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時尾宗道高弟講録の読解【5】

六、大空の月の恵みと知らずして 露はおのれが光とや見ん

これは、思慮が不十分な歌だが、今どきの心がけが浅い人の多くは、掛けまくも畏き日の大御神様の大御徳をうけてこそ、私や人々は生きていられ、また暖まりがあるということがどういうことかを理解もせず、やはり己が生きて、己だけが働いているとだけ思っている愚かな心を読めるものだ。

また、

誰もみな天照る神の神がかり 神がかれと知る人ぞ神

この意味は、この身このまま日の大御神様の大御徳であると悟り極めている人は、真に尊く直ちに神である。

越中の藩士で吉村順左衛門という人の歌にも

久方の天の恵みにひらくとは 知らで花のしたり顔なる

と詠まれているのも、すべて同じ心からの歌であったのだと思う。

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参考文献:「高弟歌文集」黒住教日新社 発行