言葉にすることは
心を形にすることではないだろうか
だから言葉にできないような気持ちを抱いた時や、言い表せないような複雑な感情を抱えてしまった時には無理に言葉にしないほうがいいと思う。
自分の中でそのちゃんとした形になれない気持ちを、その形とも言えない形のまま持ち続けることも大切なことなんじゃないかなって思うんですよ。
僕はわりといつもすぐに正解を求めがちで。
やっぱり間違えたくないし、最短距離を進めたり、人間関係がスムーズだったりするほうが楽じゃないですか、日々なんとなく生きていく上では。
だからその形になってない、形を見つけられないような感情までもなんとなく概念に当てはめて形に押し込めてしまいがちなんですね。割り切った形にしとくほうが認識する上で楽なんで。
でもそれってきっとあんまり良くない。
自分にとっても、自分と関わる人にとっても。
それっていうのは欺瞞、とまではいかないけれども自分に嘘をつく行為とけっこう距離的にはそう遠くない行為になってしまうんじゃないかなー。
きっと無理に型に押し込めた時にこぼれてしまうものがあると思うんですよ。それもそのこぼれたものこそが本当は大事だったのにーってものがこぼれていってそうな気がする。
自分のことは自分がいちばんよく知っている
という言葉はほんとに疑わしい。自分が本当は何を感じているのかさえ歪めてしまうこともあるのが僕達なんじゃないでしょうか。ありのままを把握するのは全然簡単なことではないように思います。
なんでこんなことを書いてるのかといいますと、
今日で1年経つんです。友人が亡くなってから。
ちょうど1年前のあと2、3時間後くらいに彼は亡くなってしまったわけですが。なんか変な勘違いをおこしてしまっていて。
今日その時間にその場所にいけば彼を助けられるんじゃないか、とか、彼に会えるんじゃないか、とか考え出してしまってるんですね今。そんなわけないのは充分わかっているんですけど。笑
なんかそう感じてしまうんですよ。
そんなわけないんですけどね。
うん。で、ここで僕は思ったわけですよ。
無理に気持ちを言葉にしないほうがいいなーって。このまとまらない気持ちを、どうしようもない気持ちを、スッキリしないまま持っていたほうがいいなって思ったんですよ。
勿論いろいろな言葉で言い表すことはできるんですよ。
だけど、どんな言葉で言い表そうが言い表し切れることはないんだろうなーと思うし、それでいいんじゃないのかなーって思います。
そうやって割り切れないことを普通に自分のそばに置いておけることは、もしかしたら重要なことかもしれません。
今はわからなくてもいずれ、ってことの連続だと思うからです、僕らの認知は。
あれってこういうことだったのかもしれないなーとか。
あれは自分にとってこういう意味があったのかもなーとか。
そういうのって別にすぐわからなくてもいいですよね。むしろ意味なんて勝手に人がつけてるだけですしね。起こることそれ自体に意味なんてないはずですよ、ほんとは。
いちいち自分にとっての意味とかを求めすぎるのもちょっと鬱陶しいですよね。何一つ自分にとっての意味を見いだせないのは辛いことだけど、何でもかんでもすべてに意味なんてなくていいし、つけなくていい。
それって重いだけな気がしてしまうなー。そういう意味では身軽でいたいですね、僕は。
まとまらないなー。
終わろう。笑
またどこかで会いたいもんですね。
ではまた。