている。その世界を直視するつもりが、甚だなかった私がいる。

けれど、『そんな人生を望んでいようが、望んでいないが、すでにあなたは、その人生を歩んでいる。』という言葉に対しては、どこか悲しみとやるせなさがふっとよぎります。
戦う人生を望んだわけではなかったのに、気づいたらこの自分で生きていた・・。

こんなふうに、先生の言葉一つひとつに心が揺り動かされ、その揺れによってさまざまな感情が湧いては消えて、また別の気持ちがさらに重なり合い、いくつもの私の想いが”ここ”に集まってくる・・。
『自分の指標が、ほかの人と大きくズレている』ことは、こうやって言葉にしてもらわない限り、その視点はありませんでした。自分を俯瞰することができる視座が私にはなかったのです。

けれど、その後の文章にあるように、戦いを挑んだ相手が弱気な人の場合は自分が加害者に、強気の相手だった場合は戦いが始まる、まさにその通りのことを繰り返してきたのは、間違いないと思います。
『戦いの先には、敗北もあり得る』という言葉には、「ギクっ」としました。言われてみれば確かにそうです。『美しく散る覚悟が必要』というフレーズにも、ハッとしました。

自分が敗北する可能性なんて考えもしなかったですし、もちろん”美しく散る覚悟”なんてものも、まったく持っていませんでした。そんな確固たる生き様もなく、湧き上がる感情のままに振る舞ってきてしまったと思います。
ですから、たとえ誰かを打ち負かしたところで、心は満たされることがない。 瞬間的な優越感があったとしても、後味の悪さの方が強く記憶に刻まれているのです。

織田信長の「攻めの美学」と、徳川家康の「受けの美学」、そのどちらにも値しない自分の中途半端な在り方が、なんだかとてもカッコ悪いなと感じはじめました。
ここではじめて自分の在り方を省みることができた気がします。
雲の上から眺めるような先生の視点を借りて、自分の在り方をまざまざと見つめることができると、その自分を「自分がどう感じるのか」、「これからどうしたいのか」が、自然と生まれはじめます。

私の場合は、壮絶な戦いの人生をこれからも送りたいとは思えませんでした。
信長や家康のように、アンビバレンスに生きる覚悟は、私にはない・・
心の中にモヤがかかり、「じゃあ私は、これからどうしたらいいの?」と疑問が湧いてきたところに、最後の先生の言葉がその気持ちを汲み取ってくれたかのように語りかけてくれます。

『強気な人間であろうが、弱気な人間であろうが、
人はそんなに強くもないが、弱くもない。
強く在ろうとすること。それが、あなたの覚悟を生み出すのです』

このフレーズが、
私の中に生まれてきた柔い“何か”を、下からグッと支え、太陽が輝く方へと持ち上げてくれたように感じました。

”強く在ろうとすること──”

心が向かう先がそっと、でも力強く定まったような、「ああこっちでいいんだ」という確かな熱が胸の中に灯った感覚がありました。

具体的に何をしたらいいのかという問いに対する答え以上の、真の答えがそこにあるようで、「強く在りたい」「そんな自分になりたい」と思えたのです。
本を読んでいただけなのに、自分がセラピーを受けたかのような晴々とした気持ちを、今、感じられています。
久瑠先生の言葉には、ギフトを何度でも何度でも、与え続けてくれるパワーがある・・。

今、この瞬間にキャッチしきれないことがあったとしても、未来の自分が気づくことができるかもしれない、そんな無限の可能性を引き出してくれる言葉に出逢えること自体が、稀有なことなのかもしれません。

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《本日の参考図書》
トップアスリート、一流経営者たちがこぞって受ける
<小さな自分>から脱皮する心の授業(大和書房)
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