オタクに必要なのは熱量なのか

(2020年1月20日ツイッターに投稿)

 「金を持っているオタクが偉いわけじゃない、オタクは熱量だ」という話を聞いた。確かにその通りだ。金があるだけではオタクにはなれない。こみ上げるパッションというか情熱があってこそオタクになれる。だが本当にそうだろうか。

 昔、それこそ50年くらい昔のオタクには金が必要だった。本を買うにもカメラを買うにも、とにかく金銭的な余裕が必要だった。

 昔、だいたい30年くらい昔のオタクには情報が必要だった。インターネットの無い時代、オタク同士の会話に必要な深い知識は各人の努力で集積していた。ズラリと書棚に並んだ本やビデオはオタクのレベルそのものだった。

 最近、だいたい15年くらい前からだろうか。誰しもネットを自由に使い、情報も仲間も簡単に手に入る時代が訪れた。オタクコミュニティの中でも、知識自慢より目の前で繰り広げられているイベントを全力で楽しむことが重要視された。いわば「熱量」の時代。熱い情熱を持っていれば経験のある無しにかかわらず最前線に切り込める。いやむしろ、老いて情熱を失ったオタクが若くて熱いオタクに先を越される時代ともいえる。

 しかし「熱量」のみがちやほやされる時代はそう長く続かないと思う。オタクの年齢層が幅広くなるにつれ高度なコミュニケーション能力や人間性が求められるだろう。ネットで得られない情報を得たり、ジャンルが衰退しないために新しい人が入るためだったりと、そういうのが要ると思う。

 と、ここまで書いて90年代のオタクコミュニティにはそういう能力が求められていなかったことを思い出した。深い知識があれば世捨て人のように風貌やコミュ力に難があっても受け入れらた。この変化がネットによるものなのか、オタク趣味が一般化したからなのか詳しい考察はまだしていない。

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