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時尾宗道高弟講録の読解【2】

二、ある時、一首の下手な歌を詠んでみたので宗忠様の御前に出してみたことがある。その歌が

誠ちょう実はいつしかにうつせ貝 むなしくなりぬ世の中ぞうし

宗忠様はじっくりとご覧になられた後、私の考えはこの歌とは異なると

有り難やかかるめでたき世に出でて 楽しみ暮らす身こそ安けれ

と仰せになられた。御歌の心は、世の中の楽しみをお与えになるとの神様のお考えがある。我らが世の中を嘆く愚かな心と真逆のこと。わずかな31文字の中にあっても、これほど間違えるからには、きっと日々多くのことについて、誤った考えの多いことを反省しなければならない。

それにしても、あるお婆さんのことを思い出して驚くばかり。

さて、あるお婆さん、毎日毎日泣いてばかりいる。その様子を見た人がなぜそうして泣いているのかを聞いた。お婆さんが答えるには、

私には二人の娘があります。一人は雪駄屋に仕事に行かせ、一人は下駄屋へ嫁がせました。こんなにも天気が良い日が続くと、下駄屋が繁盛しないことを思い、また雨が降り続けば、雪駄屋が繁盛しないことを思い、そうしたことを思い続けておりますから、心を休める間もなくただただ泣けてくるのです。

と言う。その人はこの言葉を聞いて、諭して言った。

それはお心違いです。雨が降ったら下駄屋の繁盛を喜んで、晴天が続けば雪駄屋の繁盛を喜びなさい。そうすれば、雨にも晴れにも喜びが続くことになる。

と示すと、ようやくお婆さんは心が軽くなったと喜んだ様子になった。

これは、いっさいお婆さんの身のことだけではなく、私たちが世の中を嘆くことと同じ理屈であって、宗忠様からご覧になられるとお婆さんの心と同じことなのだろう。

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参考文献:「高弟歌文集」黒住教日新社 発行