マチルダ 5
マチダと並んで改札を通る。
五月の初め、上野公園は雨だった。昼時のベンチは平日というのに閑散としていた。
新卒の真新しい装いの群れが、羽を休める景色を僕は期待していた。春雨の細先に、しっとりと濡れた羽毛は美しく、花の落ちた桜の新葉とのコントラストが日々のつかの間に映える。
「連休だからね」マチダの声が、黒い傘の隙間から水溜りに波紋を開いた。
「連休…ああ、そうか。すっかり忘れてた…もう、そんな季節か」
辺りを見回せば、ぽつりぽつりと傘が並んで歩いている。一つの傘に、二人寄り添い愛々だったり、小くて、かわいらしい傘が雨合羽に揺れていたり。ランチタイムのキッチンカーも、今日はカレーよりもクレープやフライドポテトを売っていた。
「甘い風が吹いているね。人の声も丸いよ。今日は」
黒板にチョークで描かれたイラストを見ながら、マチダは笑う。平日のグリーンカレーよりも高価なクレープを食べたいと笑う。
「カロリー、気にしてなかった?」僕は財布を鞄の底に押し当てて、今にも羽が生えて飛んでいきそうな札を宥めた。
「チートデイ」
「…便利な言葉だな」
動物園の入口近くのベンチに座る。円筒形の小屋は雨宿りに都合良く出来ていた。テーブルとイスが一体となった筒の中は植物の茎みたいで、広げたポテトとクレープを食する僕達は、餌を拾った昆虫のようだ。
「最近さ、景色が平面に見えるんだ。空も建物も電車も人も。のっぺりしていて、なんだか味気ない」
「視覚味覚障害?」
「違う。何ていうかな…ゲシュタルト崩壊してるのかも。記号としか見えない…かな。」
「考え過ぎだよ。理屈ばかになると、大人になっちゃうよ。つまんない大人」
デキリコの形而上絵画に思うよ。と言いかけて辞めた。見透かされている。夢の景色にノスタルジックな現実にレイヤーを重ねる。うんぬんかんぬん。
「泣きたきゃ、泣けばいいよ。感情しか無いんだから。デキリコもニーチェも、クレープ食べたら、美味しいって言うよ。たぶん」
当たり前のように、僕のポテトを摘むレースの指先に悪意は無かった。
しとしと降る雨の上野公園。
切り抜きのフランス広場にケチャップと生クリームの混ざった風が吹いていた。