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死去と希望

──“逃げるが勝ち”だと言ったり“逃げるは恥だが役に立つ”だと言ったり、いい加減にしてくれ。意見をまとめろ。いいか、“逃げは永遠の後悔”だ。覚えとけお偉いバカタレ共。──くるパ


どうも、我十院牙樹丸(がじゅういんがじゅまる)でございます。結構「十」を「獣」って書いちゃってて焦ったなあ。今日はちょっと暗い話になっちゃうかも。暗くはないのかもしれないけれど。

ついこの間、弟の友達の弟が亡くなった。弟が仲良くしていたのは聞いていた。受験を控えてるからって弟がその子に自分がいっぱい勉強に使った赤本をあげていたのも聞いていた。即死だったらしい。

ニュースでは自殺だと取り上げられた。遺書も見つかったらしい。そんな事をする子ではないのに。イジメもなければもちろん借金もない、フットボールが大好きで、生きる理由に満ち溢れていた彼は、突然死んだ。

結論から言うと、彼は自殺ではなかった。遺書なんてなく、いつも家を出る際に書き置きをするらしく、そんな何気ない書き置きを、遺書だと報道された。家族は警察に「これは誤解を招くからマスコミには言わないで欲しい。」と言っていた。 それを警察はまんまと売ったのだ。面白おかしくなるように。自分の金になるように。

本当に、腸が煮えくりかえるという表現は今この時に使うものなのだと思った。この糞共は一体何を持ってして自分たちの正義をうたっているのだろうか。人の人生を土足で踏みにじり、自らだけが他者から得た不幸を食い物にして貪る。           久しぶりに「死ねばいいのに」と思った。こいつらは人間じゃない。心が無い。つまり思考をやめた腐り果てたカスだ。こんなヤツらが僕らが住む日本という国で正義の名の元に金を貰っていることに酷く憤りを感じた。

何度でも言いたい。人間のクズよ、今すぐ死ね。

勿論警察の皆が皆そうだと言いたいのではないよ。誰か一人がそうであってしまうが故に、一括りにされるんだ。女遊びが激しいバンドマンが一人いれば、「バンドマンは女遊びが激しい」と言われるだろう。イジメを黙認する教師が一人いれば、「先生はイジメから助けてくれない、見捨てるもの」だと思われても仕方がないだろう。

これが昨今常に話題に上がるジェンダー、フェミニストの問題とも繋がる。「たった一人の男が、」「たった一人の女が、」そうであったばかりに、広い定義でそれは貶され、蔑まれる。

僕自身は小学生の頃、友達の弟が水難事故で死んだ事があった。ついさっきまで当たり前のようにこの世界にいた魂は、人間は、今この時にはこの世にいないのだ。それがどれほど摩訶不思議で信じられないものかお分かりいただけるだろうか。 「死」というものはあまりにも唐突で、理不尽だ。

死んだ人間の周りの人達は皆、それぞれ己を責める。弟は、弟の友達の弟が死んで、まだ自殺じゃないと分かっていなかった時、「自分が赤本を上げたせいでプレッシャーになってたのかなあ」と夜中一人で泣いていた。僕の友達の弟が死んだ時、友達は「おれがもっとしっかりしていればあの時助けられた」と言っていた。

一人の人間の死は一体どれだけの人間の人生を変えてしまうのだろうか。

僕はイジメにあった人が自殺するのはとても悲しくて、自殺以外の手段で立ち向かえよ!と思ってしまう側の人間だが、死ぬことで一矢報いる事が出来る可能性がある世の中では、それは死んでしまって当然なのだ。その行為を否定できるほど、この世界はうまくできてない。

僕もイジメられたことはあったが、何分負けず嫌いな性格なもんだから「逃げたら負け」を胸にただひたすらに抗い続けた。その結果、僕は今生きていて、それなりの幸せを掴み、それなりの生を噛み締めている。好きな人もいれば、笑い合える友達もいる。「死」は完全に全てを終わらせてしまう。

「死」を迷えないような環境であった人達は本当に気の毒としか言いようがない。それはアナタは悪くない。それは周りが悪い。あえて言いきろう。アナタは何も悪くない。

これを読んでいるアナタ、どうか生きて欲しい。そして笑っていて欲しい。いつか本当の意味で生きられた時、同じ酒を組み交わそう。僕らはいつだって一人だ。だが決して独りではないよ。少なくとも僕はアナタに生きていて欲しいし、悲しむ自信がある。

明日も仕事だ。嫌だな。行きたくないな。最悪だな。それでも世界は回っているし、肺は酸素を取り込んでは、二酸化炭素を吐き出している。

息をしろ。どれだけ息苦しくとも。それがいつかきっと希望になるから。嘘じゃないぜ。


今日の一曲♪銀杏BOYZ-BABY BABY


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