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勘当息子と江戸の空ー「火事息子」「富Q」~天神亭日乗 3


十二月二日(水)
  上野 鈴本演芸場。昨日から五街道雲助の「雲助江戸前人情噺」の興行が始まっている。二日めの今日は「火事息子」だ。
  落語の中でも、勘当息子や駄目若旦那が登場する噺が好きだ。というのも、私の母方の祖父がリアル勘当息子だったからだ。
  祖父の家は松阪の紙問屋だった。随分遊んだと聞くし、キリスト教にも入信。勘当の真の理由は藪の中。また彼は母が中学生の時に他界しているので、私には未知の男だ。しかし「おじいちゃんはなあ~実家の敷居をまたげへんだんやで~」と子守唄のように聞かされてきた。だからだろうか、落語の勘当息子たちがとても他人事には思われぬ。「ああ、私はこういう輩の孫娘なのだ」と思いながらいつも噺を聞いている。
   落語のなかの勘当息子は大抵、吉原に入り浸っているような駄目息子が多い。しかしこの「火事息子」はちょっと異色だ。最近の子供の教育や育児方針でよく耳にする、「子供の可能性を伸ばす」とか、若者たちの「やりたいことを見つけよう」といった昨今の流行り。この「火事息子」はまさにそれを地でいく主人公。幼いときから大好きなものを見つけて、それを仕事にすると心に決めて家を飛び出した、自己実現邁進型の勘当息子なのだ。
   雲助師匠の「火事息子」。身体中に彫り物のある勘当息子が江戸の屋根を飛び伝ってやって来る。火消しとなった息子が、棄てた大店の方角に煙が立つと見てすっ飛んで来たのだ。
   勘当したわが子との再会。志ん朝のCDに遺された口演と比べると、雲助師匠のほうは父はより厳格に、そして母に息子のことを多く語らせて、母の情を厚く描いている。この母が火事を怖がってぶるぶる震えている猫を「よしよし」と抱っこしながら登場するのだが、息子が来たと聞いた途端、猫をぶん投げる場面がおかしくて今日も吹き出した。
   しかし、私の祖父にはこんなふうに迎えてくれる父母はもういなかった。どちらも祖父が十代の時にこの世からいなくなっていたと聞く。「恙なきや?」と問いかける父母もいなかった、家をなくした祖父。「火事息子」は私を少しセンチメンタルな気分にさせる。

十二月二十日(日)
   池袋 新文芸坐。渋谷実映画祭「青銅の基督」
   昭和三十年公開の映画。キリシタンものは小さい頃から、また中高生時代もやたらと見させられたが、これは初見。冒頭のタイトルクレジットで驚いた。監修が「新村出」とある。この名前は広辞苑の編者として記憶される名前だと思うが、もう一つの側面、キリシタン時代の言語、文化研究の泰斗でもある。大阪の茨木の山間の村で発見された「マリア十五玄義図」が京都大学に預けられたのも、新村出教授がいたからこそだろう。「フランシスコ・ザビエル像」などと合わせ、その発見とその後の顛末は高見澤たか子氏の「金箔の港」に詳しい。かつてこの本を読んで熱に浮かされた私はこの村を路線バスで訪ねて、けもの道をかき分け、あやうく遭難しそうになった。あれからもう十年になる。
   新村出先生監修のこの映画。もちろんそのタイトルでもある「青銅の基督」像も大事な小道具であるが、踏み絵の場面で、「親指のマリア」と呼ばれる、白い親指をヴェールからのぞかせた美しい聖母像が一瞬スクリーンに映し出される。踏みつけられ、泥で汚れていくマリア。でもいよいよその顔は美しい。
   待降節と呼ばれるこのクリスマスを待つ季節。この映画もちょうど同じ時間を描いている。「降誕祭」クリスマスのミサをどう行うのか、キリシタンたちの議論の場面がある。もちろん迫害と感染症という理由に違いはあれど、現代の我々もクリスマスのミサを皆で集うことができない。どうするのだ、降誕祭を!心に響く場面だ。
この映画の公開は昭和三十年。祖父もまだ存命だ。この映画が津で公開されていたら、見ていたに違いない。この映画のあれこれについて、祖父とおしゃべりしたら楽しかろう。夢にでも出てきてくれないかと思う。

十二月二十二日(火)
  池袋演芸場。三遊亭白鳥の「富Q祭り」。この年末の「富Q祭り」も3年目。もう恒例行事と言っていいだろう。
   白鳥師匠の「富Q」は「富久」を元に作られた自伝的落語。幇間の久蔵を、自身を投影した金銀亭Q蔵という噺家を主人公に、芝の大店を池袋演芸場に舞台を移し、演じられる。CD版ではQ蔵は新作の落語家の設定だが、この師匠の噺はどんどん進化する。この「富Q祭り」で演じられるQ蔵は、真面目に古典落語を稽古している。おそらく中盤での名場面、貧乏アパートの隣人、中国人ヤンさんの啖呵を引き出すためだろう。ヤンさんに古典落語「文七元結」、この人情噺の肝を語らせる。この「富Q」のヤンさんの啖呵ももう「大工調べ」の啖呵同様、客が待つ「名場面」になっている。この日の啖呵でも、自然と拍手が涌き起こった。
   三遊亭白鳥も落語家になるにあたり、実家から勘当されたという。上越高田の自転車屋を営む家。その家に真打になるまで帰れなかったと語る。さらに「富Q」は都内各寄席に出入り止めになった時代、「口惜しき人」の自分に出番を与えてくれた「池袋演芸場」を母になぞらえて、自身の噺を母胎のごとく育んだ場所として語る。「富久」同様、富くじにまつわるハッピーエンドの噺であるが、白鳥師は最後のサゲで落語を語る意味をQ蔵に語らせて締める、感動の高座となった。
 昼席の「富Q」がハネて、地上に出る。お江戸の空は火事にあらねど茜色。勘当息子でないけれど、帰れぬ故郷の空を遠く見る。師走の風は冷たいけれど、何やら心は温かく。

※歌誌「月光」67号(2021年3月発行)掲載

(写真 2021年12月下席 池袋演芸場 「富Q」チラシ)

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