勝ち組フランクル

自分は人として犯すべきではない悪しき行いをした従兄弟をまるで気づかうような手紙を書いているし、凶悪事件を起こした後継団体の代表をまるで理想の親と思うかのように慕ったりして、親が知ったら絶対に悲しむであろうことを容赦なくやってる。親にバレたら即終了の爆弾を抱えている。

なのに罪の意識がとても小さい。無いわけじゃないけど、君たち親を頼れなかったから君たちのせいでこうなっちゃったんだぞ、ぐらいには思ってしまう捻くれ具合。親は親なりに愛情を込めて育ててくれたかもしれないのに、悲しいことだと感じるけど、どうしても憎悪の念がとれなくて、素直になれない。両親の衝動的な暴力は心の傷になって後から謝罪されたとしても癒えることはないし、過換気症候群で苦しかったときも体の心配よりお金の心配。人前が怖いと相談しても無関心。嘘つきだし、謝罪の言葉で無かったことに出来るはずがない。

十分な愛情を注がれずに育った子供は、人を愛することがどれだけ素晴らしいものか、嬉しいことか、利他の価値がわからないから、利己的になるのも仕方ないように思えてしまう。どんな状況でも生きる意味を見出だせると言い切ったフランクルは、周りからよく愛されて優しくされてきたから人に愛を施すことの価値が分かるんだ。勝ち組じゃないか、と感じて、正直夜と霧を読み終わった後は気持ちが悪くなった。あまり読解力がないのでフランクルが本当に伝えたかったメッセージを掴み取れていないだけかもしれないけど。

不平等で不条理な世の中が本当に自然な状態。救われる人は救われるし救われない人はどんなに助けを求めても救われない。因果応報だけじゃない。加害者の育った境遇を知るたびにそれは加害者なのか被害者なのか疑問を抱くことがある。そう感じるとき私は真の被害者側に手を差し伸べたくなる。でも誰かを助けることは誰かを傷つけることになる。こんな子供でごめんねと思ったら、いやなんで謝らなきゃいけないんだと怒りが込み上げて複雑な思いになる。自分の歪んだ思考を修正したい気持ちはある。自分の内面の心情をもっと言葉で伝えたいけど言語化能力が乏しい上道徳を学ぶ機会に恵まれなかった人間がこれからどう正しく真っ当に生きられる?精神的支柱になる宗教にピタッと嵌って生きればそれだけで簡単に正しく生きられるような気になって今まで我武者羅に投資してきたけど、結局それさえも教団の目的はお金。修行を続けていればいつか花開く時がくるよとかその気にさせて、上手にお金を搾取する。この捻くれ歪み穢れた心をなんとか綺麗にしたい反面そんなことしないで今の捻くれ歪み穢れた自分を受け入れて生きたいとも思う。親に対するアンビバレンスな思いから一貫性がない自分が形成されたように感じて仕方ないよ。

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