懸命と失念
──「継続は力なり」とは言ってもそれを実現するには相当な労力と時間を要するだろう。それを成し遂げたジャルジャル、本当におめでとう。そしてありがとう。──くるパ
やあやあ皆さん、おはようございます。 我十院牙樹丸(がじゅういんがじゅまる)でございます。
お久しぶりです。昨晩にあった祭典は皆さんご覧になられましたかね?ジャルジャル殿、おれはアンタらみたいになりたいです。
さて、日曜出勤でございます。笑かすなよドアホが。こねくり回すぞクソッタレめ。
しっかりと弱者から生のエネルギーを搾り取るこの社会め、これでも食らいやがれってんだクソが(とても綺麗な目潰し)。 まあそれは良いとして、最近生活が忙しなくなってきまして、これがありがたいのやら辛いのやら。
今漫画を描いてるんだ。52ページの。 あんまり声を大にして言うのも小っ恥ずかしいからここで細々と書かせてもらうと、目指すは週刊少年ジャンプの新人賞佳作以上。もしくは手塚賞入選。もちろん画力も構成力もくそ足らんと思うんだけど、精一杯頑張ろうと思う。
僕は今、月刊少年マガ○○の方で担当さんにお世話になっている。一作目を新人賞に出したが、最終選考で落ちてしまった。結果、賞のページの片隅にちっさく名前と作品タイトルが掲載されるだけで終わってしまった。
圧倒的に画力が足りませんね。ええ。画の力ですよ。POWER。いつかある程度のラインまで達せたら皆さんにも見ていただきたいけども。
そんな苦汁を飲んだ次の二作目、それが今描いているヤツなんですけど、相変わらず自分の絵の下手さには反吐が出るよね。「こう描きたい」に画力がまるで追いついていない。それでも描かなきゃ進まないから必死に下書きを描いてペン入れをする。納得のいく絵が中々描けない。
前の担当さん曰く「描けないから描かない、未完成で終わる」より「描けなくても描く、完成をさせる」が何よりも大事だそうで、当然なんだけど、要は「とにかく形にしろ」って事なんでしょうな。そうしなきゃ何もしていないのと同じですものなあ。万物に通づることかも。天才に生まれたかったよ。
小さい頃から大好きだった絵を描くという事が、時折自分を圧迫する。昔は下手とか気にならなかったし、ひたすら描いて色を塗って、誰かに褒められて、嬉しくて、とにかくそれで良かった。
でも今は下手くそなんか誰も褒めてはくれないし、誰も興味も必要もないのよ。「できて当たり前」って、これが子供と大人のでけー違いかも。もう「子供だから」なんてどこにも通用しない。通すつもりもないけど。クソダサいし。
ずっと続けられるわけじゃない。そりゃ死ぬまで一つのことを続けりゃバカでもモノにするだろう。でも僕らは寿命があって、生活があって、家族だってできるだろうし、いつだって一人で生きられている訳じゃない。だから、どこかで折り合いをつけなきゃいけない。
「明日地球が滅んでも良いように悔いなく今日を生きろ」みたいな臭い台詞が、むず痒くて恥ずかしくて、でもそこまで嫌いじゃなくて。
たぶん「分からんでもない」からだと思う。僕は「言われんでも分かっとんねん」みたいな話をされるとついついウンザリして対立的な態度をとってしまう。永遠の反抗期かも。
それができてれば苦労しないよって事を、やれてる人間は平気な顔して、当然みたく言ってくるんだよな。それ、押しハラですよ?
※推しハラ : 押しつけハラスメント
熱血キャラが「良い奴だけど鼻につく」のはそういうところだと思う。十人十色を辞書で引いてこい。なんて言いつつも、やっぱりそういう奴が羨ましかったりね。
おれね、素直じゃないのよ。
何事にも大体は〆切ってあるんだけど、人生にもあるじゃん?それを失念しちゃいながら生きてるんだよね。嫌なものから目を背けて、見ないよう見ないよう生きてる。でも歳を重ねていくにつれて段々とそれが通用しなくなってきてる。「アンタマダ20年ポッチシカ生キテネェダロ」とか言ってくれるお年寄りの皆さん、ありがとう、でもそう言えるアンタはきっと「やってこれた人間」なんだと思う。おれが80歳過ぎたゴリゴリのジジイになった時、天国のアンタ達に「自分ら、正しかったわ(笑)」つってヘラヘラできるよう頑張らせてもらおうかな。
ひんやりとしてる。もう夏は終わるらしい。 こうしてる間に一年が経つ。今年は何ができたかな。一体何を手に入れ、何を失ったかな。 誰か数えといてくれ。いつか使うから。
本日の一曲♪ホフディラン-極楽はどこだ
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