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時尾宗道高弟講録の読解【3】

三、世の人々のなさる行為は、皆ことごとく生(命)を養い育てることでないようなことはありません。生きとし生けるもの、いずれか命を惜しまざりけると貫之も言われたように、神道はもとより、いずれの道々も、また天下を治められているまつりごとも、皆々が安心して生きていけるようにするためのものである。

ところが、心がけが悪い人は普段でも健康に気をつけることがなく、自分自身で生きることをダメにしてしまい、助けを外に求めようとする。誰かの歌に

おのが身のうきに詣でてよこしまに 祈るを神のうけんものかは

と詠んだ心は、こうした穢れてる祈りを神様が受けられるわけがないという意味である。

さて、またどの行為も生かされている命を養い育てるためなのに、その行いのためにかえってその命を壊して短くしてしまう者もいる。これらの人は生きることを尊いことだと知らない者なのです。そもそも、この命は自分自身のものではなく、勿体なくも天照大神御一体の命なのです。またこれは得ることが難しいので、不摂生することなく、考え違いすることなく、自身の生(命)を大切に保ちたいと思うことこそ望ましい。

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参考文献:「高弟歌文集」黒住教日新社 発行