人生で一番辛かった時

 タイトル通りである。人生で一番辛かった時とはどの時だったのかを考えた時、真っ先に私はこう答えるだろう。


「冬場の競技水泳の練習」


 これを聞いて、「は? そんなこと?」とか「もっとあるだろ」とか色々と思われるかもしれない。ちなみに私もそう思う。

 ただ、今まで何度か生死を彷徨ったりした時は大体猛烈に痛かったり、辛い以上に他の感情が脳を占有していたのが殆ど。ただ単純に“辛い”というところに焦点を置いたエピソードは、間違いなく先述の「冬場の競技水泳の練習」に帰着するのだと私の思い出の引き出しを漁って感じた。

 ……まぁ、掘り切れてないだけで他にもただ単に辛い思い出があったのかもしれないが、今回はその最奥が「冬場の競技水泳の練習」とした上で、何故そんなに辛かったのかと実際のエピソードを交えながら書き残していこうと思う。いつも以上に思い出要素の強い、エゴまみれの内容だ。


本編

 私が競技水泳に身を投じていたのは学生の頃である。これを書いている現在も学生ではあるのだが、もっと昔の若い頃。具体的に言うと中学生の頃。10代前半から中盤にかけての、推し曰く「少年」と称される頃になる。

 つまるところ、学徒としての本分を忘れてはならない中で競技として通用できるように日々練習を積まねばならない環境。夏場の平日は学校終わった夕方から日が落ちるくらいまで練習して、休日は朝9時くらいから昼過ぎまで練習したり。平日の学校始まる前の早朝練習なんかもあったりした。

 それもなんだかんだ言って辛かったけど、同時に納得している自分もいた。水泳だし、夏場は盛んになるし、現に大会の数だって夏が群を抜いて多い。大会終わった次の週末には次の大会が控えてるとかも普通にあるわけで、どのシーズンよりも練習・調整に余念がなくなるのは必然と言えた。

 だからこそ、冬場の練習が本当に辛い。何をモチベーションに練習に打ち込めば良いかわからなかった。しかも、冬場は外気温的に外で泳げるわけがないので必然として陸上トレーニングが多くなるわけで……有り体に言えば、冬はダレるシーズンだった。

 普通に練習終わりに室内で水温が安定してるスイミングスクールとかに泳ぎに行ったりもしてたけど、陸上トレーニングが辛い日に行ったら確定で死が手招きしているので、結果として水と触れる機会が減りがちになる。

 それを見越してなんだろうけど、私のところはコーチが日曜にスイミングスクールを借りてくれて、週一で確定で泳げる練習があった。これは正直めちゃくちゃ助かってて、半年もまともに泳がずに夏を迎えると前半期は間違いなく勝てないから……。

 だからこそ、そういう点では最高に助かってた救済措置だったが、これが何よりも一番辛い。

 まずは時間だ。無論、日曜日とはいえスイミングスクールは普通に営業日である。故に客のいない時間に練習せざるを得なくて……具体的には朝なのだ。もっと踏み込んで言うなら早朝なのだ。早朝、超が付くほど早朝。家出る時間は大体午前5時。

 5時だぞ、午前5時。冬の午前5時なんて最早夜である。真っ暗。自転車のライト付けなかったら前見えなくて事故る。前見えないは盛ったが、雪降ってる中で視界不良になったことは何度かある。なんならこけた。雪降ってる時は自転車に乗らないようにしよう(戒め

 しかも、あくまでスイミングスクールに場所を借りているだけであって、プールを稼働させるのはこちら側。施設の人に早朝5時に来させるわけにはいかないので当然といえば当然なのだが割と面倒。因みにマジで要らない知識を纏めておくとプールサイドよりプールの中の方が温かい。

 稼働準備が終わって、準備運動も終えて、そこから練習が始まるわけである。この頃、大体午前6時。8時半には一般利用客が来るから8時には撤収するわけだが、その間に大体4000~5000m泳ぐわけである。実質寝起きで、飯なんて入れたら洩れなく吐くので朝飯も抜きで。

 終わった頃にはもう放心状態である。何もやる気が起きない。達成感こそあるが、達成感ではお腹は膨れない。身体の中が空っぽになっているあの感覚。因みにこの時、日曜の朝8時である。こんな時間に虚無モード入っているともうその残り16時間何も出来るわけがない。休みの日が本当に休みにしかならないあの絶望感。地獄だろ、そりゃ辛いわ。


 今も母校の水泳部ではこの練習は続いているのだろうか。確かめに行きたさもあるが、そのためだけに母校に足運ぶのもアレだし、泳がされても困る。ぶっちゃけ今泳げる気はしない。ただ、もし今もこの練習が残っているのなら……「……頑張ってな」としかかける言葉が見つからない。

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