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銃声の聞こえぬ夜の落語会―三遊亭白鳥師匠をお招きして〜天神亭日乗8

二月十八日(金)
「師匠、お願いします」
まさかこんな言葉をこの襖の向こうに呼びかける日がくるとは。
 オミクロンの嵐が吹き荒れていた。しかしまだ彼の地での銃声は聞こえぬ、二月の夕暮れのことだった。

 落語に嵌まってから6年、とうとう勤務先の大学で教職員サークル「落語愛好会」を結成してしまった。今日はその会主催の落語会なのである。
 お客様は教職員と教職員OBOG、そして学生。この状況なのであまり人数を入れられず、40人ばかりがお座敷で開演を待っている。
 この会場はかつて名のある料亭だった。時代が移り、料亭政治なるものも消えて、まあそれだけではないだろうが、経営者の方が手放す決意をされて大学の施設となってしまった。何だか申し訳ない気もするが、しかし、今は筝曲部や書道部、華道部など和の文化を学ぶ学生たちに利用され、これはこれで建物の第二の人生としては良いものではないかと思う。そしてまた、今日のような落語会もそうだ。かの吉田茂が八代目桂文楽を料亭に呼んで落語を聞いていたのは有名な話だ。ここがその舞台かは知らぬが、「落語と料亭」というのも伝統の組み合わせなのだ。

 このコロナ禍、今後どうなるか分からない、それならば、と思い切ってお呼びしたのは、新作落語のトップランナー、三遊亭白鳥師匠である。

 そもそもこの「落語愛好会」結成の発端になったのが白鳥師匠である。このサークルは私と同僚のH先生の発案で発足した。落語で「由来の一席」という括りのネタがあるが、まさにそれが出来そうである。詳細は割愛するが、実はそうとは知らず、別々に白鳥師匠の追っかけをしていたこの我々アラフィフ二人。はっと気づいたらなんと同じ職場の同僚だったというわけだ。とくに私などはツイッターや掲示板で発信しているH先生のコメントや呟きを本人と知らず、ずーっとその内容を読み、たまに嫉妬したりしていたのだ。ある時、職場の後輩からLINEで「H先生のツイッターを発見!」とアイコンが送られてきて「こ、これは!」と腰を抜かしたのだ。
 
 そこからいろいろあって、結局当然のごとく意気投合。元々職場での共通の友人がおり、その友をその時点では遡ること十年前に看取った仲だったのだ。その友人Kは天国から見下ろしてきっとゲラゲラ笑っていただろう。「あんたたち、同じ男追っかけてんですけど~」と。

 そのH先生は今日は着物をびしっと着こなして、下座として三味線を握っている。私は今日はADのような役回りである。なので、冒頭の
「師匠、お願いします」
なのである。

 今日は学生のお笑いサークルから3組が前座として芸を披露してくれた。皆コロナ禍の中、入学した学生たちだ。漫才にコントにピンでの芸。「今日はちょっと客層が違うっすね」と開演前はとまどっていたが、いざ始まると、のびのびと臆せず演じきり、おじさんおばさん達をおおいに笑わせてくれた。
 
 また今日はH先生の三味線の先生もゲストとしてお招きしている。この二人の連弾で出囃子「白鳥の湖」が始まった。私の横にはこれまたKちゃんと一緒につるんでいた後輩のYがいた。そのYが私に囁いた。
「くるすちゃん、すごいね。夢叶えてるじゃん」
そうだった。私は「大学で白鳥師匠に落語をしてもらって、学生たちに聞かせたい、それが夢だ」と言ってたのだ。
 笑い声が響く。私も座敷の隅で笑っていた。

 師匠の三題噺から作られた「座席なき戦い」、そして私のリクエスト「隅田川母娘」を白鳥師匠はマクラもクスグリもたっぷりと熱演してくださった。私にとっても、H先生にとってもこの「隅田川母娘」は思い出の噺である。この噺を聞くたびに、人が人らしく生きられることのありがたさと温かさを感じる。そしてまたこの噺は、幼き頃、母と手をつないで歩いた記憶を甘やかに反芻させてくれるのだ。
 
 一番先に入場した心理学の教授が、全然笑っていないように見えた。あれ、お気に召さなかったかな、と心配になった。しかし終わった後、私にまっすぐに近づいてきてこう言った。
「彼はチケット取れなくなるんじゃない?」
私は心の中でガッツポーズをした。楽しんでらしたのか!しかしさすが心理学者である。全く表情では読み取らせない。
 学生たちも白鳥師匠に彼らのクリエイティビティを褒めてもらっていた。これも嬉しい。コロナ禍そしてこの戦禍のなかで学生時代を過ごすことになる彼ら。明るいほうへ明るいほうへ心を弾ませてほしいと思うのだ。

 片付けが終わり、暗い夜道、「かーっとビール呑みたいっ!」と叫ぶがそこは「マンボウ」の街。呑み屋の灯りは消えていた。
 これが二月、最後の平和な週末になるとは、気づかず私たちは灯りの消えた街を歩いていた。 

*歌誌「月光」72号(2022年4月発行)掲載


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