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西加奈子さん「くもをさがす」を読んでVRアバターについて考えました。

西加奈子さんのエッセイ、くもをさがすを読みました。

その流れで以前から読もうと思って読めていなかった山本文緒さんの
無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―も読みました。

かなり見当違いな読書感想文なのですが、
2冊(特に『くもをさがす』)を読んで思考が向かったことを書いてみました。



『くもをさがす』を読んでいて、
僕は、西さんご自身の「意識」と「身体」との距離感が興味深かったです。

客体的に自らの身体を内面・外面への愛に満ちた描写を読みながら、
最近自分が思っていたことを無理矢理ドッキングさせ、展開させていこうと思います。


この前、日課のランニングと筋トレをしながら気づいたことがあります。
それは「自分の身体のため」と思ってやってると少し怠けちゃうと言うことです。

元々サッカーをやっていて体育会系の人間だけど、
大人になってから運動を完全に辞めました。

太っていくのが嫌でジムに通った時期は3回ほどありましたが、
あんまり続きませんでした。

でも、この半年ぐらいランニングと筋トレが続いてます。
ほぼ毎日、家の前を一直線に走って、Uターンして
また一直線に戻って3Km(20分ぐらい?)

自宅の立地的に2駅分真っ直ぐ走れるのと、
人通りが少ないのが気に入っており、今回は続いています。

それで気づいたことは
この身体(自分ではなく)を鍛えて機能性を上げようと少しだけ思ってると言うことです。


今まで、鍛える対象を「自我」と「身体」を
合わせた「自分(身体)」と考えると怠けちゃってました。

それは怠けたツケが自分にだけに回ってくるからで、
例え頑張らなくてもやってくる影響(脂肪)は自分にだけ来るからです。

しかし、身体を「客体」「器」と思うと
なんかゲームのレベルアップの感覚で少し頑張れる感覚が自分にはありました。


西さんは僕で言うそれを
性能的なことでは一旦なく、容姿として「自分の身体を愛する」ことに至っておられ
そして、その描写が美しく、読み入ってしまいました。

僕の言う「トレーニングをして身体性能をあげよう」みたいな話は
少しバーチャルアバター的な考えに近いと思います。

まさにVtuberだったり、ガンダムだったり、エヴァだったり。
身体をある種「アバター」と捉え、精神(認識)と身体(機能)を剥がしてみると
逆に運動が頑張れるようになりました。

なんとなく頑張るか、と思える。
これは結構なんとなく。

敵と戦って得られた経験値を自分の装備のレベルアップに使いカスタムする感覚。


以前、日本におけるメタバース領域のトップランナーである
「クラスター」の加藤直人さんが
「メタバース空間じゃなくて、“リアルの方が良い“という感覚は、今は大半の人が身体ネイティヴだからだ」というような趣旨のことをインタビューで言っていた。


“身体ネイティブ“


面白すぎる言葉だな、と思いました。

確かに僕は言語でいうと日本語ネイティブ。

日本語を使うことに苦労したことがない。
なので「明日から英語で喋って」と言われたら
「えー日本語の方が絶対良い」と言う。

なので、親のお陰で不自由無く身体ネイティブな自分は
多少なりともこの身体の方が楽だろう、と思うのは当然なのだと(感謝)

2本の足で歩き、
2本の腕、の先の10本の指を使いお箸でご飯を食べてきました。

サッカーでゴールキーパーをしていたときは、めちゃくちゃ走った。
歩く時の足のスピードより早く足を動かし、その時に強く足の筋肉を使った。

時に左足を強く地面に踏み込みストップをかけ、
同時に後ろに振り上げていた右足を素早く振り下ろして
足の甲にボールを当てボールを遠くに飛ばした。

眼球を動かし、飛んでくるボールに向け
やっぱり足を強く踏み込んで60kgの体を遠くへ飛ばしました。
その先にあるボールを掴めれたら掴んだし、掴めなかったら
拳にボールを当てて、自分の後ろにあるゴールにボールが入らないようにした。


今まで、意識したことないけど、人間の身体は絶妙だと思った。
腕の先に指が5本って天才。

耳も目もシンメトリーに2ついるってそうだよな、バランスのためにも。

よく考えたら、よくできてる人間の身体。

そこで全然関係ない(ように見える)ところに鍼を刺す鍼灸の技術もすごい。



今はまだ、この身体を使う時間が10。
僕はVRゴーグルは3、4回しか使ったことがない。

でも、未来の世代のことを考えると、
VRアバターモデルと人間モデルの時間が、

1:9

2:8

5:5

7:3

9:1

になる日が、とっとと10年以内に来るんじゃないでしょうか。

あのどう考えても煩わしいVRゴーグルが
メガネサイズになり、
コンタクトになり、レーシックのように埋め込める時代になれば、
身体とアバターの使用時間が当然のように逆転するのかもしれない。

そうなると、大きい家要らない。
必要最低限の面積、部屋数だけでいい。
日本、特に東京狭いですし。

もう本当に話がそれまくりましたが、
この考え方を思いながら西さんのご自身の身体への描写を読み進めると
改めて、僕はこの身体を好きになりました。

元々好きでも嫌いでもなく(足は結構短いな、とは思ってきたけど)
というか考えたこともなかった自分のこの身体を好きになりました。

これは鼻息荒く書いてきた上記のアバター当たり前的な世界になっても
その感覚は変わらないんじゃないかな、と今は思います。

アバターも良いし、身体も良い。
どっちもイケてるだろう、と。
タトゥーや整形が増えるんじゃないかな。

ーー

西加奈子さんと山本文緒さんのご著書から
身体論みたいなことを書きたくて無理矢理寄せて書きましたが
どちらも本当に素晴らしい本でした。
大変勉強になり、同時に心をかき乱されました。

西さんらしさもあり、
意外な描写もありました。

「らしさ」を自身で握り、この時代を生きていくことの大事さを
改めて感じ、その軸を補強してくれた本でした。

ありがとうございました。
そして、西さんの次の新作を楽しみにしています。

ーー

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