自分史8・小学校その4、総括

ここまで書いてみて思う。
なんで私、めげなかったんだろうって❗️
けっこう過酷だったはず。
でも、学校行きたくないって思ったことなかったし、
改めて、こうやって振り返った今、
まじで不思議🙃
ちょっと分析してみたくなった😉

一つは、いじめられなかったことかな。
これも不思議っちゃ不思議なんだけど。
もしかしたら、私が鈍感で、
いじめられてたけど気がついてなかったのかなとも思う節もある😅
ぶ厚いメガネを揶揄われたことくらいは覚えてるけど、
なんか、それどころではなかったのよね😉
揶揄われたからって使わないという選択肢は私には許されない
必要不可欠な物だったし、
みんなについてくのも必死だったし、
そんなの取り合わないでいたら
ちょっかい出してくる奴もいなくなった❓
みたいな感じかな😉
あとは、先生や友達に恵まれたことかな。
大変なこともあったけど、
楽しいこともいっぱいあったんだろうね😊
あとは、「助けて」って言える子だったのかも❗️
ドッヂボールで怖い思いをした時、
手を繋いで🤲って。
理科の細かい観察も、
友達に「ノート見せて」って。
あとは、適当にごまかすこともできた❓😉
図工や家庭科の作品が代表的なことだけど、
ずるっこして持ち帰って兄や母に手伝ってもらったこととか、
その場をなんとか切り抜ける技❓🤣
そんなようなものを身につけていたのかも😉
あとは・・・
母が守ってくれてるという安心感があったのかも💕
何かあったら母が必ず一緒に考えてくれるなり
助けてくれるなり、
なんか、絶大なる安心感があった気がする。
それは、過保護ではなくて、
私を主体にした上での必要なだけの助け👌
だから私は安心して
のびのびと学校生活をおくれたのかなって思う😉

49歳になった今だから
こう思うのかもしれない😉
当時のあきよちゃんに聞いたら
もっと別の答えが返ってくるかもだけど、
今の私は上記のようなことを思うよ😊

卒業式、席を立ってステージ上に証書をもらいに行く経路上、
立ち止まるポイントがいくつかあって、
床にテープで印が付けられていた。
ステージに上がる前の床の印は見えたんだけど、
証書を受け取る校長先生の前の印が
照明の関係で見えにくくて
いい所で止まれなかった。
(最後まで🤣)
校長先生の隣で証書を渡す助手的な先生が
3年生の時の担任の先生で
見えてないと察してくれたのね😉
練習の時から
「ストップ」と小声で教えてくれて、
私は校長先生の真正面で証書を受け取り
卒業することができました😊😊😊

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