自分史11、中学校その4・進路選択と目のこと😖
中3、誰もが避けて通れない進路選択❗️
幼稚園2年間と
義務教育9年間を
見える人たちの中で過ごした私。
家族や先生、友達、
私と関わってくれた皆さんに助けてもらったことと、
私の努力により、
ここまではどうにかこうにかやってこれた💪
やってはこれたけど、
中3の時点で
そろそろ限界かなって思ってた。
日常のテストも時間内に終わらないし👓🔍
受験とか無理やろ😵
勉強も運動も高校レベルについて行ける気がしなかった。
3年生になってすぐ、
進路希望調査みたいなアンケートに
「高校には行きたくないけど
行かないで何をしたらいいのかも分かりません」って書いたのを覚えているがかり
1学期も終わり頃のこと、
担任の先生に、今後のこともあるから、
一度、大学病院で目の検査をしてみたらどうかと提案された🏥👀
幼少の頃、いろーんな所を回って診察やら治療やらリハビリやらを
さんざんやってきたが
遠視と乱視による強度弱しという診断しかつかず、
今更再審したところで・・・
検査は痛いのもあるし・・・
見えないから普通に検査できないのもあって
検査技師さんに分かってもらうために説明するのもめんどくさいしーーー、
とか、そんな気持ちもあり、
あんまり気が進まなかったけど、
夏休みに順天堂の眼科で検査を受けた👀
検査は母に付き添ってもらい、
ほぼ1日がかりだった🏥
その結果は・・・
「はい、出ました✨
網膜色素変性症❗️」
網膜色素変性症とはhttps://www.nanbyou.or.jp/entry/196
進行性の難病で、
治療法はなく、
今すぐにではないけど、ゆくゆくは失明するであろうこと、
医師から説明を受けた👀
15歳当時の私は、かなりの弱しではあったけど、
まだ見えていたし、
そんなこと言われてもピンとこなかった😐
が、隣で一緒に話を聞いていた母が、
先に泣き出した😭
私はピンときてなかったこともあり、
意外と冷静で、
「良くなるとは思ってなかったし、大丈夫だよ」って
母に言ったのを覚えている😐
私はそのうち失明する🙀
何もできることはなく、ただ、その日を待つしかない🙀
そんな現実を目の前に、
15歳の私には処理しきれなかった。
何をどうすればいいのか分からなかった。
今は少しとはいえ見えているし、
症状として痛いとか痒いとか
なーんにもないし、
本当にそんな日が来るのかなとも思ったりした。
ってか、もはや、
へー❗️
そうなんだ❗️みたいな
他人事のようにさえ思えた👀
不思議と涙は出なくて
淡々と日々を過ごせた。
そんな中、誰からともなく
「盲学校」という単語が浮かび上がってきた。
「盲学校❗️」
まだ自分は障害者ではないと思っていたし、
何とも重苦しい響きに聞こえて
もちろん気は進まなかった😉
中学3年、義務教育最後の夏休みは
地上の酸素濃度が半分くらいになったような
そんな気がした夏休みだったな🌻🌞
つづく✏️
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