鞆隼人様へ(往復書簡1)

 最近ではなんでもかんでも音声案内やチャットである。去年の今頃、東京から宝塚(兵庫県)に引越した時のことを記しておこう。引越し早々電話回線のトラブルがあり解決するのに右往左往したことを思い出す。どういうことかと言うと、問い合わせ先は、まず引越し前に住んでいた地域を管轄する◯T◯東日本に問い合わせればいいのか、はたまた引越し先の地域を管轄する◯T◯西日本にすればいいのかわからない。そもそも今回のトラブルは◯T◯に問い合わせる案件なのか光回線を契約している携帯会社に問い合わせるべきなのかがわからない。さらには携帯会社ではなくて実際自分が利用している携帯会社の子会社らしき格安スマホ会社に問い合わせればいいのかが、わからない。
 このわからなさを困難にしている問題は2つある。もちろんそれらは事業者に非があるというよりは自分自身の「知」に非があると言わざるを得ない問題ではある。いわんや知識不足ということであるが、この私自身に非のある知識不足はユーザのほとんどが抱え込んでいる知識不足であろうとひそかに思っている。少なくとも昭和生まれには共有されていると信じたい。
 問題の一つは冒頭で述べた「どこに問い合わせればいいのかわからない」ということである。問い合わせ先が一箇所であれば精神的にも安心するところだが、問い合わせ候補が4つもあるとこちらは焦ってしまう。この問題を解決する方法はわかってはいる。けれどもわかっていることがわからないから困っているのだ。すなわち問題の二つ目「このトラブルはどういった問いのカテゴリーに属するのか」ただその一言に尽きるのだ。そこさえわかれば、どこに問い合わせればいいのか明確になり正しい対処法へと至ることが容易にかなう。そう、「トラブル」「問い合わせ先」「対応法」はシステマチックに同一直線上になければならない、そして音声案内やチャットはそうしたシステム(文法)が構築されているからこそ成立することができるのだと言える。
 そんなわけでシコシコ電話対応を試みる。まずは◯T◯東日本から攻めてみること数十分。「只今電話が大変混み合っています。このままお待ちいただくかしばらく経ってからおかけ直しください」のアナウンスをスルーして和んだメロディーでありながら、なぜだかイライラしてしまうBGMを聴きながら、ようやく担当の人につながる。一瞬砂漠の中でコップ一杯の水を見つけたような気持ちになりながらつい「ばかやろう」と言いたくなる気持ちを抑え、要件を伝える。
 「西日本におかけ直しください」「……。」
 そんなわけで「敵は本能寺にあり!」とへたった我が身を鼓舞しながらシブシブ◯T◯西日本へ踵を返す。「只今電話が大変混み合っています。このままお待ちいただくかしばらく経ってからおかけ直しください」とBGMのループに眩暈を覚えながら馬券に願いを込めるようにスマホに向かって「掛かれ!掛かれ!」と願をかけること数十分。ようやく本能寺の門の前で門番に声をかけることができた。「信長はおられるか?」。するとやはり相手も強者、「何を言っているのかわかりません、携帯会社に問い合わせてみてください」と応戦してくるではないか。そんなわけで「敵は本能寺ではなかったか…」とすごすご携帯会社へ踵を返す。
 さあいよいよ敵陣の本丸、携帯会社に出陣だ。なにはともあれここは難攻不落である。「しばらくお待ちください」アナウンスとBGMだけではない。砦にはいくつものトラップが仕掛けられている。数十分の無為な時間を乗り越えた先には音声案内が待ち構えている。「お支払いに関するお問い合わせは1を、機種変に関するお問い合わせは2を、◯◯に関するお問い合わせは3を、凸凹に関するお問い合わせは4を、......を、......を、.....を、そのほかのお問い合わせは8を、もう一度最初からお聞きになりたい方は9を」、「良しっ!」と思ったのも束の間、ポチッと勢い余って9を押してしまいもう一度聞く羽目に...。「お支払いに関するお問い合わせは1を、機種変に関するお問い合わせは2を、◯◯に関するお問い合わせは3を、凸凹に関するお問い合わせは4を、......を、......を、.....を、そのほかのお問い合わせは8を、もう一度最初からお聞きになりたい方は9を」、間違わないようにと震える手で8を押す。そして同じような感じの音声案内を2、3度乗り越えて、「直接担当の者とお電話での対応をご希望の方は♯を」みたいなダンジョンの出口のような光が差して来た。おもむろにポチッと8を押すとどうだろう、「ショートメールに案内を送りましたのでそちらからお入りください」ときたもんだ。スマホの画面を切り替えショートメールに届いたリンク先のURLを押すとAIチャット画面にステージが移行する。「ご利用ありがとうござます。お問い合わせ内容をお聞かせください」「回線トラブル」「該当する内容を次の項目からお選びください」「その他」「トラブルは解決しましたか?」「しません」「再度質問がある方は1を、サポートセンターご希望の方は2をお選びください」「2」「オペレータにお繋ぎします。下記の電話番号におかけ直しください。ご利用ありがとうございました。〇〇-△△△△-〇〇〇〇」「…………、さっきかけた電話番号やんか〜いっ!!」
 とまあおおよそ以上のような出来事に遭遇した。一年前の出来事、記憶に曖昧なところもあり事実と異なる箇所もあるが大筋そのような状況であったように思う。決して当該事業者を誹謗中傷することを目的にしたものでないことはお断りしておきたい。一言添えるならばその後、Yahoo!知恵袋やらネットサーフィンしながら、自分のトラブルと似たような事例を検索し、トラブルの全体像を把握し対処の手続き方法を何度も確認し、言うなれば「トラブル-問い合わせ先-対応」という同一直線上の規律へと自らを差し向ける努力をした後に、やっと解決に至ることができたのだ。
 さて、いま私たちを取り巻く言葉はこのような状況の中に配置されている。特に専門用語を必要とする言葉はベナレスのガートのような巨大迷路を形成しつつもシステマチックに配置されている。ここで私たちに必要なのは直感的な【方位磁石】ではない。【方向指示】【方向標識】を解読する知識である。

