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循環と特異

──赤信号、みんなで渡れば怖くない。はい、全員バカ。──くるパ


朝です。我獣院牙樹丸(がじゅういんがじゅまる)です。昨日はあまりに疲れすぎて帰宅してそのまま寝てしまったので、これは昨日の日記になる。まだだ。まだ三日坊主にはさせない。継続は力ナリ。

自粛期間、ずっと同じような日々の繰り返しで飽き飽きしてたんだけど、自粛やらなんやらが解除され元の生活に戻っても、どうやら僕の日々は同じことの繰り返しらしい。

たまにいつもと違う一日にしたいと思い、帰り道成城石井に寄ってちょっと良いツマミを買って帰り、家で酔って何もせず泥のように眠る。こんな毎日になんの価値があるんだろうね。何かを成した訳じゃない、積み重ねることの無い日々。

僕は電車が羨ましい。他人の敷いたレールを他人に走らされる事が生きがいとして成り立つだなんて、天命だなんて楽チンでしようがない。それが幸せだなんて、本当にずるいよ。きっと電車として生まれてきていたなら、毎日が喜び、やり甲斐に満ち満ちており、悲観や憂鬱を抱える暇もないのだろう。

でも僕らは人間だ。無機物ではない。感情があり、思考する。もちろん人間の中にも他人が敷いたレールの上を他人によって走らされている者もいるだろう。でも、そんなのは人間としては「生きていない」も同然だ。電車が羨ましいからといって、そんな自分で納得ができるはずがない(電車が羨ましい訳ではないとは思うが)。

何故なら僕らは「人間」だから。「他人」は責任をとらない。電車は全てを「他人」に任せていればいい。でも「人間」は「他人」に身を任せても、「他人」がミスをし、見切りをつければ、それは己の責任となる。そんな都合のいいパペットで生涯を終えられる程、「人間」は単純な生き物ではないんだ。

喜怒哀楽なんてものがある。七大罪なんてものがある。人間はいつだって「感情」と「思考」を軸に生きてきた。思考を止めたとき感情は死に、感情を失ったとき思考は止まる。二つは比例してるんだ。どちらも僕らに与えられた特権。失っちゃダメだ。たとえ今がどれだけ辛くとも。

今日もまた同じような一日を送る。それに意味なんか無くったっていいのかもしれない。でも僕はダメだ。ダメなんだ。毎日に意味がないと、僕がこの世にいる意味が無い。それは死んでいると同義なんだ。

何かを起こそう。なんでもいい。何かを成せ。      己の生を証明する為に。

なんて、重苦しくってしょうがないよね。今日はお昼に何を食べようかな。キムマヨ唐揚げ定食かなあ。もうお腹が空いてきたね。


今日の一曲♪MOROHA-tomorrow


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