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サイゼリヤ短編集②~新宿靖国通り

みんなのサイゼリヤ。私のサイゼリヤ。


当時、私は新宿三丁目で勤務していた。


流行の最先端である街でありながらも、
ビジネス街の要素もあって。

そして歌舞伎町もある。


さまざまな人々が行き交う街、
それが新宿だった。


北海道の片田舎から上京し
初めて東京に住む際に

23区を勝手に怖いものだと決めつけては


小平市、という西東京市よりも
さらに西にある街。


そこに、マンションを借りた。


新宿までは
西武新宿線を使う。


家を決める時には
あまり分からなかったけど、


西武新宿線は
JR新宿駅から徒歩5分ほどの
歌舞伎町の端にあって、

大久保の入口にある様な、

薄暗くて、陰気な空気が
ただよう駅だった。


新宿にあるのに、
ターミナル駅ではない駅。


毎朝、競い合うように
座席を確保しては、

急行電車で片道30分ほどをかけて
通勤していたんだけど


何が嫌だったかって

終点の、西武新宿駅に降りた途端に

誰よりも早く、我先に
改札まで他人をかき分けるかの様に

みんなで向かっていく光景が
今でも目に焼き付いている。



逆に好きだったのは、
10日とか15日、25日など

世の中の企業の、
だいたい給料日後くらいになると

よくキャッチのお兄さんが

「ねぇお兄さん!おっぱいどう?良いおっぱいあるよ!」

なんて声をかけてくれたことくらいで、


(今から思い出横丁で、豚串おっぱいタレ味で、、)


とキンキンに冷えたビールを想いながら
上司と並んで、いそいそと歩いていたのは
良い思い出である。




西武新宿駅を降りて、

新宿三丁目方面へと向かう。


靖国通り、を歩く。


「歌舞伎町一番街」
「ドン・キホーテ」


西武新宿線が、
靖国通りの、歌舞伎町側にあるので、

どうしても、
それらの前を通るルートになったが
さほど気にするでもなく、それが日常だった。


晴れた日に、
歩道上で日向ぼっこをしていた
あのホームレスは今でも生きているのか。


HUBやびっくりドンキーが入る
ビルの2Fに、サイゼリヤが出来た。


勤務中のランチで
こういうファミレスに行く事は
ほとんど無かったが、


この日はなんとなく
ひとりでサイゼの気分だった。



春先にはよく雨が降って、
地下街を歩くと
濡れた床と革靴で足を滑らせ


夏になると熱風のような
ビル風を浴びながら
時たま感じるコンビニの入口から漏れる
冷気に癒され

秋になると
少ないながらも落ち葉を
みつめながら石畳の上を歩き
今年の冬のトレンドをいち早く感じたし

冬になると
クリスマスムードが
街中をひしめきあって
忘年会で酔っ払ったスーツ姿の団体と
カップルたち、それとキャッチのお兄さんが
みんな浮かれていた。


そして、
年が明けると
またいつもの新宿が顔を出す。


お正月、バレンタイン、ホワイトデー。


ごみごみとした街で
季節を感じるのは
ビルで覆われた空と、
排気ガスで満たされた
温かかったり冷たかったりする空気


そして、

くだらないイベントたちだった。



靖国通りにあるサイゼリヤは、

ランチタイムは他にお店に比べると
いやにガラガラとしていた。


ケータイをみながら
友人の顔もみずに話す女子高生もいなければ


週末は車でどこかに買い物に行くであろう
献身的に子育てに勤しむパパのいる
子供連れのファミリーもいない


いるのは
疲れた顔の保険レディと
売れない営業マン


ろくでもない浪人生と


なぜかお昼になってしまった
歌舞伎町で飲んだくれていた人。


そして新宿に馴染めない
ランチ難民だ。


ひとりにしては大きすぎる
4人かけのテーブルを
余裕で占領できちゃうけど、

テーブルとテーブルの間が
横向きじゃないと
到底通れないほど狭い間隔は


果たして、つかの間の
休憩時間を有効活用できているのだろうか。



懐かしの
ミラノ風ドリアを食べながら

ド派手なメニュー表と


まばらに散らばる
素敵な未来が約束されていない人たちを
眺めながら


煙草と、珈琲をおかわりした。







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