「重要な契機だ。処罰の派手な見世物の古くからのパートナーたる、身体と血が場所を譲る。仮面をつけての新しい人物の登場である。一種の悲劇が終わって、一つの喜劇が始まっている、黒っぽい輪郭を浮かびあがらせ、顔を隠したまま声を出して、手でさわれぬ本体を見せながら。」(ミシェル・フーコー)

 この言説は別の問題すなわち刑罰に対する事柄であるが、どこか本質的に通じているように思えたので引用した。つまり刑罰だけでなく私たちの社会が対象とするものが「身体」ではないものへと実質的に変化した、そのことについてである。

 私が体験したこととはなんだったのだろうか。感情に即して言えば「ありがとう」と「ばかやろう」が言えない出来事に遭遇した、そのように思っている。この「ありがとう」と「ばかやろう」は人に出会うからこそ発話される言葉であり、私の体験談のように人と会話する機会をもたない出来事からは決して生まれてこない言葉である。いや必要のない言葉と言ってもいい。むしろそれらはシステムにとって邪魔なものであり、システムを破壊する危険性を秘めているのかもしれない。
 もう一つ、私が体験したことは「辿り着けない」ということでもあった。それはカフカの小説『城』の主人公Kの境遇に似ている。主人公Kは城の伯爵に呼ばれた測量士であったが許可証がないということで城に入ることができずにいた。そして城に入る方法をあれやこれやと探っていくのだが最後まで入る方策が見つからずに物語は未完で終わる。作中で宿屋のお内儀が主人公Kにむかって次のように語る場面がある。「あなたは、つまり他国者なのです。不必要な、どこへ行っても邪魔になる人、たえず迷惑の種になる人」と。つまりそういうことである。回線トラブルが何で起こっているのかわからない私、どこへ問い合わせをすればいいのかわからない私は「迷惑の種になる人」なのであった。
 ではいったいどうすればいいのだろうか。『城』の主人公Kであれば自国の者になる必要があるだろう、自国の者であっても子どもであれば自国の規律に従うことができるよう訓練(学習)していくこととなる。同じように私も通信領域における規律(知識)を理解し従うこと、である。そこで起こりうるあらゆる事態は規律を理解しそれに従っていけば対処できる、そのことを怠る者は「城」へ辿り着くことはできない。

 これが私たちが住む社会であり、利用する社会である。少なくとも今後、ますます住むことと利用することが同語反復的となる社会においてはそこで息をしていくしか手立てがなくなる。人によっては便利な世の中だと思う人もいるかもしれない。規律を理解し規律に従う、ただそれだけのことなのだから。しかしそうだとしてもこの喜劇に対してふたたび問いかけてみたい。私はそこで誰に「ありがとう」と言えばいいのだろうと。

くるんば 松村康貴


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