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手放しライターの所以

はじめに


皆さまは部屋の片付けは得意ですか?
私は長年、片付けや不用品を処分することが不得手でした。自宅はもちろんのこと、職場でも探してばかりでした。
本日は、そんな私がなぜ「手放しライター」を名乗るようになったのか振り返ってみたいと思います。

片付けられず、溜め込み探す人生


子供の頃から片付けが苦手なタイプでした。学校への忘れ物も多く、絶えず自宅で探し物をしていたように思います。
母に注意を受けましたが、なかなか直らず、月日ばかり過ぎていきます。家族での引越しもたびたびありましたが、押し入れやクローゼットが広い家に引越しをしていたため「物は押し入れやクローゼットへ」と押し込められていました。
余計に探すのが困難な状況となり、人には話せないくらいに酷いものでした。
当然のように、頭の中もクローゼットと同じように混乱した状態だったのです。

大黒柱の緊急入院と、今後を考える


そんなある日、父が緊急入院することになります。
「今後を考えて、病院の近くに引越した方がいいかも」と、母と話し合い、人生最後のつもりで、引越しを決意することとなります。

40代にして初、引越しの陣頭指揮を取ります。大袈裟に聞こえるかもしれません。しかし自身の詰め込んできた品物の数々も大量な上に、頂いたタオルやシーツ類に始まり、私の幼少期に買って頂いた図鑑などのシリーズなど……未使用でも変色・変形したモノの数々を、一つひとつ確認したり判断を迫られたりしながら選別していきます。
「生活スタイルの縮小化」をテーマに「今度こそ!」と、私の本格的な手放し人生の幕開けでした。
両親と共に過ごしてきた歳月を振り返りつつ、自身と向き合い、時には音楽を流してやる気を奮い立たせながら、行い続けました。

続く悲しみ苦しみに、差し込む光


その間には、両親の死や近所の住民に見張られるなどのストーカー被害が立て続きでありました。急遽の住居探しから引越し計画、実家手放し……と、自身の周辺にもさまざまな変化が生じたのです。
不用品処分費用として、30万円以上かかりました。出来る限り、自分で行える事はしましたが、結構な痛手でした。(この金額があれば、結構いろいろなことが出来ますしね!)
数々の思い出と懐かしさ、複雑な感情と向き合いながらの時間を過ごす日々が続きました。辛い気持ちにも向き合わなくてはならず、正直、苦しく大変でした。
特に書類や手紙、写真など、悲しみと向き合う事を投げ出してしまいたかった。今は亡き方々との思い出など、涙が止まらずに困りました。
しかし「手放し」は、その時の理由や状況、時間などと向き合って、感謝しながら別れ(手放す)る儀式。自分の過去と向き合い、未来へと歩みを一歩、進めるために必要なことだと思うのです。
一括りに「ゴミ」として扱えない山と長い期間向き合ったからこそ、風通しの良い「なんでもやってみよう!!」と思える、今の私があるように思います。

もう、握りしめずに『手放す』人生。


手放さないと、囚われたまま。私にとっては、「手放し」は必要な事であり、握りしめずに『手放す』人生のスタートとなったのです。
過去から解放された私は、これからは「片付けられず、自分を責めていた自分とさよなら」しました。そして、以前の私のように溜め込み、物を探してばかりで捨てられないような方に向けて、軽やかに過ごしでいける方法を発信し、伝えていきたいと考えています

本日もお付き合いくださいまして、ありがとうございました。


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