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ハイバイ「投げられやすい石」を観て、最寄の駅前でチョコレートを買ったはなし


「投げられやすい石」というお芝居を観ました。
投げられやすい石って、なんて染みるタイトルなんだろう。
才能があったのに突然いなくなってしまったかと思ったら二年ぶりに現れた病に侵された親友。
その親友にだけ認められていたけど、今ではもう創作をやめてしまった男。
親友は病に侵されながらそれでも絵をずっと描いていて。
才能っていうのはよくわからない概念で、なにか結果のことをそう呼ばれることが多いような気がするけど、病に侵されてでも創作し続ける行為こそが才能なのかなとか。あの親友の姿こそが、「絵をかけよ」とことあるごとに呟く姿こそが主人公の男の子にとっての亡霊だったのかなとか。
ずっとヒリヒリして、なんでみんなが笑えるのかわからないくらい見ていて怖かった。
病に侵された親友は世界のいろんなものから見放されていて、主人公の男の子すら見放そうとしていて、でも一緒に石を投げたりしていて。その時間は本当に楽しそうで、たぶんこんなバカみたいな一緒に石を投げたりして、才能があるとか売れるとか関係なく遊んでた時間がこの人たちあったんだなと思うような時間があった。

帰ったら最寄りの駅前のコンビニの前で外国人の女の人がクッキーを売っていた。
「私はネパールから来た留学生です。コロナの影響で仕事がなくなってしまい生活に困っています。よかったらお菓子を買ってください。」というメモを持って話しかけてきた。
新宿でこういう感じで寄付を募る詐欺の人がいるらしいという話を聞いたことがあったのでやめとこうかと思ったけど、本当かもしれないしだったら嘘でもいいやと思って「クッキーはそんなに好きじゃないので、いらないから500円だけ払います」と言ったら「それならチョコレートにしたら」とチョコの詰め合わせをくれた。すごく深々頭をさげられた。

僕もこの人もきっと世界からしたら投げられやすい石なんじゃないかと思った。投げられやすい石ってのがそういう意味なのかわかんないけど。

昔、大阪の釜ヶ崎でホームレスの人たちに毛布やおにぎりを配るボランティアに参加したことがあった。真冬の夜中に足の悪いおじさんに会った。足が悪いから働けないし、病院にもいけないという。おじさんの話を聞きながら高校生だった僕はどうしたらこのおじさんに何かしてあげられるか考えた。なけなしの一万円をあげることや、支給されたおにぎり、毛布、ホッカイロをあげることやとにかく僕はなにかあげることばかりぐるぐる考えていた。

もう次の場所に移動しなければいけなくなったとき、そのおじさんは「明日も会いに来てくれるか?」と僕に言った。
僕はなにかあげることばかり考えていた自分がすごく恥ずかしくなった。

なんかそういう、才能とは関係ないけど、持たない私たちの会おうとすることとか、なにによって生きてるのかとか色々思いだしたり、しました。


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