ジョークか侮辱か、故郷か異郷か
ウィル・スミスがクリス・ロックを平手打ちした件について、アメリカと日本で見解が大きく異なった。
アメリカでは身体を小馬鹿にする侮辱的なジョークが許されて、肉体的な暴力は許されない。
日本は身体を侮辱するジョークは許されず、正義のための暴力は許容される。
これを見て私は必ずしも属する国が自分の信念とマッチするわけではないのだと確信した。
どういうことかというと、ウィル・スミスはアメリカよりも日本の方が行いが歓迎されるのだ。
このように、生まれ育った地で生き続けるよりも自分の信念にあった地を求める方が精神的肉体的に上手く生きていけるのではないかと思った。
この逆パターン(本来の理想)として、クリス・ロックにも該当することだ。
彼の発言はアメリカではブラックジョークとされるが、日本では言葉の暴力と非難される。彼はその点では日本よりアメリカでコメディアンとして生きる方が大衆に非難されずに平和に暮らすことができるだろう。
私は子供の頃から「変わっている」と言われてきた。
のんびりとした喋り方、独特な作品の作り方、走り方、食べ方・・・
私はその言葉を特別なものだと思っていた。
だけど、社会に出て大人になってみるとその言葉はあまりいい意味ではないものだと思い知らされる。
意見は無難なもの、髪型は無難なもの、出社は遅くも早くもない無難な時刻を、服装は目立たないもの・・・
「変わっている」は「もっと協調性を持った方がいい」「目立たない無難なものを」という意味の裏返しとなった。
ここで海外旅行の体験から海外と日本の文化の違いの例を出そうと思ったが、やめる。
それは私が旅行者“として“感じたその土地の一面にしか過ぎないし、それがその土地の本物の文化だったとしても「じゃあここに住んだ方が生きやすい」とは簡単にはならない。
そんな1次元的なものではなくもっとたくさんのベン図が何次元にも複雑に混ざり合ったものを考えたい。
そのベン図のような物体の共通部分≒自分になれるような素敵なコミュニティに出会えたら、
なんて生きやすくて、なんてマジョリティになれるんだろうね。
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