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測れない・量れない

マイケルサンデルは能力主義によって人が他人と自分自身を評価し、それだけでなく神のような権威を与えられた想像上・空想上の架空の存在が能力主義によって我々を評価していると指摘しているように思う。

その架空の存在とは僕らが思い込みで作り出した空想上の産物に過ぎない。たかがそれだけの存在とすら言えない架空のものに支配されているのが我々の現状だとも彼は言っているように思う。

我々といっても彼が書いているのは自国のことなんだけども、ただ日本はアメリカの影響が色濃い分必然的に関連してくるはず。人は能力によって評価され人としての価値が評価によって定量的に決められる。

定量的にというのは測定可能ということだ。

数値に見合った仕事をし収入を得て、収入に見合った生活を送り、生活に見合った感性で感じ、数値の範囲内の行動をするものとして把握される。

誰に?

自分以外の人間に。

場合によっては自分自身に。


どちらの場合においてもそれは間違っているということに気づいた。

たぶんほとんどすべてにおいて定量的に測れるものが「ある」んじゃくて、定量的に測れるように人間が単位を決めているだけだから。これがたぶん科学的という概念に潜んだ人間の思考にとっての毒なんじゃないかなと思う。


命と書くと少し違うのかもしれないけれど、生活というのか人生というのか、生きている瞬間瞬間と言えばいいのか、何が正しい表現化はわからないけど


少なくとも誰かが誰かを評価して誰かの人生の価値を決めるというのはおかしい。


そしてその能力主義に基づいた評価基準が社会に染みついて個人の頭や心にへばりついて人が人について評価している世の中は異常だ。


生活とは人が命を費やす空間で

人生とは人が命を費やす時間のことじゃないだろうか


仮にそうだとしたら、

それを誰が、どうやって評価できるのかな?


この問いを簡単に解決してくれる思考を与えてくれるのが能力主義なんじゃないだろうか。能力は数値であり定量的に測れるものとして扱えるから。あくまで能力主義の観点からすれば、だけど。


ここに昨今のビジネスYouTuberやビジネス芸人やハウツーを説く著名人やらに対してなんとなく感じてた違和感というか、限界の正体があるように思う。


彼らは僕らをどこへも連れていってはくれない


これは事実だと思う。それは彼らが説くのが思考法や手法といったツールについてだからであってそれは彼らが良いとか悪いとかの話じゃない。


ただ思考法や方法論は何かに向けて使う道具だから、今何をやるかっていうのがないとそもそもどこにも進まない。


右を知らなければ左には行けない。

なんて言葉があったけど、ひとつひとつ知っていかなきゃならない。


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