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クブシミ

ストラテラを飲み始めて一年、朝目が覚めると俺はイカになっていた。
正確にはコウイカ目コウイカ科コウイカ属に分類される『コブシメ』というイカだ。俺の地元の方言では『クブシミ』という。
イカになった俺は久しぶりに地元に帰ってみることにした。
俺の地元は沖縄の離島だ。
大阪から、太平洋を渡り、黒潮に身を任せ泳いでいくと島が見えた。
10年ぶりに海から見る島はひどく小さく見えた。いや、実際半日もあれば一周できるような小さな島だ。人も500人程しか住んでいない。俺が住んでいた頃から、島では人よりヤギの数のほうが多いというのが鉄板ネタだった。


島に着いた俺を最初に出迎えたのは、見覚えのない老婆だった。老婆はこちらに近づいてきた。
「マジムンだね」「はい?」「あんたはマジムンに憑かれている。いや、マジムンそのものになろうとしているさー。今ならまだ間に合う。あんたを縛っているものを見つけにいきなさい。」
なんなんだ一体。俺が呆気にとられていると、老婆はいつの間にか姿を消していた。

島に帰ったはいいが、俺は何をすべきなのか分からない。ただなんとなく帰らなければいけない気がしたから泳いできただけだ。
とりあえず俺は実家に立ち寄ることにした。
「ただいま。」「なんやお前。」「俺や、健太郎や。」「ケンか?帰ってくるなら連絡とかせえや。なんやお前、イカみたいやな。」「イカやねん、俺。躁鬱の薬飲んでたらイカになってもうた。」「そうか、これはアレやな、クブシミやな。」「せやな。」
俺は父の釣ってきたクブシミの刺し身が好物だった。あれを味わってしまうと他のイカは食う気にならなくなる。
久しぶりに会った父はひどく老けて見えた。酒飲みで乱暴で、幼い頃は畏怖の対象でもあった父の面影は無い。10年という月日の重さを否応にも感じてしまい、俺は悲しくなった。俺はあの頃から何も変わっていない、変われなかったというのに。

俺は島を見て回ることにした。
歩いてみれば、何かが解決するかもしれない。しないかもしれない。
近所の売店、小学校と中学校、小さい頃遊んだ空き地と公園、何もかもが小さく見えた。
それにしても、俺を縛っているものとはなんなのだろう。思い当たる場所はあらかた行ってみたが何も分からない。ただただ、酷く惨めな気持ちになるばかりだった。俺は家に帰ることにした。


「あれ、ケンタロー?」「え?」「久しぶりだねー。いつ帰ってきたの?」「もしかして、あやねーねー?」「そうだよー!なに、分からんかったわけ?」
帰り道で俺に声をかけてきたのは、あやねーねーだった。俺の1つ上の学年で、俺の初恋の人だ。
「俺、イカなのによく分かったね。」「だって、なんか雰囲気がさ、昔とおんなじだからさ。歩き方とか。」「そっか。」
久しぶりに会ったあやねーねーは、眼鏡をかけていなかった。
「今日帰ってきたさー。」「そっかー。いつ帰るの?」「決めてないさー。しばらくいる予定。」「しばらくって、仕事とか大丈夫なわけ?」「うん、そういうの自由な仕事だから。」「すごいねー!やっぱ内地はいいな〜。」
嘘だ。俺はもう2年近く働いていない。その2年前の仕事も倉庫の派遣バイトだ。しかも要領が悪すぎて1週間でクビになった。
「あやねーねーは今島に住んでるわけ?」「うん。」「一人暮らし?」「いや、子供がね、2人いるからさ。」「え、子供!?」
俺はあやねーねーのことが好きだった。理由は分からない。自分でも不思議だが、小さい頃からとてつもなく好きだった。
それからずっと、あやねーねーが中学を卒業するまで、俺はあやねーねーのことを想い続けていた。俺が中学を卒業して、大阪に引っ越して、この年になっても未だに夢に出るほどに好きだった。その想いはついぞ本人に伝えることができなかった。
でもそうか、子供がいるのか。子供がいるということは、結婚したんだ。俺以外の男を好きになって、恋をして、セックスをして、子供を産んだんだ。そうか。
「じゃあ、ご飯作らんといけないから帰るね。」「あ、うん。じゃあね。」


呆然と立ち尽くしていた。分かってはいたことだ。10年もあれば、なにもかもが変わってしまうことは。頭では分かっていたことだが、それでも悲しかった。俺は好きな人に愛されなかった。その事実を確認するために、俺は島に帰ってきたのか?


「あんたの縛りは、あの子だったようだね。」
どこからともなく老婆が現れた。
「縛りは解けた。今なら人に戻ることができる。でもそれを決めるのはあんたしだいさー。」
「俺は……俺は……」




翌日、俺は誰にも別れを告げず大阪に帰った。
帰りは疲れるので、隣の空港のある大きな島まで泳いで、Peachで帰ることにした。


数日ぶりに自宅に帰ってきた。俺は自室のゲーミングPCの電源を入れ、オーバーウォッチを起動した。


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