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夏、プーク寄席と上田・無言館〜天神亭日乗11

八月十四日(日)
 プーク新作落語お盆寄席三日目。新宿に走る。
 この会場、新宿のプーク人形劇場は歴史ある「人形劇団プーク」の本拠地。「長澤延子全詩集」でも新井淳一先生が特別寄稿のなかでこの「プーク」の人形劇について語られていた。現在の劇場はビルの階段を下りていく。地下に広がる魅惑の空間だ。
 このプーク寄席はお盆と正月に開催される、新作落語の火花散る落語会だ。そしてこの夏の興行は、昨年十一月三十日に亡くなられた三遊亭円丈師匠の初盆の追善興行でもある。
 遅れて着いた。ロビーに円丈師匠の笑顔の写真が飾られている。師匠、お疲れ様でした。軽く頭を下げて客席に急いだ。
 中入りに滑り込む。林家きく麿師匠「ロボット長短」。この噺は古典の「長短」の改作なのだが、気の長い「長さん」がロボットという設定。この噺を初めて聞いたのは、寄席の浅い上がりでのことだった。衝撃的だった。次に出ていらした春風亭一朝師匠も「ぷぷ」と笑いながら「何、今の」とおっしゃっていたのを思い出す。今夜のきく麿師匠も大受けだった。
 続いてトリは円丈師匠の愛弟子、三遊亭白鳥師匠。「それいけ落語決死隊 コロナ退治」。まさにコロナ禍で生まれたお噺。実在の噺家や落語界を描いているので、やや落語マニア向けではあるが、コロナのまん延が止まらず、生活の自粛がさらに厳しく続いていくと仮定した、近未来落語である。登場人物の妹分「チエちゃん」がまるで私だ。感情移入をし過ぎて、笑いながらも切なくなる。本当にこんな未来が来たらどうしよう。コロナ退散を皆で願いながら叫んで大団円。
 円丈師匠、あなたが火を灯した、新作落語の灯、その志はしっかり弟子と後進に受け継がれているよ。

八月十五日(月)
 今年のお盆もコロナの影響で帰省はキャンセル。ぽっかり空いた時間。かねてより訪ねたいと思っていた信州上田「無言館」に行くことにした。
学生時代に美術史の授業で村山槐多について知ってから、「信濃デッサン館」に憧れていた。しかし上田、そう遠くないのに、なぜかこれまで訪れていなかった。
 シャトルバスに乗り込む。お盆、さらに終戦記念日だからか、席も八割方埋まっている。車窓を流れる信州ののどかな風景を見ながら、ああ、こんな場所にあの絵たちは安らいでいるのか、と思った。美しい日本の山河、田畑の景色が広がっている。遠い異国で散った若き画学生たち。帰りたかっただろう。こんな日本の風景をもういちど見たかったろう。
山の道をゆっくりと上がっていく。「無言館」はアプローチも美しい。教会のような佇まいで、その建物は待っている。
 重い扉を開ける。展示スペースが十字架の形になっている。この空間自体が祈りを体現しているかのようだ。
 一枚一枚、ゆっくり見ようと思った。絵のそばにプレートが貼られていることに気付く。それぞれの絵の描き手たちについて、出身、経歴、戦死の記録が添えられていた。
作品の背景にある数多くの物語。ガラスケースには彼らの写真、手紙、愛用の品々・・・。ご遺族が大切に大切に残してきた遺品の数々が大事に展示されている。これはただ「見る」だけではない。それぞれの絵とそこにあった彼らの「生」と「対峙する」のだ。
 一週間ほど前に放映された番組で窪島館長がこう語っていた。
「(絵は)描こうとするものを愛していないと描けない」
 彼らと、描かれた人、物との愛おしい時間・・・。
この絵の前に立つ私たちは、その若き画家たちの目と感情を体験することでもある。戦没画学生たち。戦争下の日本において、この年齢の男たちが、否応もなく銃を握らされる運命。そのタイムリミットがせまる中を、必死で、ひたむきに絵筆を握り、愛しい人、愛しい風景を描いた。そしてこの「愛」を永遠にとどめるために、彼らは「絵」で残していった。
 涙がマスクの下を流れていく。
 しかし、悲しみとともにまたどうしようもない怒りも私の中で噴き出してきた。前の週に岡本喜八監督の映画「日本のいちばん長い日」を見たせいだろう。添えられたプレートの彼らの亡くなった日付を見るごとに、「降伏」の決断の遅れに歯ぎしりをする。3月の東京大空襲、沖縄玉砕を受けても、まだ「本土決戦で何とか」と本気で思っていたのかと、あの会議室での光景は、本当にこの人たちには見せられない。
また戦禍のウクライナも思わずにはいられない。私の職場の大学でも、この夏、何名かウクライナの学生たちを受け入れた。その際、私は迂闊にも「男女の割合は?」と軽く同僚に尋ねてしまったのだ。若い後輩は少し困った顔をして「男子は今、出国禁止かと」私ははっとして詫びた。学生も免除されていないのだ。確かにニュースに映る日本に避難してこられたウクライナの方々は皆女性だった。
 今はフェミニズムやジェンダーの問題が語られて、性差別をなくす、また性区別もなるべく取り払うような動きがあるが、この戦争という局面に立った時には生物学上の「男」が判別され、彼らに兵士としての役割が課せられる。戦場と化した国土に残る男たち、避難先で待つ女たち。この「無言館」の絵が語る物語と同じ状況がリアルタイムに時を刻んで起きている。
 出口でパンフレット類を受け取った。その一枚に小さな紙片があった。祈りの、言葉であった。
【ウクライナの人たちに
一日も早い「自由と希望」の日々が
訪れますように
    —無言館―   】
 祈りながら、また坂を下りて行った。

※歌誌「月光」75号(2022年10月発行)掲載
※写真は無言館で配られていた祈りのカード


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